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暑い陽気を秋風が吹き飛ばし、ようやく涼しい日々が訪れたように思う。朝晩は肌寒く感じるほどに冷えた空気が部屋に満ち、寒いという感覚を久しぶりに思い出したような気がした。それと同時に、暑いという感覚をもう感じることは久しくないのだと思うと、少し残念に思った。季節の終わりを迎える度に、そうした名残惜しさと期待を持って次の季節に向けて準備をはじめる。その繰り返しを些細に気にかけることができるかどうかで、暮らしの豊かさは随分と変わってくるように思う。

ようやく体調が回復してきて、ずっと転がり続けてきた坂道は上り坂に変わった。自分の体や心との付き合い方は誰よりも心得ているので、この調子はあと1か月は続くだろうなと感じている。周期的な波のように、やる気のでない日々とやる気に溢れている日々がやってくる。

やる気のない日々では、基本的に誰にも会いたくないし、何かの返事をすることも億劫になってしまう。返さないといけない連絡にも、それを開くのが怖くなって、結局返すタイミングを見失ってしまったりする。休日にも仕事をすることもなく、自主的に何か行動したいと思うこともない。家で本を読むか、動画を見るなどして静かに過ごすことが多い。人と会えば快活に話はするけれど、閉じた心が大きく開くことはない。

やる気の溢れる日々では、誰かと会うことが怖くなくなって、「あの人に挨拶に行こう」と積極的になることができる。本来はじめて会う人はとても苦手なのだけど、この期間だけは億劫な気持ちが芽生えることがなくなるのだ。メールなどの連絡も一瞬で返すことができるし、やりたいことに対して積極的に行動する。けれど、気づかないうちに実はかなりのエネルギーを消耗していて、そうしてエネルギーが枯渇してしまったとき、またやる気のない日々に移っていく。そうした繰り返しのなかで僕は生きている。

きっと同じように、人には誰しも周期的な何かを持っているものだと思う。ずっと動いていても全然疲れなかったり、初めて会う人とでも、大勢のなかでも楽しく過ごすことのできるような、心の快活な人もなかにはいるだろう。そうした人を僕は羨ましく思う一方で、全く違った人種なのだろうなと思ったりもする。

移住というのは、何かを新しくはじめることがとても多い。人と会って挨拶をして、たくさんの人の顔と名前を覚えて、失礼のないように気を配って振舞うことが多かった。新しい環境では慣れないことも多く、ストレスに感じる部分も最初は必ずある。そうした細やかな積み重ねが心に堆積して、疲れとなってしまったのだろうと客観的に思った。10月と11月はたくさんのイベントが詰まっていて、いろいろな締め切りにも追われてしまうので、このタイミングで体調が回復したのは僥倖だった。



先日、諏訪湖まで遊びにいってきた日のこと。まだ暑さの強い日だったけれど、木陰に入ると陽の光はまばらに差して、涼しい風が吹き込んだ。少し露に濡れてひんやりとした芝生に座って、持ってきたコーヒーを用意して本の頁をめくった。公園には子連れの夫婦が多く、ご老人が石段に座って昼食をとっていたり、ランニングをしている人で賑わっていた。諏訪湖のほとりには公園がたくさんあり、どこからでも湖を一望することができる。木々に囲まれた、山沿いに建つ家々を背景にするのもいいし、手に収まるくらいに小さくなった富士山を背景に映してもいい。まさに長閑であるという言葉がぴったりと当てはまる風景だと思った。

スズムシやコウロギの鳴き声は季節の変わり目を予感させ、融和的な気候は外でのんびり過ごすことに適していた。たまに本のめくった紙に虫が飛んできたり、足にカメムシがついたりすることも気になることはない。自然のなかで読書をすると、羽音の奇妙な虫たちが大勢いて身震いをするときがあるのだけど、人を主体とした自然であれば心地よくいられる。ある程度人の手によって整備された芝生でもきちんと土の匂いが感じられ、辺りを飛び交うモンシロチョウは軽やかに映った。寝転がって青い空を見上げると、ずいぶんと久しぶりに開放的な気分になった。

太陽を浴びて小さい光の漂う、青緑色の湖面は凪いでいる。海のように潮の匂いが混じることなく、日本海のような荒々しい様子もない。陽気な風景に凪いだ水面は僕たちの感情を映すかのようで、心穏やかな人がそこには集まっているように思えた。その場の空気がそうさせているのか、或いは、そもそも集まっている人がそうであるのか。互いが幸福に満ちており、緩やかに流れる時間のなかで過ごすことを、そこにいる全員が認めているような気がした。

牧歌的な陽気さは心地よく、レジャーハットを顔に覆って芝生に寝転がると、すぐにでも眠りにつくような気分になった。目を瞑ると柔らかい風が吹き込んで、まるでその空間と一体になったかのように、僕の体はその環境を構成する一部となっていった。頭の上を過ぎる人の足音、遠くに鳴っている音楽、若い夫婦の笑い声。柔らかい風、子供の騒ぐ声、たまに眩く光る木漏れ日。そうした環境に繊細になっていくうち、体がその一部となっていくうちに意識は次第に薄れていって、いつの間にか眠りについてしまっていた。

目が覚めると夕暮れ時になっていて、茜色に映る静かな湖はとても美しかった。この場所で湖を眺めながら、芝生に寝転がって本が読めたら最高だろうから、いつかイベントにできるといいなと思う。



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