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とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<承> 11

 B17の実機は昭和の末でもアメリカ本国にまだ多数現存していた。

航空ショーや映画の撮影などで使われていることも僕は知っていた。

だが、目の前を飛び去る、おそらくは爆弾を満載しているに違いない機体が、オーラの様にまとう重々しいリアリティはどうだろう。

頭上を飛び去るB17は、これからドーバー海峡を越えて爆撃行に出るはずだ。

それは平和な時代のめかしこんだアルルカンとは似ても似つかない気色を窺わせる姿だった。

 アメリカ第八航空軍の爆撃機はイングランド各地の基地に分散配備されている。

それらの爆撃機が従事した昼間爆撃行は、一九四二年八月から始まったはずだ。

するとジュリアが暮らすトンネルのこちら側は、二十五年以上昔のイングランドと言うことになりはしないか。

そう考えると、敢えて目を背けていた一連の不可思議がストンと腑に落ちる気がした。

 この年が一九四二年であるならば、連合国とドイツとの闘いも二年目を迎えている。

イギリスはロンドン空襲を含むバトルオブブリテンをからくも乗り切ったものの、市民生活は窮乏を極めているだろう。

小学生の僕は、今時ならミリオタと称される軍事マニアだ。

WWⅡ当時のイギリスは、かなり入れ込んでいた時代と地域でもある。

B17を見たことで僕には色々思い当たる節も多かったのだ。

何のことは無い。

ジュリアが甘い物に大感激していた理由は戦時下の乏しい配給生活にあった。

 金髪で青い目の女子が、アメリカ人では無くてまさか戦時下のイギリス人だったとは、僕も虚を突かれた。

破天荒な空想癖のあった僕にとっても想像の域を遥かに超えていた。

当時のイギリスの子供達もまた、終戦直後の日本の子供達の様に、駐留米軍のG.I.相手に“Give me chocolate!”とやらかしていたのだろうか。

そんなやくたいもつかぬ疑問が泡のように浮かんで消えた。

 今日も今日とて深く青い蒼穹に目を転じると、遥か高みに幾筋もの飛行機雲が刷毛で書かれたように流れていた。

ついこないだ同好の友人と見に出かけた映画“空軍大戦略”にも似たような画があった。

良く良く考えて見れば映画の舞台になった空は、今まさに僕がぼんやり見上げている空の丁度一年前の姿だったのだ。

 『今空に上がって行ったB17は、ああやって空中で集合した後コンバットボックスを組むのだな。

そういや昼間爆撃の出撃は早朝だったな』

美しい飛行機雲に目を細めたところで、いきなり記憶が途絶えた。

 次に目が覚めたのは現代日本側だった。

いつしか雨が降り始めていたのだろう。

トンネル開口部前の叢に横たわった僕の身体はすっかり冷え切っていた。

 案の定その晩から高熱が続いて、僕はトンネルの不可思議とは関係ない夢うつつの中で数日を過ごす羽目となった。

熱が引いてからも、しばらくは床を出ることを許されず僕は相変わらずのぼんやり頭でトンネルの向こうのこと。

ジュリアのこと。

B17のことを考え続けていた。

 あんなに会いたくて仕方が無かったジュリアのことも。

取り澄ました態度がなんだか生意気なスケベのことも。

本当に現実に出会った実態ある人間と犬だったのだろうか。

あれは早朝に香り立つ森の精気に惑わされた幻だったのではないか。

それとも真夏の夜の夢が覚めやらぬまま、続演となった白昼夢だったのかもしれない。

四日間のことどもが、そんな風にしか思えなくなってきていた。

 冷静に成って事の成り行きを分析してみれば、僕は多分タイムトンネルを出入りしていたことになるだろう。

それがどんなに荒唐無稽なことか、充分にわきまえる位には子供なりの分別もあった。

だからなのだろう。

日を追うごとに四日間の記憶が、頼りなく曖昧なものになって行くことは残念だった。

残念なのに、シュールな緊張から解放されて、肩の荷が下りたような気もしたのだ。

 スケッチブックは手元にあったが、四日間の不思議についての物証は何処にもなかった。

後日元気を取り戻してから意を決し、頬に残るジュリアが捺っした口付けの感触だけを標にして早朝の林にでかけた。

だが密かに危惧した通り何処をどう探そうと、僕はトンネルはおろか防空壕を見つけることすらできなかった。


 なぜか特別に曖昧模糊とした、まるでソフトフォーカスでフィルムに固定されたような記憶だけが残った。

まだビデオやディスク、ネットなどの無かった時代のことだ。

名画座でたった一回しか見ていないのに強く印象の残った映画がある。

四日間の記憶はそれと似ていた。

ジュリアの顔の細部は思い出せない。

けれどもスケッチブックをやり取りしたいちいちや、大いに笑い合いおやつを楽しんだ嬉しさは心に残っている。

 記憶とは不思議なものだ。

何かのきっかけがキーとなって、思い出の扉がいきなり開くことがある。

ある角度で差し込む金色の夕日や、キース・ジャレットが奏でる短いパセージ。

それらは僕に取り、特定の忘れがたい記憶が納まった部屋の鍵だったりする。

 あの不思議な四日間への扉を開いたのはオレンジの風味だった。

それも果物としてのオレンジでは無く、人工的なオレンジ風味であることがポイントだったろう。

不二家のポップキャンデーオレンジ味。

ジュリアと最初に楽しんだおやつがキーだった。

僕は大人に成るまで安いっぽいオレンジの風味を何度も味わったはずだ。

どうして今日の今その風味がいきなり記憶の扉を開くキーとなったのだろう。

 ロイジーナの実験ランチについて来たオレンジジュースがどうしてあんなに安っぽい味だったのか。

そのことをるいさんに聞ける訳も無かった。

ともさんに怪訝な顔をされながら、僕はただただ、すっかり忘れていたジュリアとスケベと過ごした短い夏の記憶に圧倒されていた。


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