グレーを許容する
おはようございます。
昨日、朝ジャーナルを書いてからそのまま思った事をnoteにも書いていくという流れがとても良かったので今日も書いてみることにしました。
今日は世の中に対して感じる違和感について書いていきます。最終的にはシューッとの話に繋がっていきます笑
特にX(旧Twitter)上で感じることが多いのですが、多くの人があの短い文章や表面的なものだけで是非を判断することが多いなと思います。
「これは正しいこれは間違っている」「これは白これは黒」
世の中の全てのことにおいて二元論で語れるわけではないです。
白黒はっきりではなくてグレーな部分を許容していかないと疲弊するし、反応しすぎてしまいます。何より思考の偏りが生まれ、新たな気づきの機会を失ったり成長の機会を失ったりしてしまいます。
ということで今日はそんな話をしていきます。
学校教育による影響
小学校から高校もしくは大学まで進学する人が多いと思います。
学校教育ではほとんど全てのことがマルかバツかで判断されます。
成績や進路を決める為のテストはどうしても点数をつけて順位をつける必要がある為、必ず正解と不正解で区別されます。合格不合格、白黒、良い悪い、二元論的な考え方がほとんどになります。
僕の経験上では、ディベートなどによって自分が是としていないテーマを是として考えるという習慣もありませんでした。
なので誰かから与えられた正解不正解が自分にとっての答えとして受け取ることしかできなくなります。
グレーな部分は存在する
グレーな部分はどんなことにも存在します。
これは場合によっては白だし場合によっては黒になるということです。
人の家に土足で上がるのはダメです。
でも欧米では土足で上がるのが普通です。(ダメな家も多くあるらしい)
一般的には人を殴るという行為はダメだと思います。
しかし、格闘技の場合は殴った方が良いとされます。
というように世の中のほとんどのことはグレーなのです。
殴るという行為が格闘技では良しとされるのは当たり前だと思う人もいると思います。では自分の家族を誰かの犯罪行為によって無くしてしまった時、この犯人を殴るのはどうなんでしょうか。
法的にはダメかもしれませんが、感情的にはそんなの殴って当然だと思う人の方が多いかも知れません。
グレーを許容する
ここまで書いてきましたが何が言いたいかというと、グレーを許容しましょう。
僕たちは目の前の具体的な事象に対して反応しすぎているので、その奥側を見ることでもっと思考が深くなるし、穏やかに過ごせると思います。
バスケットにも通ずるところはあります。
「シュートフォームはこうだ!」という自分の中の正解に囚われすぎている人が多いです。
僕もそうですが、中学時代にシュートは「高い位置から打たなければならない」という教育をされてきました。
今はあんまり打ち出す位置とかは関係ない、人によって違うし打ち方もこれが正解というのはないと思っています。
反面、それぞれの選手の中に正解はあると思いますし、その正解も一つじゃない、身体の状況、年齢、心理状態によって変わってくるものなのかなと思っています。
NBAだとカリーやレイアレンのように優れたシューターであってもフォームは違いますし、ヨキッチ、少し前で行くとショーンマリオンなどは割と独特のフォームですが実は3Pが入る選手です。
最後に
シュートに関しては最近セッションをすることが増えてきましたが、固定観念に囚われている人が多いなと感じます。
特に僕と同世代以上の方はシュートに関してまだまだ情報や正しい指導をできる人が少なかったこともあります。
マインドブロックの解除、パラダイムシフトとか僕は言ったりしますが、グレーを許容できれば様々なことに対して許容することができ、新たな答えや思考が広がっっていきます。
原則があれば例外があるように世の中のものは前提条件次第で見え方が180度変わったりします。
こうやって良いわれると当たり前だと思うかも知れませんが、意外とみなさん抜け出せないです。
大人になればなるほど過去の経験に囚われてグレーの領域を見つけることができなくなります。
朝ご飯は食べるべき?
大学卒業したら就職しないといけない?
学校休んで家族旅行するのはだめ?
良い例が思いつきませんでしたが、目の前の当たり前のことを疑ってみるのもいいかも知れません。
僕は最近朝ご飯食べていません。
ではまた。
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