10. めぐる第3波
第2波の落ち着きと共にやってきた仕事の波に忙殺され、筆を取ること自体に忌避感を覚えていたら、いつの間にかCOVID-19は第3波を数えるに至った。第1波の頃と異なる点は、対応する我々の側にある程度拡充された検査体制、有効とされる治療薬、そしてウイルスに対する朧気ながらもまとまった知識があることだろう。
実際、国立国際医療センターの忽那先生が既に第2波の段階で、世界的に死亡率が低下していることを指摘している。ただ第3波においてもなお、感染者の増大が対応する医療機関の医療資源を圧迫することは、どうしても変えられそうにない。
勿論、当初どこに病院においても手探りで始められた感染対策は、日々のCOVID-19への格闘を経て医療機関にすっかり浸透した、といっても過言ではない。対策の仕方こそ、各医療機関に温度差はあるものの、COVID-19が初めて騒がれた頃と比較して医療者の間にあったある種のアレルギーも、緩和されたように思える。しかしほとんどCOVID-19が出ていない地域においては、いまだ医療者間のみならず、感染者に対して罹患したこと自体への冷たい仕打ちが治っても待っている、という現実があるようだ。
振り返ると発熱患者さんと聞けば、COVID-19に罹患した可能性があるからと門前払いのように受診拒否された病院も多かった頃と比較し、遥かに診療が行いやすくなったように思える。また地域によっては行政介入によりCOVID-19の入院対応を行える医療機関が増えたこともあり、一つ一つの医療機関当たりの負担は、分散されるようになったのも事実だろう。こうして差別的に扱われた節もあるCOVID-19は、今や各医療機関ですっかり一般的な疾患の一つとして市民権を得てしまった。特に大都市圏においては、むしろ感染予防が徹底されたせいかインフルエンザなどの他疾患の流行が少ない分、発熱時には必ずCOVID-19を除外にかかるようになって久しい。
ただ日本ではアメリカやブラジル、インドなどと比較して重症者や罹患者が少なく推移している。検査数の影響で捉え切れない無症候患者さんがいると予測される一方で、それでも重症者数が少ないことには変わりはないだろう。その背後には、日本では皆、マスク着用が標準化している節があり、ユニバーサルマスクによるウイルス暴露量がそもそも低下していることや、BCGワクチンを若年期に摂取していることなどが、挙げられるのかもしれない。その他にも、世界的な遺伝子多型の分布といった要素も含め、この重症化因子に関してはまだまだ議論が進むことだろう。もちろんイギリスから輸入された感染性の強いものが流行の最前線に躍り出たなら、現下の状況が小春日和に見えるようになるかもしれないのだが。
とはいえいかに重症者が少ないとはいえ、患者数が増えれば必然的に重症者数も増えるのは自然の摂理だろう。実際、いくつかの都道府県において、この第3波の高まりによって病床数が逼迫している。もともと日本の急性期医療機関は、なるべく多くの病床数を限りなく円滑に運用することで、ようやく赤字が出なくなる運用を強いられていたのだが、そんな脆弱な医療体制の儚さをCOVID-19は暴露してしまった。
そして諸外国と比較し、外出を制限する法的拘束力の弱い日本では、医療体制が崩壊の瀬戸際になっても、外出を制限することができない。第1波と比較し、国民の側にCOVID-19に対するある種の「慣れ」が生じたこと、また生活における喫緊の課題が社会活動へと駆り立てる人々の存在が、この第3波において感染をコントロールしきれない背景の一つにあるのかもしれない。
十分な社会活動を行うためには、感染対策を十分に行わなければならないという現実は、自分が例外と思う思考の癖の前には、重くのしかかる。なにせ時の首相ですら会食を行う日本で、誰がまともに自粛生活を送れるのか?そんな首相には実感できていないようだ。感染対策のために社会活動を大幅に制限し、その分を国が社会政策を動員して支えることを検討せねば、病床数が頭打ちになって重症者が路頭に迷う未来がすぐそこにあることが。
New England Journal of medicineに掲載されたファイザー製薬のワクチンに関する論文は、凄惨な医療現場に施された決定的な福音の一つとなるのかもしれない。感染率を抑えることが実証されたCOVID-19に対するワクチンの登場は、ファイザー製薬以外のワクチン開発が続いていることも含めて、画期的なことだ。もちろん激しいアレルギー反応が生じたという報告など、副作用に関しては長期的な視点を持つ必要があるが、結果的に医療・経済の双方を正常化させる特効薬となることが期待される。ただ変異株にも同様の有効性を担保できるのかは、蓋を開けてみないことにはわからない。
一方でワクチンの投与時期が欧米諸国よりも遅れるという残酷な現実は、日本の感染症研究が世界の最先端から引き離されたことの、なによりの証左ではないだろうか。そもそも感染症の臨床教育すら不十分で、感染症内科医がまだまだレアな存在であること自体、日本の感染症に対する危機感の欠如は甚大だったのだろう。なにせSARS・MERSといった国を跨いで感染症が跋扈する時代の予兆を見ながら、どうしてCDC構想が潰えるといったことがまかり通ってきたのだろうか。この感染症を専門とする医師が不足しているという事実は、このCOVID-19騒動が終わったとしても、多剤耐性菌を抑制するための国際的な取り組みが進みつつある現代においては、大きな日本のDisadvantageとなるに違いない。
この年末年始、重症者が路頭に迷うことがないように心から願いつつ、来年こそは願わくばCOVID-19に悩まされない日がやってきますように。
第1話:「1. COVID-19:第二波が高まる最中に」はこちら
前回:「9. 「描かれない」ことから読み解けるもの」はこちら
以降は少々お待ちください……。
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