【 感性 】

【 感性 】

ここ最近、外に繰り出しても「撮りたい!」と思うことに出くわすことが少なくなっている。

それは仕事の撮影外のことにおいて。

昔なら「あれもこれも」とその視界に広がる世界の素晴らしさに感動して「あれもこれも」とカメラを向け、シャッターをごく自然な形で切ることが出来ていた。

それが今、無い。

「撮ってきてよ。」と言われて、撮ってくることは出来るのだが、それが自分の【感性】にそって撮られたものかというと、それには「?」マークがつく。

私の【感性】は、この広大な世界から今は切り離されているのかも知れない。

自然の機微に触れ、感動した心の動き。

街の人々の営みに触れ、感動した心の動き。

それが今ない。

おそらく私の【感性】が不感症(もちろん性的な意味ではなく)になっているのだと思う。

この心の有り様にどう付き合っていくのか。

今、自分との会話を繰り返しているところだ。

先日、電車に乗り、街に出かけた。

久しぶりに自分の【感性】が少し動いた気がする場面があった。

それは心に余裕があり、気持ちが「歩くスピード」であった時に。

もう少し、私は今、その人生に於いて「歩く」必要があるのかも知れない。

そう思った。

そのためには、身軽く、自らの心を軽くする手放しが今必要になっているのかも知れない。

その暁として、以前の【感性】をもう一度手に入れることが出来るのかも知れない。

そう思った。

そう思った。


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