見出し画像

とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<承>  10

 ジュリアとの四日目の為に、僕は綿密な下準備を整えた。
図書館で子供用に書かれた英会話の入門書を借り出し、世界地図も用意した。
ジュリアの歓心を引くため折り紙セットも買い求めた。
おやつは彼女の甘味への傾斜の具合が、チョコレートについて尋常ならざるところがあるのでそこに勝負を賭けた。
森永のエンゼルパイなら目新しさと味で必殺の勝負菓子になること間違いなしと踏んだ。
ジュリアの笑顔を早く見たい。
息苦しくなる程にそう願い、眠れぬ長い夜を過ごした。
 明日の朝が待ち遠しいという気持ちを、僕は久しく忘れている。
個人的には今やそれは切なさとほぼ同義になってしまっている感があるのだが、その理由は明らかだ。
ジュリアの笑顔を早く見たいと言うあの夜の高揚感を記憶の内に探れば、甘やかな痛みで胸が苦しくなる。
待ち遠しいと切ないという感情の読み出しは、僕の中でもう分かち難く一体化していると言ってよいのだろう。
待ち遠しいも切ないも、こっ恥ずかしくも輝いていた、青春という帰らざる夏の遥か彼方でひっそり息づいている。
それは永遠に叶わぬ思いの似姿に他ならない。

 四日目の朝、僕は飛ぶように林を駆け抜け朝露でジーンズを濡らしながらトンネルに飛び込んだ。
昨日までは慎重に行動していたのに、急く心が軽率で無思慮な立ち居振る舞いを僕にさせていた。
友の誰かに目撃されていたなら、樹液を滴らせているクヌギに目もくれず、一目散に林を駆け抜ける僕のことを大いに怪しんだことだろう。
そいつはきっと僕の後を付けたに違いない。
 幸いにしてその朝、僕は友にも知り合いにも目撃されることはなかった。
慌てず焦らず前日まで考えていた手はずを遂行しておけばよかった。
タコ糸による案内導線や目印を設置をしておけば、あるいはまた違った物語の展開があったかも知れない。
だが、その朝僕の頭の中にはエンゼルパイを頬張って瞳を輝かせる、ジュリアの屈託のない笑顔しかなかったのだ。
 その朝はいつもとは様子が大きく違っていた。
トンネルを抜けた後、毎度お馴染みの“On your mark.Get set・・・”のくだりがそれまでとは違った。
気を失って河原に横たわる僕の意識を覚醒させたのは、スケベの濡れた舌でもジュリアの柔らかな声でもなかった。 
僕の目を開かせた“Go!”の合図は、横たわる僕の全身を叩きつける様に落ちてくる重低音の振動だった。
にわかには焦点が合わない視線の先には、低空を横切って行く大きな飛行機があった。
 心拍が跳ね上がり思わず目を見張った。
 僕はその飛行機を良く知っていたのだ。
 その飛行機は米軍が第二次世界大戦の時に使用していた、発動機を四つ持つ重爆撃機“Boeing B-17 Flying Fortress”に間違いなかった。
B17は、実は僕のお気に入りの飛行機だった。
白黒のアメリカ産テレビドラマ“頭上の敵機”や“爆撃命令”は再放送まで含めて何度も繰り返し見た。
グレゴリー・ペックの顔と名前を覚えたのも“ローマの休日”ではなく映画版“頭上の敵機”だった。
これらの戦争映画に共通した主人公たる飛行機がB17だったのだ。
 アメリカの模型会社レベルが発売していたB17Fの1/72スケールプラモデル“メンフィスベル号”をいったい何機組み立てたことか。
その武骨なフォルムに魅せられて背腹頭尾左右と、手に持った模型を矯めつ眇めつ何時間眺めていても結して飽きることが無かったものだ。
 そんな僕がB17を見間違える訳が無かった。
 呆然と目を見開く僕の頭上を大好きな飛行機が、それも実機が、超低空で何機も列をなして通り過ぎていく。
排気タービンの煤けた感じがプラモの汚しみたいにリアルだった。
補修の跡だろうか、機体に散見される一機一機異なるパッチワークみたいな塗装の光沢が妙に生々しい。
ああ、これから出撃なんだなと僕はぼんやり考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?