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とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<結> 5

 訪問と応接の手順はまどろっこしくも優雅に進んだ。

僕は、人生における麦茶感が腰を抜かすほどに清涼な水物で喉を潤した。

同時に勧められた冷たい水羊羹に舌鼓も打つ。

薄っすら汗をかいたグラスと器は江戸切子だ。

麦茶のお代わりを所望し水羊羹の最後の一口が無くなる。

そうして思わず知らず、ご馳走様と僕が言うその時まで、ご婦人との会話は弾んだものとなった。

 会話は突然の訪問を詫びる僕の挨拶から始まった。

会話が弾んだのは、ご婦人と僕に共通した話題に終始したこともあったろうか。

訪問の目的には触れず、例えば犬猫や佐那子さんの笑話について気さくに語らう。

そんな小津風味なのんびりとした時間がしばらく続いた。

 ご婦人はなかなかの話巧者で、訪問の本題について急くことはなかった。

彼女は僕が佐那子さんと余程親しいと思ってらっしゃるようだった。

佐那子さんの幼少時代からのあれやこれやを面白おかしくお話し下さった。

佐那子さんの暴露話は、僕にとって古民家の撮影より実りあるご褒美となった。

何時だって佐那子さんには“さんざっぱら”という形容が付くほどに、いじり倒されている僕なのだ。

ご婦人に伺った佐那子さんのそんなことやあんなことは収穫だった。

今日から後、彼女への頼もしい反撃材料となることだろう。


 「こちらがお尋ねの代物かと存じます。

何十年ぶりでしょうか。

わたくしが女学生の時分に父に見せられて、由来を聞いて以来でございますから。

佐那子さんからお電話を頂く迄、すっかり忘れておりました」

ご婦人はごく自然に鼻濁音を使っている。

「それはお手数をおかけいたしました」

「とんでもないことでございます。

頭をお上げに成って。

家人も蔵を整理する踏ん切りがつかないと常から申しておりましたからね。

これも良い機会だったのですよ」

ご婦人はころころと気の置けない品の良い笑い声を立てる。

子供の頃から大声を上げて騒ぐ習慣の無い人に特有の、高く澄んだ声の色だった。

 サルタレッリ社製の白いティーテーブルには、モダンなデザインに不似合いな古い文箱がおかれている。

秋分から春分の頃にかけてたっぷり日光が差し込むように設計されたのだろう。

意匠を凝らした広めのサンルームがフランス窓を介して応接間の奥に続いている。

ティーテーブルは今腰を下ろしているエレガントな椅子と共に、夏を過ぎて秋を迎えれば場所を変えると伺った。

「今は陽射しが強うございますからね」

季節が変われば応接間から本来の定位置であるサンルームに戻されるらしい。

ご婦人はそれも中々に面倒でと白い歯を見せた。

 応接間自体はロココ調の調度品や壁紙で統一されている。

本来の来客用家具は部屋の中央に据えられていた。

石造りの館に相応しそうな設えが、俗悪に寄らぬよう品良くまとまっている。

外と内のアンビバレンスなデザインを思うにつけ、施主に無茶振りされた設計者の苦労がしのばれた。

ティーテーブルはサンルームに出るフランス窓の近くに置かれている。

応接セットが使われなかったのは、僕が客として軽んじられていた訳ではないようだった。

ご婦人のお話から察するに、腰高の椅子の座り心地や親しみを考慮してのことらしい。

「おばさまがティーテーブルに招くなんて、円さん相当気に入られましたね」

夕刻にこの訪問が話題になった時、佐那子さんが目を丸くしていたのでそれは確かなことだったろう。

僕が好感を持たれたと言うよりは、スキッパーが気に入られてのもてなしだったようにも思う。


 蓋の空いた文箱を覗き込むと、かつては黒く塗装されていたのだろう。

今は表面のほぼ全体に錆が浮き出て、かなり年季を感じさせる風体となったジッポーのライターが入っていた。

年代物めいたジッポーは、古びた赤いハンカチのくるみを解かれて箱の底にうずくまっている。

静かにまどろむジッポーは満開の桜の元、緋毛氈の上で舟をこぐ年寄りのようでもある。

 ジッポーのライターが初めて商品化されたのは1933年のことだった。

それは事前の調査で分かっていた。

分かってはいたが、見慣れぬ塗装を施されたジッポーの古錆びた感じは、どう考えても不自然だった。

大切に保管されてきた来歴を考えれば、製造後四五十年では効かないように思える。

赤いハンカチもジッポーと同様経年劣化が顕著だ。

なんとなれば、マリーアントワネットの愛用品だったと言われても納得の古びた趣だ。

元は何色だったのだろう。

色褪せた赤い地に退色した黄か金と言った色味の刺繍で、N・Jとイニシャルが施されている。

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