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とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<転> 4

 巡る因果の小車は一瞬で少佐とそのクルーの運命を決した。

どれ程のポーカーの名手でも永遠に勝ち続けることはできない。

ツキが無ければストレートフラッシュでも負けることことがある。

少佐の乗機が被弾した運の悪さを手札の良し悪しで考えればどうだろう。

2のワンペアしか手札がなかったのに下りることもできず、3のワンペアに負けた。

そんな感じだったろうか。

 第二十一爆撃集団司令官カーチス・ルメイ少将は、迎撃に当たる日本軍の手札はブタか良くて4のワンペアと踏んでいた。

読みの正しさに自信のあったルメイ少将は、思い切ってチップを張り込むことに決めた。

だからだろう。

その夜出撃したB-29からはあらかたの防御機銃と銃手が下ろされ、代わりに200㎏の焼夷弾が積み増しされた。

 ルメイ少将は賭けにボロ勝ちした。

しかし少佐のB29は、多くの僚機に比べてツキが無かった、

カードが配られる時に、少佐担当の運命の女神さまが花でも摘みに行ったに違いない。

配られた手札が悪すぎた。

 夜間戦闘機の機関砲か対空砲火の直撃があったのだろう。

突然の振動と共に機体は垂直尾翼の機能をほぼ失った。

エンジンにもキャビンにも損傷は無かった。

もちろんクルーの誰一人して傷ついたものはいない。

 機体上部にある射撃管制用の観測窓から、半分ほど吹き飛んだ垂直尾翼が火災の照り返しにより確認された。

垂直尾翼の下で任務に就く尾部射手の軍曹は無事だし重なる攻撃も無い。

 少佐はすぐさま戦域離脱を決定し、爆弾槽に残っていた焼夷弾を全弾投下した。

エンジンの出力を上げ、適切な高度を取る為に機体を上昇させようと務める。

エンジンの調子は快調だし投弾で機体も軽くなった。

だが垂直尾翼の機能を失ったB29に安定した飛行は望むべくも無い。

 ヨーロッパ戦線では、垂直尾翼を失ってもなお無事に帰投したB17のことが、操縦士仲間の間で良く知られていた。

そんな万が一を想定した戦訓は少佐も頭に叩き込んである。

戦訓に倣い副操縦士と機関士の手を借りて、補助翼や昇降舵を必死で操りながら、左右のエンジン出力をこまめに調整した。

機首を振り不規則な上下動を繰り返す機体の制御は困難を極めた。

それでも少佐の技量は確かであり戦訓は嘘をつかなかった。

スキッパーの搭乗するB29は辛うじて即時の墜落を堪えたのだった。

 しばらく飛ぶとコツが掴めてきた様で、ある程度の経路変更も可能になった。

帰投の望みが見えて来たかに思えた。

だがしかし、燃料消費率の上昇が少佐とそのクルーの運命を決めることになった。

高度を上げ夢中で操縦に当たるうち、機体は日本列島のかなり内陸まで入り込んでしまった。

 トウキョウもその一角を占めるカントウヘイヤは日本最大の平野部だった。

進路の定まらない機体は、いつしか海とは反対の方角に向かっていた。

 愛機の進路は平野の北辺を走る山岳地帯に差し掛かろうとしている。

帰投する為には機首を北から南へと巡らせて、まずは太平洋岸を目指さなければならない。

垂直尾翼の機能を欠いた状態での回頭は殆ど不可能かとも思える。

少佐は機体が横滑りをして高度を失う度エンジン出力を上げ、だましだまし進路を変更していく。

山岳地帯を超えてくる北風は強く操縦は厳しい局面が続いた。

 トウキョウの西部からミウラハントウにかけては日本軍の基地や施設群が林立している。

都市部に比べて対空砲火も手厚いので避けなければならない。

少佐は遠目にも明らかな赤く燃え上がるトウキョウ上空を目指すことにした。

だがその時、計算尺を手にした機関士の絶望的な声が聞こえた。

現在の燃料消費率では、マリアナの基地に辿り着ける可能性がまったくない。

それは眼前に提示された冷厳な事実だった。

機体の安定と進路の変更で燃料を使い過ぎた結果だった。

少佐はマリアナへの帰投を諦め、目的地をイオージマへと変更した。

地上戦はまだ続いていたが、イオージマの滑走路はもう使える。

そのことは出撃前のブリーフィングで知らされていた。

 イオージマはニッポンとマリアナの丁度中間に位置する小さな火山島である。

イオージマはマリアナまで帰り付けそうにないB29が緊急着陸するために有用だった。

そんな有用性のためだけに、海兵隊が多大な犠牲を払って占領しつつあるちっぽけな島だった。

ヨーロッパ以来の仲間でありその能力を高く評価していた航法士が、島への最短コースを割り出した。

残存燃料から逆算すると、最短コースを使っても、最早イオージマにすら辿りけないことが分かった。


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