デービッド・デイビス師(エルサレム世界大会2015)

今の世界には二種類のユダヤ人がいる。1998年に一部のイスラエル人が帰還した。私たちは両方のユダヤ人に対して福音を宣べ伝えるミニストリーの召しを受け取った。

主は私たちに冠を与えて下さるお方。カルメル山の頂上に礼拝所を設けている。そこに多くの方をお迎えしている。

使徒パウロは素晴らしいユダヤ人の使徒。彼がシナゴーグでトーラーに基づくメッセージをした。詩篇やイザヤ53章のように語られる。

一人の人が救われるとローマ帝国全体が救われるということがある。そのひとりのために私たちは働きをしている。

シナゴーグでどこにユダヤ人はいるのかと話していた。ユダヤ人はローマ帝国の存在をひっくり返すほどに力あるものだった。異邦人とユダヤ人はいつも共にいた。

私のコングリゲーションでもユダヤ人とアラブ人が共に礼拝している。彼らが共に集まると何が起こるか。

クリスチャンとは小さなキリストという意味。中には「私はユダヤ人が嫌いだ。ゆえに、ユダヤ人を嫌うべきだと」言う人がいる。しかし、すべての聖書はユダヤ人を土台として書かれている。

私たちは真実を知らなければならない。

世界中でユダヤ人はひどいめに合わされながらも、主に従う決断をし続けている。私はアメリカで生まれ育ったが、日曜学校に行くまでキリストの事を知らなかった。その中で学んだことは、キリスト教徒が迫害を受けたということ。

しかし、そのような状況でも一人ひとりはキリストは最後まで真実に値するという信仰を持って最後まで主を捨てなかった。様々な教派があるが、キリスト教が迫害されたという歴史はある。そして、今日、皆さんはエルサレムに上ってきて下さいました。今、多くの異邦人に囲まれていることを実感します。

聖書に書かれいている御霊に満たされることを節に見てみたいと願う。収容所でユダヤ人が迫害を受けた時、その季節がどうであれ、熱くあれ、寒くあれ迫害は続いた。最悪の状況でもユダヤ人のヒーローはイエス・キリストだった。クリスマスを多くの人が祝うが、それに預かれない異邦人もいる。

私たち集められた者の心に迫るのは失われていく魂。

フランスのテレビでこのような福音は私たちに届いていないというインタビューを見た。ヨーロッパの人々は伝統的な方法でキリストを表すが、そのような方法で神の国の福音をヨーロッパの人々に現すのは難しい。

主が私たちに語らていることはなにか。今心を開いて主の御声を聞こう。

メノラーの火が決して消えなかったように、かしこい5人の乙女のように油を絶やさずもやし続けよう。メノラーの7という数は聖書の完全数の7 から来ている。

<ゼカリヤ4:1>
私と話していた御使いが戻って来て、 私を呼びさましたので、 私は眠りからさまされた人のようであった。

今はメノラーのシーズン。それは私たちにビジョンを与える。預言者はメノラーが何かを預言することができた。これは宮であり、ダビデの幕屋であったり、様々な掲示がある。これらは主の臨在を現すもの。

全ての事は私たちの力、努力でなく、すべて聖霊様による。

私たちは上に立てられているリーダーに従い、聖霊の働きによってもっと多くの働き、栄光を見ることができる。

メノラーの7つの燭台は私の力ではなく、聖霊の力で全てがなされることを象徴している。そのように祈る時、聖霊様が働いて下さり、全てをなしてくださる。当時の人にとって山を動かすということはバビロンから出るということ。

私たちはキリストを信じるものとして、何ができるか。私たちは聖霊様に導かれなければならない。そのためには、隠れた場所でひざまずき、祈らなければならない。

すべての主の働きは小さなところから始まる。しかし、その小さな働きから主は大きなことを起こされる。最初はひとりの人を助けるというところから始まる。私たちは目の前にあるものに飛びつくのではなく、その後に与えられるしゅが下さるものに目を留める必要がある。

私たちは主につながる枝。

枝である私たちは主につながっているが、枝を通しても主は私たちをつなげて下さり、メノラーの働きを見ることができる。

オリーブの木はイスラエルを象徴している。イスラエルは多くのオリーブオイルを通して祝福があったが、それは完璧ではなかった。

旧約聖書の最高の解説書は新約聖書。

イエス様はベツレヘムでお生まれになった。

西洋のクリスチャンにとって、ローマ11は禁断の書とみられることがある。しかし、東洋の国々にはこのことはシンプルなこととしてとらえられている。

<ローマ11:15>
もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、 彼らの受け入れられることは、 死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。

これがこれから起こることとして述べられている。

<ローマ11:17>
もしも、 枝の中のあるものが折られて、 野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、 そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、

もし、あなたがユダヤ人に接ぎ木されたものとして生まれ変わっているのであれば、豊かな恵みが異邦人一人ひとりの上にも注がれている。

オリーブの根が豊かに養われているなら、それにつながっている私たちの心を主は豊かにあしらって下さる。

イスラエルという大きな木に異邦人ひとりひとりがつながれている。そして、異邦人は枝を刈り込まれることがある。

主はあなたをつぎきしたいと願われてる。多くの油注ぎを受けるために砕かれる事を願われている。その事実を知ったクリスチャンが驚く人がいる。

<ローマ11:24>
もしあなたが、 野生種であるオリーブの木から切り取られ、 もとの性質に反して、 栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、 これらの栽培種のものは、 もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。

どれほど多くの異邦人という接ぎ木がイスラエルにつながれたか。今、多くのユダヤ人が主を見上げつつある。ニューヨークにいるある有名な女優がいた。彼女と話す機会があったので、主を伝えた。共に祈ることに導かれたが、イエス・キリストの御名には力がある。彼女は罪を知らなかったが、悔い改めから祈りはじめた。聖霊様が直接彼女に働いてくださった。そして、イエス・キリストこそ、私の唯一の生きる道だと言った。単独で生えていた気がオリーブの木に接ぎ木された瞬間だった。

メノラーの話に戻るが、それぞれの民族にとってメノラーはどういう意味があるか。これを正しく説明するのは聖書。メノラーの真ん中に立つのはイエス様。

黙示録1章を見ると分かる。ここでは7つの教会にあてられている。7は神の数字。

油注ぎの油は神聖なもの。油はただで受けられるものではない。その代価はキリストが十字架で支払って下さった。油絞りというゲッセマネでイエス様は祈りを捧げられた。その間に弟子たちは眠ってしまっていた。

それを読んだ時、聖霊様、私に新鮮な油を与えてくださいと祈った。今日、同じ油がすべてのものに注がれることを祝福します。

以上がデービッド・デイビス師のメッセージです。
イスラエルに来るために多くの犠牲を支払いました。
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