薬物療法と製薬資本  ~私たちは賢明な二重見当識をもとう

はじめに

  「町医者」として「野に下る」開業という道を選ぶ時、「医者という世間知らず」である私たちは様々な不安に襲われる。賑やかだった医局はいつも製薬会社の医療情報担当者(MR:Medical Representative)が出入りして、それが若い女性だったりするとなぜか先輩医師が急にそわそわしたりの華やかな世界から一人離れていくのだ。いまや大学病院ですら若い研修医は(下手をすると教授ですら)、治療についての最新の知識をMRからのレクチャーでまかなっている時代である。もしかしたら、知識の面でもこれからどんどん遅れをとってしまうかもしれない・・・。
 そんな不安に優しく手を差し伸べてくれるのが、様々な便宜やアドバイス、時には開業コンサルタントの紹介から開業資金融資の手伝いをしてくれ、あろうことか開業の不安に対する一流の精神療法までしてくれる製薬会社をはじめとする医薬品業界である。この業界とのつながりを大切にしたくなるわけである。もちろん、ともすれば閉鎖しがちな医者業界から出て幅広い社会勉強として、他業種とビジネス的かつ人間的な交流をもつことは悪いことではない。

 本稿では、現代の精神医療(あるいは医療全体)に製薬資本がおよぼす莫大な影響について、それが医療を歪めるものとして批判的に述べていく。だからといって、私は製薬企業はけしからんので製薬企業やMRたちとつきあうのをやめようなどと主張したいのではない。一部の開業医師が陥りがちな「薬屋の連中」に対する尊大で支配的な態度は、単に医師自らの世間知らずコンプレックスの裏返しであるだけではなく、実は製薬資本にとっては願ってもない操りやすいカモになっているにすぎないのである。狭い世間しか知らない精神科医にとって、最近のMRたちのようにスムーズに転職しながら多様な世間を経験してきて、内心けっこう精神科医を批判的にみている人たちとのつきあいは楽しいものでもあり、時には人生の仲間ですらありうる。そのためにも、この<医療‐製薬資本システム>の背後にある構造を知っていてほしいのである。


薬物療法の<不都合な真実>


 いきなり精神科の治療薬を話題にとりあげては、読者の反発をかうだけであろう。そこで降圧剤について、内科医ですらあまり話題にすることがない<不都合な真実>について紹介してみたい。EBM(Evidence Based Medicine)では日本をリードする医師の書籍1)からの引用である。
 名郷はまず降圧剤を服用するのは血圧を下げるためではないということから出発する。なぜなら高血圧自体は「疾患」ではないからである。ならば降圧剤を服用するのは脳卒中を防ぐためであり、その効果は如何ほどなのかという問いをたて、EBMを駆使して以下の結論を導いている。つまり、降圧剤の服用によって脳卒中を防ぐという根拠は、「絶対危険減少」で4%の減少、「治療必要数」では降圧剤服用者の25人に1人しか予防できておらず、結局「薬を飲まなくても90%は脳卒中にならない」という。このEBMを使った結論をどう臨床に生かすかは、まったく医師‐患者関係の中での具体的な検討に任せられているのである。だが、現実には高血圧の基準は年々厳しくなり、降圧剤の服用者が増えているのが現状である。この背景に製薬企業と学会の産学協同があることは想像に難くない。

 ついで、抗うつ薬について。すでに各種抗うつ薬の効果にたいした差がないこと、鳴り物入りで登場したSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)やSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)に旧薬と比べて明らかなアドバンテッジはないことや、それどころか重症のうつ病については旧薬の効果が優ることが、いくつかのメタアナリシス2),3)によって明らかにされている。さらに、抗うつ薬全般についてその効果はプラセーボと比べてあまり差がないこと(治療必要数=10、つまり投与された10人に1人に有効であること)がわかっている4)。ただ、私たち医師にとってなぐさめとなることは、抗うつ薬であれプラセーボであれ、それが医師によって処方されると明らかに有効性が高まるという事実である5)。
 抗精神病薬については、私自身の論説を紹介しておく6),7)。統合失調症の治療は抗精神病薬の登場により格段に進歩し、神経系副作用の少ない非定型抗精神病薬がさらにそれを進めたと言われている。しかし、実際には定型抗精神病薬に比べて非定型抗精神病薬の有効性が証明されたわけではないし、非定型抗精神病薬の内分泌系や心血管系に対する副作用によって長期的な害が増すかもしれないという危惧すらある。さらに、統合失調症の長期的予後が非薬物療法時代に比べて改善したという証拠すら、実はないのである。これらの事実はすでにWPA(世界精神医学会)も認めてアナウンスしているが、日本ではほとんど議論されることがない。抗精神病薬は前世紀の末から約20年間、製薬会社に莫大な利益をもたらした。そのための戦略として、WHO(世界保健機関)の「疾病がもたらす人生への負担」(DALY)が利用されたし、患者会や家族会など当事者組織、精神科医以外の職種も非定型抗精神病薬のプロパガンダに巻き込まれたのである。


製薬企業の情報戦略


 それでは、なぜこのような情報が一方に厳然として存在しており誰でもアクセス可能となっているにもかかわらず、表だって語られることがないのであろうか。明らかなことだと思うが、もちろんそれは情報の圧倒的な量の違いであり、さらにその流通規模の格差であろう。さらに残念なことであるが、多くの情報が英語であり、私たちの多くが開業するとともに(あるいは医学部教育の最初から)英語とは縁が薄くなるからである。
 後者の言語の壁についてはたとえば、日本でパロキセチンが売り出された時の世界的な状況とのズレがある。日本でグラクソ・スミスクライン社(GSK)がパキシルを売り出したのは2000年であるが、その時にはすでにSSRIを筆頭とする抗うつ薬の抗うつ効果に対する疑問がメタアナリシスによって提出されていた8)。またこの薬の依存性についても多くの報告が上がっていたにもかかわらず、GSK社はパキシルを抗うつ剤としてではなく、依存性のより危険視されていたベンゾジアゼピン系抗不安薬に替わる抗不安薬として売り出そうとしていた。GSKは「全般性不安障害」という病気を、たとえば「人間アレルギーがあるなんて!」という巧みなキャッチコピーで宣伝(disease mongering)することで、パキシルの市場を急速に開拓した。そのやり方は、全米マーケティング大賞を受賞している9)。このような動向は日本ではまったく知らされないまま(もしかしたら大学の研究者たちは知っていても言わなかっただけかもしれないが)、パキシルは新しい抗うつ薬として大々的に売り出されたのである。英米ではすでに問題視されていながら積極的には知らされなかったこの新薬の依存性によって苦労させられた精神科医は、(私を含め)多くいたはずである。

 情報量と流通量の圧倒的な格差については説明するまでもないだろう。日本は医者1人あたりのMR数が世界一多い。「製薬企業のMR総数が65,000人を超えた背景は、一部の業績好調メーカー(イーライリリー、バイエル、ベーリンガーなど)とCSOへの業務委託と後発品メーカーのMR増員によるところが大きい」10)という。そのMRの活動に若い初心の医師たちの教育が任されているかのごとき現状がある。「彼ら(MR)は、巧みな営業トークによって、いつの間にか、精神医学の「客員教授」のごとき地位を得ている。私どもは、気が付けば製薬会社に教えていただくような立場に成り下がり、教授の指導に従う研修医のように、MRの声に耳を傾け、薬剤のパンフレットを精神医学の教科書とみなすようになった」と井原は苦言を呈している11)。
    情報量の格差はそれだけではない。ネットやテレビなどのメディアを通した製薬企業のプロパガンダは、消費者である一般市民に直接行き渡る。「メンタルヘルスの健康情報サイトの42%もが、製薬会社が直接運営あるいは出資するウェブサイトであり、製薬産業から経済的に独立したサイトに比較して、生物発生的な説明と医薬品を過度に強調している」12) ことが知られている。患者がこのようなサイトやテレビCMから得た知識をもって私たちのもとを訪れた場合、その知識を否定するのは難しい。権威はいまや医師個人にあるのではなく、ネットを含むマスメディアの中にあるのだ。
 それでも私たちは、製薬企業からMRを通じて多くの貴重な情報を得られていると思っている。その内実は果たしてどうなのだろうか。製薬企業の美しいパンフレットから得られる情報を私たちはエビデンスに裏打ちされたものと信じがちであるが、そこにあげられた証拠となる論文の多くは今やゴーストライターによって書かれたものばかりである。さらにそこで使われる手法であるRCT(無作為ランダム化試験)は、それによって単に無効ではないであろうと推測されるにすぎないものであるのが、あたかも有効性が証明されたものと思わされるようになっている。そして無料で配布される便利な評価尺度は、目的の製品の使用に照準が合わされているのである(rating-scale mongering)4)。製薬企業の目的はあくまでも収益なのだ。


医療界の反省


 製薬資本があたかも医師のモラルを劣化させた原因であるかのように書いてきたが、井原も言うように「臨床の荒廃を製薬会社の疾患啓発のせいにすることは、天に唾するに等しい」13)であろう。製薬企業が批判への統一見解として言うように「私どもは、企業倫理コンプライアンスに則って疾患啓発を行っております。病気かどうかを判断なさるのは、あくまでお医者さんです。先生方にはつねに適切な処方をお願い申し上げて」13)いることもまた真実なのである。「睡眠導入剤」「退薬症候群」など、患者に忌避されたり薬の副作用を示唆する「睡眠薬」「禁断症状」というコトバをマイルドに言い換えただけの製薬企業のマーケティング戦略に無批判に乗っているのも、大学研究者も含めた私たちなのだ。
 製薬企業が企業倫理として掲げようとしてる医師への謝礼等の公開についても、積極的に反対して世間のヒンシュクを買っているのは医師の側である。「武田薬品工業が公表した12年度の「企業活動と医療機関等への資金提供に関する情報」によると、1年間に支払われた「原稿執筆料等」は13億7099万円。大学病院の医師から町の開業医まで、幅広く網羅されている。すでに個別の名前は開示されているものの、金額は総額だけだ。この個別金額の開示を断固阻止しようという医師が圧力をかけているのだ。東日本の大学病院のある教授は、次々にメーカーのMRを呼び出しては恫喝している、と業界内で話題になっている」14)というような世間の目を前に、私たちは襟を正さねばならない。
 また私たちの日常業務をぬって行う勉強会は、多くの点で製薬企業におんぶに抱っこ状態となっており、それに対してはお金がないと何もできないといういう言い訳が用意されている。その代表が学会であるが、相当大手の学会で製薬企業の援助なしに成功した例がある。第50回日本児童青年精神医学会である。残念ながら次回に引き継がれることはなかったが、医師の勉強は紐付きでなく行うことが可能であることを証明した貴重な経験であろう。「製薬企業からの寄付を求めないために」参加費を2,000円値上げし「開催趣旨に賛同された名誉会員・会員・一般市民の方々からご寄付を200 万円,京都市から助金を30 万円いただくことができました。収入と支出が等しい懇親会費や弁当代などを除くと,収入は約2,540 万円となりました。一方,支出は1,660 万円で済み,余った890万円は全額学会へ上納」したという。「製薬企業の助けを借りなくても総会を開催することができた事実を,理事の先生方だけではなく学会員の皆様にも重く受け止めていただきたいと思います」と主張している15)。見習っていきたいことであり、私たちは町医者という野に下った武士の道を自ら選んだのであるから、たとえ貧することがあれど、武士は食わねど高楊枝の姿勢でありたい。


おわりに


 統合失調症の人たちの人生をみると、時に驚くべき精緻な二重見当識によって自らの自閉的世界を守りながら、厳しい現実を渡っている人がいる。私たちも目の前の患者を診て持てる力の限りをそそぐ二人称世界と、様々な利害が錯綜した資本主義と医療産業に引き摺りまわされる世界という統合の失われた世界の中で仕事をしている。しかし、私たちはそれがいかに不完全なものであろうと、薬物療法を手放すことはできないし、その発展への期待を捨てることもできない。この世界の中で、製薬事業を担う人たちとの誠実なつきあいによって薬物療法の恩恵を最大限に引き出しながら、企業利益にしか興味をもたない製薬資本総体という怪物的収奪装置による危害をうまく避けるために、私たちもまた健全で賢明な二重見当識をもたなければならないのだろう。
 いまや、抗うつ剤も抗精神病薬も、製薬企業にとってはうまみのなくなった分野であり、その分野から資金を撤退させつつあることが薬理学系の研究室には危機感を生んですらいる16)。だが、今後の大きな問題は、認知症と自閉症スペクトラムの分野であり、抗不安薬、抗うつ薬、抗精神病薬についてここに述べてきたのと同じ事が繰り返される懸念がある。すでに多くの人たちによってその危惧が指摘されている17)。今後の推移を見守りたい。


文献
1)名郷直樹.治療をためらうあなたは案外正しい-EBMに学ぶ医者にかかる決断、かからない決断.日経BP社;2008.pp12-40.
2)Kirsch I,et al. Initial severity and antidepressant benefits.;A meta-analysis of data submitted to the Food and Drug Administration. PLoS Medicine 2008:5(2);260-268
3)Fournier JC,et al. Antidepressant drug effects and depression severity. A patient-level meta-analysis.JAMA 2010;303(1):47-53.
4)Healy D.Psychiatric drugs explained-Fifth Edition.2009/田島治,江口重幸(監訳),冬樹純子(訳).ヒーリー 精神科治療薬ガイド 第5版.みすず書房;2009.
5)Kirsch I.The emperor's new drugs:Exploding the antidepressant myth:2009/石黒千秋(訳).抗うつ薬は本当に効くのか.エクスナレッジ;2010
6)高木俊介.抗精神病薬の神話-統合失調症に対する薬物治療への盲信から脱するために(前編).統合失調症のひろば 2013;1:87-93.
7)高木俊介.抗精神病薬の神話-統合失調症に対する薬物治療への盲信から脱するために(後編).統合失調症のひろば 2013;2:167-176.
8)Kirsch I,Sapirstein G.Listening to prozac but hearing placebe:A meta-analysis of antidepressant medication.Prevention &Treatment.1998;1:No Pagination Specified Article 2a.
9)高木俊介.精神医療というマーケット-新たな「産学協同」における精神医学の役割.精神医療の光と影,日本評論社;2012.pp66-78.
10)株式会社メディサーチ,製薬企業のMR数および予想-製薬企業 MR数(2011年~2014年),<http://www.medisearch.co.jp/doukou_MRnumber.html>
11)井原裕.生活習慣病としてのうつ病.弘文堂;2013.pp134.
12)Read J,Cain A. A literature review and meta-analysis of drug company-funded mental health websites.Acta Psychiatrica Scandinavica 2013;128 (6):422-433.
13)井原裕.生活習慣病としてのうつ病.弘文堂;2013.pp17.
14)FACTA ONLINE,「山吹色」医師らが製薬会社口封じ.2014.<http://facta.co.jp/article/201404006.html>
15)門眞一郎.第 50 回総会を振り返って.児童青年精神医学とその近接領域 2010;,51(3):352-353.
16)加藤忠史.岐路に立つ精神医学-精神疾患解明へのロードマップ.勁草書房;2013.
17)名郷直樹.医療化の功罪.精神科治療学 2013;28(11):
参考文献
Angell M.The truth about the drug companies.2004./栗原千絵子,斉尾武郎(監訳).ビッグ・ファーマ-製薬会社の真実.篠原出版新社;2005

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?