ジョン・ムリンデ師-02

祈りにつてのシンプルな背景をシェアしたい。

神様が長い間祈りの中で建て上げた人がいる。

特に主によって執り成してとして引き上げられてる人のために。

神様が引き上げ、育てた祈りの勇者に語りたい。

あなたよりも私が語っていることのレベルが低いならそれは素晴らしいこと。

<エレミヤ33:3>
わたしを呼べ。 そうすれば、 わたしは、 あなたに答え、 あなたの知らない、 理解を越えた大いなる事を、 あなたに告げよう。

呼べという言葉は祈りの表現として用いられている。

祈りには様々な表現があり、違う目的で使われる。

しかし、神を呼ぶということでは共通している。

祈りというのは「こういうものだ」という思い込みが多い。

祈りに対するイメージは「これがほしい」という思いを持って神様がしてくれるという姿勢で臨むかもしれない。

あなたは神様に対するカウンセリングをしていることはないか。

聖書の中で誰もそうしていない。

一つのミステリーは、神は私たちの願いを私たちが願う前からご存知のお方。

自分の思いを神に申し上げる以上の祈りに深い意味を求めるようになる。

まだあなたを知らないことを知らせると神は言われる。

祈りの側面は、私たちが知らない目的を主によって教えられること。

今まで知らない領域に踏み込むこと。

神様は神様の情報を私に入れて下さる。

創世記4章で人々は主を求めはじめた。

<創世記4:23>
セツにもまた男の子が生まれた。 彼は、 その子をエノシュと名づけた。 そのとき、 人々は【主】の御名によって祈ることを始めた。

私の祈りの理解は神様と話すこと。

この創世記4章は神様を叫び求めてる。

アダムは神に祈ってなかった。

彼らは祈るように造られていなかった。

彼らは神と交わるように造られていた。

神様との関係を建て上げ、共に友のように語り合う人々を見ることができる。

モーセは夢や幻ではなく、友として親しく語られる関係。

これを求めよう。

友達としての関係があるなら、より深みに導かれる。

聖書の中では様々な祈りの表現がある。

<創世記25:20>
イサクが、 パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、 アラム人ラバンの妹であるリベカを妻にめとったときは、 四十歳であった。 21 イサクは自分の妻のために【主】に祈願した。 彼女が不妊の女であったからである。 【主】は彼の祈りに答えられた。 それで彼の妻リベカはみごもった。

お願い。特定の目的を持っている祈り。

イサクは明確な目的、子どもがほしいと願っていた。

これは特定の求めの祈り。

その祈りは聞かれ、子どもが与えられた。

もう一つの祈りの表現は質問。

これは自分が理解できない状況に遭遇した時の祈り。

神のところに行って神様にひらめき、答えを求めること

<創世記25:23>
すると【主】は彼女に仰せられた。 
「二つの国があなたの胎内にあり、 
二つの国民があなたから分かれ出る。 
一つの国民は他の国民より強く、 
兄が弟に仕える。 」

全てが上手くいっているのに、同仕様もなくなることがある。

理解できない状況に置かれることがある。

その時こそ主のところに行って聞くべき。

私たちは神の子として神に聞く権利がある。

求める時、神に祭壇を築くという祈りもある。

祭壇を築くとは、ただ祈りをするのではなく、神に定期的に出会う場所を設定する。

神様とのアポイントをとるという深いレベル。

聖書で祭壇を築いた人は定期的に神と出会っている。

私にイサクをささげなさいとアブラハムに告げられた。

そして「はい」と従順した。

イサクは祭壇をよく知っていた。

だから、そこで何が必要かをよく知っていた。

私たちは必要です。

子育てにおいても神様を求めていこう。

ロトの子どもたちはよく教えられていた。

ロトは義人。

悪い環境にいながら、娘達は男を知らなかった。

ところが、神様とのつながりがなかった。

自分の知恵に頼っていた。

人の知恵は限界がある。

はじめてこれが見えるのがロトがドアを開けた瞬間。

不品行を悪いことと呼んでいた。

ロトは外にいる人々に「悪いことをしないでくれ」と言った。

ロトは悪いことだと知っていながら、ピンチの時に娘を差し出してしまった。

神様は別の解決方法を持っていたにも関わらず。

そのとき、御使が「ちょっとまて」ととめた。

後になってこの娘達は同じ状況に陥る。

二人の姉妹は山で父と寝て子孫を残した。

娘達もその絶望的な状況で神を求めなかった。

神様はこういう状況に来た時にこそ「私を呼べ」と言われる。

そこに私たちの想像を超える解決がある。

神は私たちを耐えられない試練に合わせられない。

かならず脱出の道がある。

神様に限界はない。

聖書はイエス様について、イエス様は苦しみを通して何かを達成させた。

私が成長していることを示すために試練を与えられる。

その試練が神様をたたえる理由になる。

わたしの気づかない何かを神様がされている時。

試練の時は人のせいにしたり逃げ出したくなるかもしれない。

しかし、その時こそ自分の弱さを認めて主を賛美する時。

いま通されてることは必ず脱出があり、勝利があるという態度を持って神様に信頼する。

そうするならあなたは帰られる。

自分ができるからできるのではなく、神を信頼しているからできる。

私たちはコミットメントしている。

主と出会うなら何かある。

主を求めよう。

<エペソ6:10-18>
10 終わりに言います。 主にあって、 その大能の力によって強められなさい。 11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、 神のすべての武具を身に着けなさい。 12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、 主権、 力、 この暗やみの世界の支配者たち、 また、 天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 13 ですから、 邪悪な日に際して対抗できるように、 また、 いっさいを成し遂げて、 堅く立つことができるように、 神のすべての武具をとりなさい。 14 では、 しっかりと立ちなさい。 腰には真理の帯を締め、 胸には正義の胸当てを着け、 15 足には平和の福音の備えをはきなさい。 16 これらすべてのものの上に、 信仰の大盾を取りなさい。 それによって、 悪い者が放つ火矢を、 みな消すことができます。 17 救いのかぶとをかぶり、 また御霊の与える剣である、 神のことばを受け取りなさい。 18 すべての祈りと願いを用いて、 どんなときにも御霊によって祈りなさい。 そのためには絶えず目をさましていて、 すべての聖徒のために、 忍耐の限りを尽くし、 また祈りなさい。

非常に細かい指示。

これは戦争に行くための準備。

敵はいつもあなたを見張っている。

いつ目を覚まし、いつまどろんでいるかをよく見て戦略を練っている。

あなたが弱い時に悪は攻撃してくる。

その時間を虎視眈々と狙っている。

そういう瞬間は勝利の直後にやってくる。

大きな勝利の後にこそ目を覚ます必要がある。

神があなたに恵みを注ぎ、リフレッシュした時にこそ注意すべき。

カンファレンスで燃やされて家に帰るなら家でサタンが待ち受けている。

そして、神様が何をされたかを忘れさせる。

そして、自分を見失い、喜びが奪われていく。

その喜びをとられるなら、攻撃されるままになる。

無知はいけない。

あなたがガードを下ろす前に、神の武具を身につける必要がある。

まずは祈ること。

様々な種類と祈りと願いによって祈ること。

群衆が勝利を祝う時、イエス様は山に登られた。

これこそ私たちが見習う姿勢。

もう一つは感謝と賛美。

これはとても大切で必要なこと。

感謝を現さないものは次の祝福を逃すものであるということわざもある。

感謝を忘れれば次につながらない。

詩篇100年にも書かれている。

喜びを持って御前に行くことが大切。

神に向いて信頼する。

私たちは誇るなら主を誇る。

賛美しよう。

そして悪魔に「聞いたか。私の父は偉大な父だ」と聞かせよう。

賛美しましょう。

賛美は主を誇ること。

神が私の父であり、羊飼いであり、喜びであることを誇っている。

神様は賛美されるのが大好き。

カレンダーに書いておいてください。

「ください」ではなく。「あなたを褒め称えます」と。

次の違う瞬間がやってくる

<イザヤ66:8>
だれが、 このような事を聞き、 だれが、 これらの事を見たか。 地は一日の陣痛で産み出されようか。 国は一瞬にして生まれようか。 ところがシオンは、 陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。 9 「わたしが産み出させるようにしながら、 産ませないだろうか」と【主】は仰せられる。 「わたしは産ませる者なのに、 胎を閉ざすだろうか」と あなたの神は仰せられる。

主が来られる時、主は私の心に何かをもたらされる。

主は祈り方がわからないけど、うめくような祈りをしなさいと。

これは聖霊様に頼って主の臨在の中に入って、主との親しい関係の中で行われる祈り。

イエス様は深いうめきと嘆きを持ってい祈られた。

父に対して叫び求めたこと。

暗闇の世界を攻撃して、御国を拡大しているものはこういう攻撃にある。

だれも自分をわかってくれない。

主の前に行っても祈りすら出てこない。

呻くことすら出来ない。

ハンナもそうだった。

他の人はその祈りを理解できないでしょう。

しかし、神様だけがわかってくださっている。

主に属する人は誰でもその場所に来ることができる。

主よ、あなたが解決して下さる瞬間までここを離れることはしない!という信仰が必要。

神様はそのような大胆さが大好き。

イエス様も隣の人が夜中にパンをくれという人のたとえをした。

その人があまりにもしつこいからパンを渡した。

友であるのにもかかわらず、そのしつこさゆえにパンをもらった。

神様は私を信頼している。

だから私たちはここに立ちおおせる。

主はずっと私たちが求めることを求めている。

私たちはファストフードの時代に生かされている。

祈りはファストフードであってはならない。

来て、共に論じあおうというのが主の姿勢。

全部間違っていることがある。

神はあなたの全部のポイントを全部あげてみよと言う。

その結果、主しか道はないというところに至る。

それこそ砕かれた心。

主はその事を喜ばれる。

<マタイ17:19-21>
19 そのとき、 弟子たちはそっとイエスのもとに来て、 言った。 「なぜ、 私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。 」
20 イエスは言われた。 「あなたがたの信仰が薄いからです。 まことに、 あなたがたに告げます。 もし、 からし種ほどの信仰があったら、 この山に、 『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。 どんなことでも、 あなたがたにできないことはありません。
21 〔ただし、 この種のものは、 祈りと断食によらなければ出て行きません。 〕」

求めることを教えられている。

しかし、多くの人はこの反対を教える人がいる。

弟子たちはイエス様とふたりきりになるまで待って、心の内をイエス様に語り始めた。

祈りと断食によってでしか出て行かない悪霊。

特定のものをイエス様はご存知だった。

特定の者に対して「ああ、あれか。あれは断食でしか追い出せない」と言われた。

断食に関して

霊、肉、魂の3つの人は食べなければ行きていけない

霊は神のことばを食べる。

肉は肉の食べ物を食べる

魂は知識を食べる。

多くの場合、私たちは人生の中で、肉の人を多く食べる。

普通の人は日に3度食事するので強い。

魂もニュースやゴシップによって食べている。

霊の人が忘れられている。

神の人をおやつにしていないか。

みことばを寝る前にちょっとつまみ食いしているような生活を送っていないか。

そのような生活をするなら霊の人が弱ってしまう。

この人が働きをしていくのを知らなければならない。

エペソ2章、私たちは罪にあって死んでいた。というのがる。

そのようなライフスタイルはプログラミング。

霊的なことで失敗するプログラミング。

こういう教えを受けている。

イエス様が全部祈っているし、断食してるし、悔い改めているから何もしなくていい。

恵みだ!恵みだ!恵みだ!

これは正しいか。

種を蒔かないと収穫を得ることは出来ない。

食事を取らないと弱ってしまう。

自分は霊的な弱さを感じる時、断食をする。

この肉の人を殺して、食事を抜いて、霊的な人を食べさせる。

人の欲求では食欲が一番強い。

次は自己顕示欲。つまり、成功欲、仕事をする動機。

これがない人は乞食のように尊厳をなくしてしまう。

それは心が悪いのではない。

どうでもよくなっていること。

性的な欲。

上の2つが満たされてこんどは3つめの欲がやってくる。

4つ目は霊的な欲。

霊的な欲がつながってしまう。

他の欲の中で回してしまう。

これらが増大するなら、肉的な欲になる。

これらは悪いことではないが、神様との関係、霊的な空腹状態で合ったらそれは注意すること。

断食ですることは食を経つこと。

断食するならすぐに体が叫びだす。

水には栄養がないから、体が栄養を訴え始める。

そのうち、ブレイクファースト(断食をやめてしまう)

断食すると古い脂肪を燃やすので、体臭がきつくなることがある。

息も臭くなる。

これは普通の事。

これはきよめられている洗浄されている時。

2日断食したなら、もう食事を求めて仕方なくなる。

しかし、断食を長続きさせたいなら3,4日目まで耐える。

それを過ぎたら食欲は消えていく。

ある程度空腹にはなれるが、次にやってくるのは習慣欲がやってくる。

食事時になると食事を食べなければならないような思いにさせられる。

体の中の蓄えをなくして、霊の人に食べさせることが大切。

長期の断食をするなら、インナーバランスが変わってくる。

出来ない事ができ、信仰が高められ、祈りが力強く長時間できるようになる。

様々なチャレンジをできるようになる。

だから、イエス様は祈りと断食によらなければ出来ないという。

断食は上から油注ぎも含まれる。

私は今まで知らないことを示そうと主は願われる。

しかし、私たちはそれに耐えられない。

だから、断食によって私たちが強められるなら、神のみことばの深みを受け取ることができる。

わたしを呼べ、あなたが聞いたことをないことをあなたに示そう。

このことばをいたるところに貼っておこう。

これだけの利益があるのが断食。

であれば、なぜ神様を求めないのか。

そこには鍵がある。

まずは願い求めること。

今、共に主に叫び求めよう。

以上がジョン・ムリンデ師の分かち合いです。
イスラエルに来るために多くの犠牲を支払いました。
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