見出し画像

とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<結> 13

 そのご婦人のことは、第一印象から若々しい女性だとは思っていた。
陽が傾いた室内の明るさでは更に、佐那子さんと近い年恰好に感じたのだから女の人は分からない。
ご婦人の晴れやかな笑顔は、長年の胸のつっかえが取れたと喜ぶ濁りのない美しいものだった。
 それにしても五日市憲法とは瓢箪から駒だった。
僕は今日までそうした事績の存在など全く知らなかった。
タイムスリップした米軍の飛行士が残した言葉が古文書として時代を超える。
そしてその言葉は夢と希望に満ちた新たな理想に結実していった可能性があるのだ。
存外歴史に埋もれたこの手の逸話は、世界中に散らばっているのかも知れない。
それとは気付かぬ迂闊な僕らは、面白過ぎるトンデモ話を見過ごしている可能性があるってこった。
 僕の任務はオーパーツの確認と由来について調査することだ。
その目的達成に思いもかけないおまけが付いてきた。
僕は人の想いとそれを取り込む歴史のしたたかさに、正直なところ心を強く揺さぶられた。
僕はまるで足元を掬われるように大感動してしまったのだ。
 実はこの不覚については、正直なところ内心忸怩たるところがある。
常日頃から“フィリップ・マーロウ”と草枕の主人公である“余”をお手本に渡世をしている僕にしてみるとだよ。
予期せず陥ってしまった深い感動は、これはもう不覚としか言いようがない。
金輪際人には知られたくない恥ずかしさに満ちていることだったぜ?

 「・・・と言う訳でオーパーツの確認をしに行っただけなのにですよ。
ブツにまつわる伝奇小説みたいな物語の最後の最後に落ちが付きました。
それも“希望溢れる新時代に高々と掲げられた輝ける理想”みたいな?
そんなこっ恥ずかしくて床を転げまわりたくなるような落ちが見つかっちゃったんですよ。
五日市憲法が内包していた先進的思想がどこから来たのか。
その不思議の理由が、エバンス中尉のタイムスリップというワイルドカードをめくる。
それだけのことで、ストン腑に落ちてしまった奥様と僕でした。
この世で奥様と僕の唯ふたりしか知ることがない静かな感動でした。
静謐な感動に浸りながら過ごしたお暇までの小一時間なんて、知的で品があるどこぞのサロンさながらの雰囲気で終始しましたよ。
とっておきと仰る深煎りのマンデリンを奥様手ずから入れて下さいましたし、バーゼルのスワンシュークリームも大層おいしゅうございました。
ってなわけで、街道をほっつき歩く司馬遼太郎だってびっくり仰天しちゃう。
それくらいあれもこれものおてんこ盛りの一日になりましたとさ」
「それは、お疲れさまでした。
おばさまは昔から本当にお綺麗な方だったのですよ。
多摩の小悪魔なんて言われたこともあるそうですからね。
うちの父なんか今でも母に呆れられるくらいの大ファンです」
「そうですね。
あのご婦人ならお若い頃には、小悪魔どころか中悪魔としてブイブイ言わせていても納得ですね」
「何ですかその中悪魔って」
佐那子さんが苦笑した。
「そのおばさまが手ずからコーヒーを淹れて下さるなんて。
お客様嫌いなおばさまがそこまでされて、しかも話し込むだなんて。
まどかさん、相当おばさまに気に入られましたね。
父が聞いたらヤキモチで身もだえすることでしょうよ。
それにしてもおばさまの御先祖様に、本当にハリウッドスターみたいな人が居ただなんて驚きました。
まどかさんが最初に仰っていた通り、私もOFU謹製のヨタ話なんだろうなって思ってました。
でもそれが本当の話ならおばさまの美貌とスタイルも腑に落ちますね。
エバンス中尉のDNAは長い時を超えて良い仕事をなさっているってことですよ」
佐那子さんがワイングラスを片手にうっとりとした表情で、こちらに流し目をくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?