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自粛の身体知 ~いま、生活を豊かにするためのセノグラフィー~|サンプルワークショップ2020「出す。」レポート#7

「セノグラフィー」ということばを、聞いたことはありますか?
聞いたことがあるという人は、「舞台美術」以外の意味を想像したことはありますか?

2020年9月22日、「セノグラフィーからアフターコロナのパフォーミングアートの可能性を探る」というワークショップが開催されました。講師は、舞台美術家である杉山至さん(以下、杉山さん)。「身体知」の体感や、まちあるきなどが組み込まれた3時間半は、密度のある学びの場となりました。

松井周の標本室メンバーがレポート記事を作成してくれましたので、
「生活をゆたかにする視座(リテラシー)としてのセノグラフィー」について、ご紹介したいと思います!

<書き手:大森唯香 編集:松井周の標本室運営>

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<ワークショップタイトル>
セノグラフィーからアフターコロナのパフォーミングアートの可能性を探る

<講師プロフィール>
杉山至 さん セノグラファー・舞台美術家
国際基督教大学卒。在学中より劇団青年団(平田オリザ主宰)に参加。2001年度文化庁芸術家在外研修員としてイタリアにて研修。
近年は演劇では青年団、地点、サンプル、風琴工房、城山羊の会、東京タンバリン、てがみ座、ダンスではダンスシアターLUDENS、平山素子、MOKK、白井剛、森川弘和、またミュージカル・テニスの王子様、オペラでは日生オペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』、ドイツ・ハンブルク劇場主催『海、静かな海』の舞台美術を手掛る。舞台美術ワークショップも多数開催している。また、近年は劇場等のリノベーションも手がけている。劇団地点『るつぼ』にてカイロ国際演劇祭ベストセノグラフィーアワード2006受賞。第21回読売演劇大賞・最優秀スタッフ賞受賞(2014年)。桜美林大学、四国学院大学、京都造形芸大 非常勤講師、舞台美術研究工房・六尺堂ディレクター、NPO法人S.A.I.理事、二級建築士。

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いま、必要か? セノグラフィックな考え方

コロナ中の生活について、杉山さんは、解剖学者である養老孟司さんの記事に共感したと語ります。

世界は見方によって、「対人の世界」と「対物の世界」に大きく分かれています。「ひとりで寂しい」というのは、「対人の世界」の話のことです。(養老,2020)

いま、コロナの影響でストップしているのは、ほとんどが「対人の世界」のできごと。飲食店、カラオケ、ゲームセンターなどの接客業が、営業の制限を求められていることは記憶に新しいことです。演劇においては、パフォームするための劇場、つまり「アウトプット」の部分が、かなり制限されています。

では、「対物の世界」について考えてみましょう。例えば農業や漁業といった業種は、それほど大きく制限されていないのではないでしょうか。影響を受けていない、と言い切ることはできませんが、それほど左右されていない世界もあると知っておくことは、大人たちにとっても、子供たちにとっても、大切なことかもしれません。

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演劇においては、舞台機構、設備の整備などの「環境をつくる」部分が、この「対物の世界」のできごとだと杉山さんは感じているそうです。制限されるどころか、むしろ、今だからこそ、動くことができる場合もある。令和2年の2月以降、公演のなくなった劇場の壁に子供達と絵を描いたり、長らく使っていた機構を大幅にリニューアルしたりと、これから見られるもの、「ダシ」をつくることに専念できたといいます。

演劇のみならず、パフォーミングアクト全般には「対人」のイメージがまず着いてくるように思えますが、実は「対物」の世界のできごとでもある。演劇は「対人」「対物」ふたつの世界を行き来している。杉山さんはコロナ禍であらためてそう実感したとおっしゃいます。

五感と身体知 実践①「Sharpen In The Dark」

今だからこそ、向き合うべきこと。それはものであり、環境であり、ひとであり、自分の身体でもある。そこで、アイスブレイクもかねて「Sharpen In The Dark」というワークが行われました。

目隠しをした状態で、鉛筆をカッターで削るというシンプルな内容です。

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私たちは椅子をはしに寄せ、ゆかにあぐらをかきます。木目のフローリングはスタッフの方が消毒してくれていたので、私は靴も脱ぎました。

各々のフォームで鉛筆とカッターをかまえ、杉山さんの掛け声で一斉にスタート。イメージをカタチにするために設定された時間は5分です。

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「昔やったことを思い出してください。もしかしたら、カッターをあまりつかったことがない人もいるかもしれませんが、初めての経験と思ってやって見てください」と杉山さん。

私は後者の筆頭で、鉛筆をカッターで削った経験は一度もありませんでした。周りから小気味良い音が聞こえるなか、怖さに制御されてしまった手元は、なかなか思うように動きません。

5分後、様々なパターンの鉛筆が現れました。後ろから聞こえていた、手際のよい音がつくった鉛筆は、芯がながく出た、バランスのとれた状態でした。

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「ほぼイメージ通り。芯と削り出した部分の比率を1:2にしようと思っていた」「先をなめらかにするとき、自分の散らばっている力が集まると、身体が小さくなる。小さく細かい作業ほどエネルギーが前に向かうので、削りかすが紙からはみ出している」と、身体感覚を詳しく言語化していくAさん。

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同じく上手に削ったBさんは「昔漫画家の先生のもとで毎朝削っていた。この仕上がりだと先生に怒られてしまう」と自身の経験と照らし合わせて語ります。

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怖くてうまく削れなかった私。鉛筆の肌をなんども確かめ、刃の当て方が鋭角でありすぎると分かった時には残り2分。鉛筆の持ち方を変え、なんとか芯の一角を削り出すことに成功しましたが、削った鉛筆は文字を書ける状態ではありませんでした…。

イメージをカタチにするのは訓練が必要だ、と杉山さんは語ります。なんどもやると身体が覚えていくし、覚えたことは忘れない。脳よりも身体が知っている、という状態が、「身体知」なのです。
また、削りながら、先生のことなど、記憶や思想、観念が湧いてくるのもこのワークの醍醐味だそう。

舞台芸術の面白さには、「身体がそこにあるという喜びや悲しさを共有すること」が深く関わっていると杉山さんは語ります。

対して、リモートが生活の一部になった世界では、脳に対して身体が置いていかれることが増えていきます。身体がどこにもいけない今、知覚を育てようとすることは、身体と環境、身体と脳とを結びつける第一歩として、有効な営みです。

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暗闇の中で、知覚をうまく使おうとする。シンプルな行為ですが、実際にやってみると新鮮な感覚が産まれました。

セノグラフィーとはなにか?

一般的にセノグラフィーは「舞台美術」と訳され、英語を分解すると、以下のようになります。

SCENE    :場、状況、現場
GRAPHY :図、視覚的表現、記述

しかし杉山さんは、セノグラフィーとは、「人と環境が美しくかつ巧みに関わる、様々な『景』を生み出すアート」でもあり、また「劇場や美術館の中だけでなく、街や風土や環境との関わりの中から、人と人、人と風物との対話・コミュニケーションの中から、生まれてきたアートの発想」だといいます。つまり、舞台美術を「つくる」ことも、シーンを五感で「把握する」ことも、セノグラフィーなのです。

大切なのは、対象が舞台の上になくとも、セノグラフィーはできるということです。逆に言えば、全ての環境や、すべてのひとと環境との交点が、セノグラフィーをしようとする人にとっての"舞台"となります。

セノグラフィーと「景」- 日本の景と言葉の有り様をセノグラフィーの視点から考える

座学では、日本の俳句や絵画にあるセノグラフィーを、「景」という概念と噛み合わせてイメージすることができました。

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・「景」という概念
セノグラフィーを日本語にすると「景」という概念になる、と杉山さんは言います。
この「景」という字は、様々な熟語に使われています。並べてみましょう。

自然<<< 光、風気、色、情 >>>人間


右に行くほど人間の様態のことを、左に行くほど自然のことを表す単語ですが、しかしどの語にも、「人間と環境(自然)が関わっている」イメージが結びついているといいます。

「景」は、人間の五感のすべてで感じることができるものです。それゆえに、「景」をあらわすことで、感情をそのまま言葉にするよりも深いものが現れることがあるそうです。

・俳句に見る「景」
日本のすぐれた俳句や絵画には、「人間と環境をつなぐ装置」としての「景」を見ることができるそうです。
例えば、寺山修司は、次のような短歌を詠みました。


マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや
(
訳:マッチを擦ったほんの少しの間の明かりで、海には深い霧が立ちこめている。私が命を捨てるほどの祖国はあるのだろうか、否、ない。)

マッチを擦る音、マッチのこげたようなにおい。海の潮のにおい、たばこのにおい、たばこの味……。ざっと挙げるだけでも1句の中にこれだけの五感の結びつきがあります。

また、景の「レイヤー」が三つ重なっているというしかけもあります。

マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや
近景     中景         遠景

「景」のレイヤーを重ねること、五感を総動員すること(=身体知を投影すること)は、人と自然のダイナミックな関わり方を表し、その先の思想や観念につながっていくのです。

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「景」を読み取り、身体に記述する - 実践②「まちあるき」

ワークショップの最後のカリキュラムは、まちあるき。
渋谷の街を30分間散策し、五感で空間、環境を体感・体験し、そこで見つけた「景」を記述する実践です。

「景」を記述する手段は、さまざまです。
スケッチ(絵)、ことば・俳句、音(サウンドスケープ)、食、におい、会話のスケッチ、シーンのスケッチ……。

オススメは、「手」を動かすことだそう。
写真を撮ることも良い方法ですが、気をつけなければ、「撮った」という意識だけになってしまうことが多いといいます。何故、何を撮ったか、意味を述べられるようにすることで、より五感を使うことができるからです。

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では、30分後!

・発表
持ち帰ったオリジナルの「景」を、1人ずつ発表していきます。

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素敵な美容室を一眼レフでうっかり無断で撮っていたら、映ってしまった大男に文句を言われた衝撃と出会いと反省をイラストに。

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喫煙所の灰皿の斜面に置かれたスタバのカップ。最寄りのスタバからかなり離れたここに、なぜ置かれたのか。ストーリーに思いを馳せる。

他にも、
・ひび割れた汚れのある壁をみて「なにかが湧き出ている」と感じたこと
・ふと見つけたフェンスと塀の間の細く長い道、行き止まりを目指してわくわく進んでいたら、ただ一枚貼られていた選挙のポスターにぶつかった経験
・ラブホテル街を歩くカップルをそっと尾けていたら、入店した三件とも満室だったときの共感性の恥ずかしさ
……などなど、バラエティに富んだ内容となりました。

学んだばかりの「景」を記述することは難しいことでしたが、杉山さんはどの発表に対しても、地形の知識を重ねたり、その時にしかない五感の表現を尊重したりと、ニコニコと応えてくださいました。
それぞれの出会いに高揚した発表と、オリジナルな五感による、決して同じにはならない発見と表現をみて、「セノグラフィーは、楽しい!」と強く感じました。

セノグラフィーと共に生活する

「いままで身体を使おうとしていたか? 身体で知ろうとしていたか?」
帰り道、自分へまず問いかけて、すぐに「NO」を出しました。

私はいままで「身体が脳に置いていかれる」ことに、問題意識を持ったことがありませんでした。自粛に際してモニターに向かう時間が増え、眼精疲労が続くことも少なくない日常。「身体知」やセノグラフィックな視点をもつことよりも、「脳」をうごかそうとする意識が、どんどん先行していたということを、私はこのワークショップで自覚しました。

みなさんは、いかがですか?

考えながら外に出れば、まず体が反応するはずです。そもそも、ぼくらは「意識」を信頼しすぎているんです。自分の意識が体を動かしている、と思っているかもしれませんが、そんなことはありません。人間の場合、意識は本来、外の世界に対応するためにあるものです。
(養老,2020)

養老さんの考えをすぐに身に付けることは難しいですが、少なくとも「デバイスや視覚情報にではなく、私は私の身体にコントロールされたい」と思いました。
また、意識せずに行っていたセノグラフィーにも気付きました。たとえば散歩にでかけたときに考えごとが捗ること、それはセノグラフィーという営みの一部であるかもしれないのです。

身体で覚えること、五感をつかうこと、環境と交わること、その先でその時限りの思想を見ること、なにかをアウトプットするときに、自分の知覚を投影すること、それらがすべて舞台の外側でも活きてくること。今まで自覚なしに行なってきたことが「セノグラフィー」という概念のうちにあるのだと知ることで、自分の身体感覚を変えていけるようなイメージが湧きます。

このワークショップでは、身体がどこかに行きづらい今こそ、身体をさぼらず、感覚を研ぎ澄ますことの大切さを学びました。「生活を豊かにする視座(リテラシー)」としてのセノグラフィーは、いまを生きるすべての人に関わる、故く新しい概念なのではないでしょうか。

「アフターコロナ」「パフォーミングアート」を冠したワークショップながら、私が感じたのは「自粛の今こそ、生活を豊かにする」可能性としてのセノグラフィーでした。

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杉山さん、ありがとうございました!

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参考WEBサイト
養老孟司「将来YouTuberを目指す若者たちへ」NEWSポストセブン、令和2年5月23日
voids「ここは林試の森。なにができる? オンラインミーティング」
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「松井周の標本室」とは
松井周が主催する、スタディ・グループです。
芸術やカルチャーに興味のある、10代~80代で構成されており、
第1期(2020年度)の活動期間は2020年4月~2021年3月の1年間です。

標本室メンバー自身も「標本」であり、また、
標本室の活動を通しあらたな「標本」を発見していきます。
「標本」を意識することで世の中を少し違って目線で見たり、
好きなことを興味関心の赴くままに自由に話しあえる場を作りたい。

そんな思いのもと、テーマに応じたトークイベントやワークショップを開催し、ゆくゆくは演劇作品のクリエイションを行っていく予定です。

お問合せ先:hyohonshitsu@gmail.com

サポートは僕自身の活動や、「松井 周の標本室」の運営にあてられます。ありがとうございます。