見出し画像

【『精神科の薬について知っておいてほしいこと』 あとがき抄】


 今、この本の著者である J モンクリフさんの最新論文はうつ病のセロトニン仮説に根拠がないことをメタアナリシスしたもので、海外でも大きくとりあげられてるが、業界内ではやはりほとんどお約束の薄っぺらい批判や、そんなことは前からわかっていたという語るに落ちた捨て台詞の嵐に迎えられている。

 以前、メディカル・トリビューンという業界誌にこの本の著者 J モンクリフさんの論文を僕が紹介した時には、この国の業界人からも同じ批判と無視をくらった。

 今回もそうなると思うので、先手を打っておく。

 5人の様々な立場の人が集まって行った翻訳で、それぞれの立場からのあとがきをつけた。その中で、精神科医の立場から書いたあとがきの一部を、出版社の了承を得て転載する。

=============

訳者あとがき(抄):

精神科医の立場から ~余はいかにして本書の翻訳者となりしか

 僕は2013年に自分の参加する雑誌である「統合失調症のひろば」に、「抗精神病薬の神話」と題して、向精神薬、なかでも抗精神病薬がいかに製薬会社のマーケティングによって真実を歪められているかということを書いた。そこで書いたことは、抗精神病薬が統合失調症、精神病の治療にとって最重要であると言われながら、抗精神病薬治療によっては統合失調症の長期予後が改善していないこと、多くの抗精神病薬の副作用が見逃されていること、抗精神病薬の再発防止作用が過大に評価されていること等である。これらのことは、本書でモンクリフ氏が述べていることとほぼ同じであり、この状況は10年後の今も当時と変わりない。

 ここで今さらながらに断っておかなくてはならないが、僕は向精神薬の効果を否定していないし、日常診療の中での精神科医としての仕事の重要なひとつに薬物療法を置いている。特に抗精神病薬については、患者とのコミュニケーションがうまくいくための重要な手段だと考えている。ここに述べるのは恥ずかしく、なんだ、お前も結局同じことやっているのかと言われてしまいそうだが、現実には限りなく多剤大量投与に近い処方もしてしまっている。臨床実践というものは、頭でわかっているからといって、そうそう思うようにはいかないものだよと開き直ったりもする。

 そのような僕が、本書のように、今まで表に出されることがなかった向精神薬や抗精神病薬の副作用や「不都合な真実」について書かれた本を翻訳する。いたずらに患者さんやその家族の方々を不安にさせてしまうだけではないかという批判は当然あろう。この本を読んで薬を勝手に中断してしまう患者さんがいたら、お前はどう責任を取るのだと難詰されそうだ。頭から本書のような立場を否定して、もっときちんとしたエビデンスにのっとって発言しろと言う人もいるかも知れない。

 だが、それらはすべて井の中の蛙、施設の中の精神科医の言うことである。この情報化の時代においては、その気になれば本書にあるような情報は精神科医であろうが当事者であろうが、どこからでもとってくることができる。もし、本書が精神科医にとって目障りだと非難されるなら、それは僕にとっては、僕たちの活動が注目されているという名誉である。もし、本書によって患者さんに何か不都合な経緯が生じたとすれば、それがその人の人生にとってよりよい経験となっていくかかどうかが、主治医である処方医やさまざまな支援者との関係によって決まっていくだろう。そして、多剤大量処方を放置されたまま、強いられた長期の入院生活や支援の乏しい地域生活の中で幾重もの副作用に苦しむ多くの患者さんたちに対する責任が、施設症患いの精神科医たちにはあると、僕は言う。

 自分たちは定められたガイドラインにのっとって治療を行っているのだという反論もあるだろう。だが、少なくともわが国の治療ガイドラインなるものを一瞥しただけで、それが如何に製薬企業の都合でつくられたものか、あるいは金主である彼らに忖度した研究者たちが自分たちの研究成果を押し出すためだけにいいかげんにつくったものであるかがわかるだろう。それらは、本書にあるような観点に対して何らの考慮もなければ、そこでエビデンスだと堂々と言われている論文は、より評価の定まった海外の研究を無視して、自分たちの教室で行ったずさんなデザインの少数の論文を、ことさらにエビデンスのごとく持ち上げているというお粗末さなのだ。

 告白する。かつて抗精神病薬の効能が如何に神話に彩られた幻想に近いものかを知って、正直言うと僕は治療が下手クソになった。迷いと悩みが抜けない。幾つもの失敗をしでかした後悔もある。だが、少なくとも患者さんと、あるいはその家族の方々と話し合いながら試行錯誤を重ねたことは、長い目で見た治療に役立っていると思う。

 そして科学とは信じることではなく、迷いと悩みの実践の中でする思考を支える道具のひとつなのだと知ることは、ほんとうの科学的な態度なのだと思う。その迷いと懐疑、試行のための思考の小さな道しるべとして、本書をここに翻訳した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?