見出し画像

「無意識」へ捧げるもの

*いいかげん日課みたいなものがあって、日々髪を乾かしたり足つぼしたりしてる時に、この猫と人3兄妹の動画を見る。

娘ちゃんが生まれた時くらいから見るようになった。この秋で2歳になるのだが、たまにちょっと前のを見ると「大きくなった…!」とびっくりする。そのかわいさを日々ますます発揮していっている。
お兄ちゃんの蒼くんと妹の梅ちゃん、私は猫と暮らしたことないけど、2人を見てると、ほんっとうにそれぞれ違うんだと分かる。しゃべるわけじゃないのになんで分かるんでしょうね、でも目線立ち居振舞いそのすべてが、固有さをまんま伝えている。蒼くんの静かな愛も、梅ちゃんの柔らかな愛も、ただただばっちり伝わる。
娘ちゃんが当たり前に猫化していて、一緒にいる空気感が完全に兄妹で、もう本当に幸せなんです。
日々見ている中で気づいたことがある。
見ている時、私は基本かわゆ~~ゆるむ~~~と思い、三者三様にかわいすぎてくすっとなる。にやにやする。
でも、私の右斜め後ろにいる大きななにかは、涙を流している。静かに立ち尽くして、幸せな涙を流している、泣き声も立てずに。
A.ホドロフスキー『リアリティのダンス』を読んだ時、その泣いている者が私の「無意識」だと分かった。
ただの自分でしかない3人の当たり前な幸せを見て、意識の自分では手が届かないところに、幸せな水分が落ちる。「ただそこにある圧倒的ななにか」が私を治癒する。
本当にありがとう、これからもすくすく!という祈りが3人を少しでも守りますように。

*Fireタブレットを買った。大きな画面で動画を見られる喜び…!白にしてよかった、ちょっとちゃちいボディにきゅんとする、なんかおもちゃみたいで。
それから毎日アニメポケモンの金銀編を、1日1~2話ずつ見ている。ちゃんと見るというより半分BGMがわりに流す、という感じ。子どものアニメなので展開も読めるし非常に感動的というわけではない、主人公たちの言動もけっこうめちゃくちゃ笑。でも私は、ド世代で大好きで、見たかったけど当時は見られなかったんだよなあ。そのときの思いを叶えるつもりでぼちぼち見始めた(同じことを昔やったけど金銀をとばしていたので)。
少しずつ見ていく。少しずつ父を許せる。少し毎日の体が軽くなる。それは意識で詐称できない部分に、ちゃんと効いている気がする。
今見てるところの主題歌は「OK!」という曲で、当時の私も知っていた。この曲の「まだ見たことない誰かが未来で待ってる。だから生きなくちゃ」という気持ちは、私の子ども時代のテーマだった。

*米津玄師さんの作品はホドロフスキーのサイコマジックのようだな、と思った。
特別ファンというわけでも詳しくもないのですが(「海の幽霊」はMV が好きすぎてめっちゃ見た、海獣の子供本編より好き)、「カムパネルラ」のMV を見て改めてそう思った。
彼の根底のテーマに「失われたものへの祈り」というのがあると感じる。それを音や詞、映像を通し、無意識が「まさにこのすがた」と感じるやり方でそのままあらわす。芸術だ、と心から思う。
2018年早春、帰国以来はじめて台北に行ってきた。2年弱、台湾は変わらなかった(MRTは延びていたが)。私の方は色々変わった。万感の旅だった。
早朝日本に帰りつき、成田から自宅へ向かう。船橋駅ホームで乗り換えの電車を待っていた時、強い春一番に吹かれた。
その時頭の中に大音量で「Lemon」が流れた。
当時私はほぼこの曲を知らず、街中でちらっと聞いたくらい。でも再生はやまず、春一番の中どこからか訪れた「Lemon」を聞いていた。なぜか少し泣いた。
変わってしまった自分、愛しい場所は二度と自分の家にはならない、あの頃に戻りたいわけでもなくただ祈りがある、そんな気持ちがこの曲を呼んだのだと思う。
あの風と旋律を忘れることができない。
自分でも触れられないものに優しく忍び込み昇華してくれる、本物の存在に、心から感謝している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?