札幌に、なぜ「俊カフェ」ができたか (3)

あああ。前の記事から1カ月以上も経ってしまいました。せめて隔週でアップしていこうと思っていたのに。もしも、もしも待ってくださっている方がいらしたら、大変お待たせしました。2019年の年末ギリギリ滑り込みです。気を取り直して、綴ります!

2015年7月、ギャラリーSYMBIOSISを経営している友人の力もあり、企画展「とても個人的な谷川俊太郎展」は大盛況のうちに終えました。最終日の7月30日は人が途切れることもなく、閉館時間になっても1人も帰ろうとする人がいなく、じゃっかん(感動のための)涙目でご挨拶をさせていただいて、その時初めて会った方がほとんどだったのに、温かい拍手をいただきました。忘れません。

翌31日は搬出作業をしていたのですが、その間も何人もの方がいらして「え?昨日までだったの?まだ見られないかな」「あなたよくやったわねえ!(肩をバンバン!と笑顔で叩かれ励まされ)」などなど、嬉しい反応をいただきました。この時わたしは五十肩まっただだ中(笑) 手伝ってくださった方に、ほぼ全面的に力を貸していただいたことを記しておきますm(_ _)m

企画展には、老若男女、さまざまな方が足を運んでくださいました。静かに読書に没頭する方、とにかくご自身の中の俊太郎さんや俊太郎さんの詩についての思い出を語る方、私物をじっくり眺める方、読み聞かせを楽しむ方、見知らぬ人同士で盛り上がる方々、、などなど。私自身も、俊太郎さん作品の魅力を会話で共有できることが本当に嬉しくて、楽しくて、最初の3日で声が枯れました(笑)

こうして大きな盛り上がりの中で企画展を終了し、新聞で紹介してくださったこともあって、黒子気質の私が街で声をかけられることも数回(驚)。谷川俊太郎さんのお名前を冠することが、どれだけ大きなことか、そして、どれだけ俊太郎さんファンが多く、また俊太郎さんの詩や絵本や合唱曲などに大きく心動かされた人が多いかを実感する体験となりました。

そもそもこの企画展を開催したきっかけは…。次に続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?