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わたしは「あなたの近しい人」です|サンプル・ワークショップ2021『ほり出す。』〈介護〉開催レポート

岡山を拠点とし、老いと演劇をテーマに活動する菅原さん。昨年に引き続き、今年もワークショップを開催していただきました。今まさに老いと介護について向き合ってきた標本室のメンバーが、自らを振り返りながらレポートを書いてくれました。

〈書き手:畑文子 編集:松井周の標本室運営〉

菅原直樹(C)草加和輝

〈ワークショップタイトル〉
『老いと演劇のワークショップ』
〈講師〉
菅原直樹(すがわらなおき)さん 
俳優・介護福祉士/「老いと演劇」OiBokkeShi主宰

写真:©︎草加和輝

■「まえがき」という少し長い「まえおき」

「不老不死」であることは、人間にとって本当に幸せなことなのだろうか。

手塚治虫は1954年から数十年間にわたり、『火の鳥』を通してこの問いを投げかけ続けた。そして、今や我々は人生100年時代を手にし「セカンド・ライフ」さらには「ファイナル・ライフ」をアレンジしなくてはならなくなって、そのための気力体力経済力をどうしたもんか、途方に暮れている。

私もまた、その一人だ。
今年、私は38年勤めた仕事を退職した。
実際のところかなり前から、目とか耳とか、足とか腰とか、確実に「老い」は私の所にもやってきている。そして数年前に突然、両親も認知症を発症していた。

そんな私に菅原さんは、超・高齢化社会という海を泳ぎ切る手立てを、穏やかに、かつ鮮やかに示された。
以下、アルカイック菅原スマイルにすっかり魅了されてしまった私の、極めて個人的な「老いと演劇のワークショップ2021」振り返りレポである。

なお、この菅原さんは昨年もサンプル・ワークショップを担当されており、そちらについては、標本室運営稿のnoteをご覧頂きたい。

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■「OiBokkeShi」という劇団と私

私がその存在を知ったのは、2018年の夏。
徘徊演劇『よみちにひはくれない』~菅原直樹の出世作を浦和バージョンに改訂上演~と、地元さいたま市の広報を見たのがはじまり。

同年6月に他界した、攻撃型認知症を発症していた母は、夜昼問わずたびたび行方不明になる人だった。だから《徘徊演劇》という、聞き慣れた言葉の妙な組み合わせは、じわっと心に沁みた。

一人残されて惚気ている父と、たまには一緒に住み慣れた街でも歩いてみるかと、チケットを2枚買って9月23日をむかえたが、元気だったはずの父の心もとうとうぷつっと壊れてしまって、家から一歩も出られなくなっていた。

仕方なく私は一人、当日集まった知らない一群れの人たちとともに、「徘徊中」というカードを首から提げて、埼玉会館を起点に浦和の街をたらたらたらたら歩いて回った。
見知ったはずの蔵造りの喫茶店や眼鏡屋を巡って、終点は(偶然にも)同級生の薬屋だったという落ち。数ヶ月ぶりにようやく少し笑えたことを思い出す。

■「老い」も「ボケ」も「死」も問題ではない

2021年7月17日。北千住BUoY。

「OiBokkeShiとは、老い+ボケ+死なんですよ」と最初に由来を明かす菅原さん。改めて、私は当事者意識を強くする。

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会場の椅子は、ディスタンスを意識してポツポツ飛び飛びに置かれていて、私が到着したときにはその殆どが埋まっていた。たぶん参加者の平均年齢は私の半分ぐらいで、若い人たちがみんな右肩上がりで、菅原さんの口から出るその一言一言を待ちうけている。

介護ワークショップ、本当に興味あるの?何が知りたいの?
むしろ、さっきここに来るまでの道のり、北千住駅近くのディープな空間、ウナギの寝床のような居酒屋で談笑してる方が似合ってるよね。

意地悪な気持ちは、菅原さんをもターゲットにしてしまう。
――出来事が、何にも無くなってしまうということが「老い」なのでは?(畑、心中表現)
菅原「〈老い・惚け・死〉には、〈辛い・悲しい・重い〉があります。これに向き合おうと思った人、向き合った人は、もう前向きになるしかないじゃないですか。だから、むしろ挑戦の気持ちがわいてくるるんです。」

――他者に迷惑をかけながら、生きていくことが「老い」なのでは?(同上)
菅原「だから地域に繋がるんですよ。」「お年寄りほどいい俳優はいないんです。」

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これまでの活動をスライドで紹介しながら「ほらね。」と菅原さん。OiBokkeShiの作品、BPSD『ぼくの(B)パパは(P)サムライ(S)だから(D)』で、元気に刀を振り回す老人のリアル。確かに、ボケ老人の問題行動は、「問題」なんかじゃない、とも思える。
(編注:もともとBPSDとは認知症における行動・心理症状を指す用語。怒りっぽくなる、乱暴になるなど)

ワークショップその1 アソビリゼーション(将軍ゲーム)

まず体の部分を1〜5のパーツに分ける。1人が将軍となり、周りの人が将軍の数字の指示に従って体をタッチする、というシンプルなゲーム。でもなかなかできない。だが、できない方が、面白い。

できないことやできなかったことは、できるようになる(する)のが、一般的な人の考え。でも老いの世界は、頑張ったってできないことだらけ。
頑張っても、できない。無様。
そう深刻にならずに、笑いに変えるのがアソビリテーションだ。

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ワークショップその2 イストリオニ(椅子取り鬼)

続いてまた簡単な(だけどできない)ゲームを行なっていく。

イストリオニ。私たちは椅子に座っているが、どこかに1つ空席がある。オニが空いた椅子に坐ることを阻止するのが私たちのミッション。誰かが座っている椅子には座れないので、オニが座る前にオニが狙う椅子に座ってしまえばよい、というものだ。ただし、私たちは言葉を交わしてはいけないので、「私そこ行くね」などと声をかけることはできない。オニも私たちも無言で動く。

ラピュタのロボット兵のように両腕ぶらぶらさせて、ゆるゆると椅子に坐った私たちの間を徘徊するオニとなった菅原さん。
ものも言わずに、じりじりと近づいてくる。
個人で咄嗟に判断すると、空席の近くにいる数人が慌てて一斉に動いてしまって、結局オニに椅子を取られる(一度お尻を離した椅子に、もう一度座ることはできない)。
だから、周囲をよく見る。誰が動くのか?遠くにいる人が気づいて、動く。配慮することが大事。
でも現実世界、これがとても難しい。

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らくらくホンを2機、次々となくした母に憤ったことを思い出す。あれって、無くしたんじゃなくて、棄てたんだ。操作ができなくなっていく苛立ちと悲しさに苛まれて。
今、気づいても、もうどうしようもないのだけれど。

ワークショップその3 イエス・アンド・ゲーム(YES AND Game)

どんな言葉が返ってきたとしても「いいですね!」とイエスで返してみようというワーク。
言動を正すのか受け入れるのかの二択について。
認知症の人は、過去の記憶や論理を、今のことのように感じて話すことがある。なので、今の論理や理屈で考えると辻褄が合っていないと感じる発言もある。しかし、だからと言って否定するのではなく、受け入れてみてはどうだろうか?というのが菅原さんの提案だ。なぜならその時々の感情は、記憶に残るのだから。

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先日、Facebookで「過去の思い出をふりかえろう」と促されて見た7年前の記述に、「母からの電話は24時間予告なしにやってくる。今日は〈高気圧〉と〈痔〉の質問だった。母とひとしきり話したあとで、明日もいろいろ教えて下さい、と言って切れた。何だかおかしくて悲しい。」と記録してあった。

あの時母はどんな感情を記憶したのだろうか?

ワークショップその4 「中核症状」体験

認知症特有の症状を「中核症状」という。記憶障害や、見当識障害や、判断力低下が原因で起きる症状で、例えば見当識障害の場合、「いまがいつなのか」「ここがどこなのか」「目の前の人はだれなのか」がわからなくなる。


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そこでグループを組み、認知できる領域が狭くなったり、切れ切れになったりすることで生じる「中核症状」を、発する人、受ける人、受け流す人、それぞれの役割を演じてみた。

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一人だけ話題と関係ない言葉を発する(中核症状を出す)。その時に、周りの人が無視したり、受け入れたりして、体感の違いを味わうワークだ。

言葉がすれちがったまま交わることのないやりとりは、眺めているだけでもカサカサする。
一方で、私たちが今いる世界の一部分が、それがたとえほんの一部であったとしても、こうして切り取られてしまったならば、誰だってこんな風な空間で生きることになるんじゃないの?私たちが今生きているこの空間は、誰にとっても同じだとも感じる。

■みんな自分の役割を演じている

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最後に互いに感想をシェアする時間が。

それぞれの関係性や社会的立場によって、私たちは自然と振る舞いを変えている。これは、常に様々な役を演じているようなものだ。しかしその配役は、あるときを境に、消失する。

「老い」「ボケ」「死」は、一つの流れの上にあって、それぞれの尺は人によって異なるし、多少の前後もある。

私はこのことを、誰からも教えてもらわないまま生き、演じてきた。だから、演じるものを失った人を見た時、それを突然やってきた異物のように感じてしまったのだ。

「どなたですか?」

という言葉ほど、悲しく響く言葉はないだろう。
この言葉を親に投げかけられたとたん、今まで意識的に演じたことのない「親子」の役が、強制的にまわってくる。

私は大根役者だった。
強すぎる絆を客観的に演じるのは難しすぎた。
本当は、これまで積み重ねてきたあなたとの間にあるものを、社会的に定義されてきた立場や関係性を、私を、どうやって伝えればよかったのだろうか。自分自身ですら老いて自分がわからなくなってきているのに?

「でもね、その時が来ても、正解を探さないでいいんですよ」
菅原さんのこの言葉が、私をすうっとすくい上げてくれた 。

父は母の他界をきっかけにボケて、そして今年の5月に葬儀を行なった。
私は母を、父を、正しく看取れたのだろうか。
どうすることが、正解だったのだろうか。今日ここに来て、何かヒントが掴めるのではないかと期待していたようだ。

でも、そうか。
もしあのときに戻れるのなら、とりあえず、私は「わたし」になろう。
そして、「あなたは誰?」と聞かれたら、今度はしっかりと、「あなたの近しい人です」と答えて、一緒に笑いたい。

〈講師プロフィール〉
菅原直樹(すがわらなおき)さん
俳優・介護福祉士/「老いと演劇」OiBokkeShi主宰


1983年栃木県生まれ。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。青年団に俳優として所属。小劇場を中心に、前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大の作品などに出演する。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として勤務。2012年、東日本大震災を機に岡山県に移住。認知症ケアに演劇的手法を活用した「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。超高齢社会の課題を「演劇」というユニークな切り口でアプローチするその活動は、演劇、介護のジャンルを越え、近年多方面から注目を集める。平成30年(第69回)度芸術選奨文部科学大臣賞新人賞(芸術振興部門)を受賞。
松井周の標本室とは
松井周が主催する、スタディ・グループです。
芸術やカルチャーに興味のある、10代~80代で構成されており、第2期(2021年度)の活動期間は2021年4月~2022年3月の1年間です。

標本室メンバー自身も「標本」であり、また、標本室の活動を通しあらたな「標本」を発見していきます。
「標本」を意識することで世の中を少し違った目線で見たり、好きなことを興味関心の赴くままに自由に話しあえる場を作りたい。
そんな思いのもと、テーマに応じたトークイベントやワークショップを開催し、ゆくゆくは演劇作品のクリエイションを行っていく予定です。
お問い合わせ:hyohonshitsu@gmail.com

サポートは僕自身の活動や、「松井 周の標本室」の運営にあてられます。ありがとうございます。