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「チェルノブイリの祈り」によせて

                         2015/10/09 記

雑然と本の積み上がった書庫から取り出してきた、スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り 未来の物語」(岩波現代文庫)。

読み直そうとするが、最初の一行から胸がつまる。
「なにをお話しすればいいのかわかりません。死について、それとも愛について?それとも、これは同じことなんでしょうか。なんについてでしょう?」
そう語り始めるのは、チェルノブイリ事故当日、招集された消防士の新婚の妻。14日間、日々刻々と死に向かって無惨に変わりゆく夫につきそう。

この物語は、チェルノブイリの「苦界浄土」だ、と初読のとき、思った。砂田明の一人芝居が、読み進めるにつれ目の前によみがえる。

その妻は瀕死の夫にさわることも許されない。周囲の制止を押しのけながら夫の世話をする妻に看護婦が言う。「あなたは原子炉のそばにすわっているのよ」

14日め。夫の死。おくやみでもなく彼女が言われたのは「遺体はおわたしできない。遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓地に埋葬されます。亜鉛の棺に納め、ハンダ付けをし、上にコンクリート板がのせられます。ついては、この書類にご署名願いたい」。

2ヶ月後、亡夫との間の子どもが生まれ、4時間で死亡。肝硬変、先天性心疾患の娘。「この子をあんたたちにわたすもんですか!科学のために娘を取りあげるつもりね!私はあんたたちの科学なんて大きらい。憎んでいるわ!科学は最初に夫をうばい、今度は娘まで・・・」

著者自身が自分のインタビューに答えて言う。「だれもが・・・チェルノブイリのことは忘れたがっています。最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい。チェルノブイリは、私たちをひとつの時代から別の時代へと移してしまったのです」

「私たちの前にあるのはだれにとっても新しい現実です」。

──そう、3・11以降、私たちの前にある現実も。

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