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【ネタバレ無】『ライブ・スペクタクルNARUTO』8年分の感想/前編~原作過激派、マンガを人が演じる楽しさに出会う【 #舞台NARUTO 】

この記事から1年経ちました。

2015年の初演から8年。この10〜11月の『ライブ・スペクタクルNARUTO 〜忍の生きる道』で、ついに完結します。
「完結します」と未来形で申しましたが、先日KAAT神奈川芸術劇場公演を見に行ったので、私の中では一度「完結しました」。明日の東京の凱旋公演大千穐楽を残して「完結します」といった形です。

この作品は、昨年の記事でも述べたように、ずっと感想を書いてこなかった作品でした。すごいことをしようとしてるな、と息を呑んでから7年(昨年執筆時点)。

なぜ改めて昨年、そして今年に「書こう」と思ったかというと、自分で読解した以上の世界に出会える「2.5次元舞台」、あるいは「翻案作品」の“本懐“のようなものを感じたからでした。

8年の集大成なのでゴミくそに長いです。長すぎて前後編に分けてるのだけど、それでも長い。ちょっと覚悟して読んでください🐍
(後編は大千穐楽後に公開します)


原作過激派の私が出会った理由

そもそも、私は『NARUTO-ナルト-』(作・岸本斉史)を愛読していました。そして、初演の2015年当時、私自身は2.5次元舞台・ミュージカルというものをよく知りませんでした。
2.5次元舞台の始祖と言っていいのかな? テニミュの初演が2003年。そこからすると、随分長く通らずに来たなと感じます。後から振り返ると、セラミュのネルケ版や刀ステ・刀ミュの初演などが2010年代の話で、ネルケ・プランニングを中心に、2.5次元舞台・ミュージカルを盛り上げていくぞ!という時期だったんだなと思います。

私自身は、宝塚歌劇やドラマの「マンガ原作もの」に慣れ親しんでいたので、2.5次元ものに対して抵抗はありませんでした。ですが、”抵抗はなかった”ものの、”元々ファンの作品をわざわざ人が演じる舞台で見たいか”と言われたら「別に見たくないな」と思っていました。基本的には、今もそのスタンスは変わらないから、この業界の難しさを感じるのですが。

ですが、この作品の脚本・演出が、児玉明子さんだということを知ったので、途端に興味をもつことになりました。
児玉明子さんとは、2013年まで宝塚歌劇団の座付き作家でした。彼女は、在団中にも『メイちゃんの執事』(宮城理子作)を舞台化した経験を持ち、何より私が一番好きな座付き作家でした。(拙著参照)

「児玉先生が書くなら、面白いかもしれない」

そう思って、最初は児玉先生の旧友である、弊社の先輩に誘われて見に行きました。
それが最初の『ライブ・スペクタクル NARUTO』シリーズとの出合いです。
ほぼ無名の役者が演じる”木ノ葉の子どもたち”。全編の”起”部で結ばれる初演のクライマックスには度肝を抜かれました。

「全72巻を分けて上演しようとしている……?」
「何年かけるつもりだ……?」

その驚き。ロングラン公演の新しいスタイルが始まることを目の当たりにし、心が奮えた2015年の通路前一列目。あの日のワクワクは、昨日のことのようにおぼいています。

その話は前回も細かく書いたので、併せてご覧ください。

自分で読んだとき以上に好きになったキャラクターを見つめる

香燐とカブトと 〜鬼気迫る演技で初めて気づく「自分の至らなさ」

私の座右の銘の一つに「あたしは自分の目よりはじめちゃんを信じるわ」(『金田一少年の事件簿』「金田一少年の決死行」より)というのがあります。別の漫画の話で大変恐縮ですが、主人公の金田一一が高遠遙一という殺人コーディネーター()の罠にハマって、あたかも彼が殺人を犯したかのような光景を見せられた上で、ヒロインの七瀬美雪が放つセリフです。

一瞥すると、単にヒーローを妄信的に慕う意思なき弱々しいヒロインの「寄り添い芸」に見えますが、私にはこの言葉が創作物を見るうえでの心構えとして、大きな支柱となっています。
事実、目の前で「見たはず」の光景は高遠のトリックで、真実は別にあった。人は、確かに目にしたものも騙されている可能性があると気づきました。

私は人に取材をして物を書く仕事をしている、その一文にとんでもない責任が伴うと自覚しているということもあり、自分の目や耳を「信用しすぎないこと」。これを座右の銘にしているというわけです。

よく、醜聞などを前に「見聞きした物しか信じない」といっている人がいますが。逆です、逆。

見たこと、聞いたことも信じない、自分の絶対的に信じるもの(信念)の他においては、というのが正解だと思うのです。

翻案作品において特に私は似たようなことを常に頭の隅に置いています。
「私の読んだ通り」が「原作通り」とは限らないということ。何をもって原作通りというのか? 原作を一番理解しているのは誰か?――
もちろん、原作は原作者だけのものだとも到底思いません。原作者が原作を愛するがゆえに、原作の解釈として「!?」みたいなスピンオフを展開している例も知っています(e.g. 『エンジェル・ハート』)(美樹をロリ化したこと、一生許さん)

たったこの節だけでも前置きが長くなりましたが、言いたいのは、2.5次元舞台として「生身の人間」がキャラクターを演じてくれることで”自分一人で読んだとき以上に愛せた”と思うキャラクターがいたということでした。
こんなに『NARUTO』が好きで、何回も何回も読んだはずの私なのに、それでも2.5次元舞台として「生身の人間」がキャラクターを演じてくれることで”自分一人で読んだとき以上に愛せた”と思うキャラクターたち。原作過激派なのに。美樹がロリ化したり、香が死んだりしただけで大暴れする”原作厨”だったんです、彼らに出会うまでは。

まずは香燐。サスケが率いる蛇・鷹のメンバーで、能力を買われてフォーマンセルに加えられたうずまき一族の女性でした。
登場は2017年、ペイン編をまとめた『NARUTO~暁の調べ~』より。登場から今作まで、七木奏音ちゃんが務めました。
初演から6年経った今、彼女は押しも押されぬ2.5次元界隈のスターですが、とにかく私は初登場時から香燐のトレードマークである分厚い眼鏡の奥のきれいな面立ちに魅了されていまして、初見からすっかり本人のファンになってしまっていました。今年はついに『いとしの儚』(悪童会議)を、彼女目当てにわざわざ見に行ったほどに。
美しい容姿、身体能力、情感豊かな歌声。何よりかわいらしい雰囲気で、2.5というか、日本演劇界の宝だと思います。素晴らしい出会いをありがとう、香燐。

香燐というのは、彼女に限ったことではないのですが、そこまで細かく生い立ちを描かれない人物の一人でもあります。中忍試験のさなかにサスケに恋したらしいことは描かれているが、詳細はわからない。ですが、サスケを殺す覚悟で向かったサクラに、心が壊れたサスケに殺されかけた状態で対峙するというかなり重要な役どころでもあります。
ただ、めちゃくちゃ難しいのが、このころには重要な役どころが多すぎて、コミックスを読んでいるときは香燐のことなんて気に留めてる暇がなかったんですよ。敵の戦闘力は天井知らずでインフレ起こしてるし、ね(ジャンプあるある)

なので、七木ちゃんに見惚れたことで、改めて香燐に目がとまりました
それを通してサクラちゃんの覚悟とか、それを取り巻くナルトやカカシとか、なんだかんだ香燐を迎える大蛇丸や水月とか、気に留める暇がなかった人たちの心に色がついて見えました。
「サラダを取り上げた」なんてエピソードにも、説得性が増した気がする。
人が演じたことで一番好きになったキャラNO.1が、香燐です。香燐のおかげで七木ちゃんに出会え、七木ちゃんを通して香燐に再会できました。

演じてる人を通して理解が深まったもう一人は、薬師カブトです。
カブトは原作でも中忍試験からずっと出ているので、2015年の初演からさまざまな人が演じ続けています。禁術・穢土転生を使って戦場をかき回す、クライマックスのキーマンでもあります。
そんな大役なので、彼に関しては香燐のように「気に留めなかった」なんてことはすこしもなく…… 生い立ちも細かく描かれていますしね。
ですが、シンプルに興味がわかなかったキャラクターでした。何の感情移入もできないし、する必要を感じないし、そういうキャラじゃないと思い込んでいた

それが、2022年の『NARUTO~忍界大戦、開戦~』で演じた矢田悠祐くんの好演で、一気に解像度が上がっていきました。
涼しい面立ち、少し神経質な声、それでいて激情的な芝居。それは、私が一人で漫画を眺めているときにイメージした「カブト以上にカブト」でした。私などの浅い読解力ではつかみきれないカブトの苦悩が、矢田くんを通して痛いほどに伝わってきて……。
特に、カブトはあれだけのことをやっておきながら「イザナミ」を克服してみせます。
原作を自分で読んだときには「カブトはなぜイザナミを克服できたのか」ということに興味もわいていませんでした。でも、よく考えるとすごいことです。サスケは置いといて、カカシが月詠にかけられたときは、綱手の力が必要でした。その一方、カブトがたった一人の力でイザナミを克服できたのには、絶対に理由や素質ががあるはずなんです、よく考えれば。
矢田くんのカブトを見て、その哀しみや絶望の演技の深さに、改めて「彼ならイザナミを克服できるだろうな」と思いました
いや、してほしいと思った。

よく、文章の「行間を読む」と言います。
小説でよく言われることですが、漫画にもあるんだなと痛感したのが『ライブ・スペクタクル NARUTO』の観劇体験のおかげです。
漫画は小説と違って、絵で情景が補完されているように見えますが、それでも読者が見えているのは、人物が生きている人生のほんの一部なのだということ。
コマとコマの間や外……その世界を、生身の人間が演じるからこそ鮮やかに描きこ起こされる感覚を知ったこと。

それは、2.5次元舞台・ミュージカルだけでなく、「自分の見たものを信用しない」という、創作物全般を受容する際の心構えに通じています。

大蛇丸とヒナタ 〜性別のゆらぎと演じる技術

先述の通り、脚本・演出の児玉さんは元宝塚の座付き作家でした。
近年、宝塚OGの集客力は注目を集めていて、そこに期待して企画・キャスティングされた、いわゆる”客寄せパンダ”的なOG起用も目立っていますが……

宝塚出身の児玉さんと製作スタッフたちは、やみくもにそれをすることはありませんでした。特に、木ノ葉の子どもたちには若手キャストを積極的に登用し、8年かけて育ててきました。他のカンパニーが育てたものを横取りして大きな顔をしている事務所や制作会社が多い中、すごいことだと思います。

そんな中、元タカラジェンヌは2名だけ起用するのですが、その起用にも強い想いを感じます。

悠未ひろさんが演じる大蛇丸
大蛇丸は口調は女性っぽいけど、設定上は一応男性ということになっています。(本人は「どっちでもいい」的なことを言ってるが)
これ、舞台化するにあたって、普通に考えるならば「中性的な男性にやらせよう」と思うのが常じゃないかと思うのですが……
それをあえてせず、「元男役スターの女性」に演らせるという選択肢を取った。すごく面白い選択で、なおかつ大蛇丸のキャラクターの再現性において、重要な決断だなと思うのです。

大蛇丸は、両親を戦争で亡くした哀しみから強さに固執するようになり、「忍者とは忍術を極めるもの」という信念のもと、禁術の開発にのめり込むようになります。しかし、その一方で、本来自分の”容れもの”にしようとしていたサスケの生き方に興味をもち、彼をサポートするようにもなります。その唐突な心境の変化から、ファンの間では”保護者丸”などというあだ名で呼ばれたりもするのですが、この点も、原作だけの描写だと少々唐突な印象に感じられもします。

狂ったような強さや技への固執と、一度サスケに殺された後の思想の変化と――この温度差というか、行間というか。それを埋めたのが”元男役スター・悠未ひろが演じる”という配役の妙だったと思っています。

悠未ひろさんは、身長が179cmと男役スターの中でも長身で、中性的な役柄を演じたことは一切ありませんでした。それでいて、優しく包容力のあるおおらかな雰囲気で人気を集めたスターでいらっしゃいました。
「女性」である彼女が、「男役」として10年以上男のカッコよさを極めつくしたというキャリア。そのうえで、圧倒的な強さと、その強さへ固執し、それでいて性別や性的なつながりには一切固執しない……だが次第に、負けたことで人と人のつながりには興味をもつ。そんな複雑な存在である大蛇丸を、そんな元男役スターが演じたこと。
8年にわたるこの公演、最大のキーマンのように思います。

大蛇丸が、サスケに出会って見せた未来への希望のようなやわい気持ちを、もっと早く持てていたらなぁ……それをさせられなかった戦争という大人の、人間の最大の罪……
そんなことを大蛇丸に対して考えられるのは、ともさんが元々もっているあたたかさのおかげだと思うんです。素晴らしい配役でした。

で。この、”性別のゆらぎ”という点でいうと、一見大蛇丸だけ?あるいは、同じく大湖せしるさん演じる綱手?と思われると思うんですが……
星波さん演じる日向ヒナタも、その配役が絶妙だなと思っています。

ヒナタは日向家本家の長子でありながら、妹や従兄弟にも能力が追い付かず、苦悩する気弱な女の子です。忍者学校時代から、虐げられながらも前向きに生きるナルトに思いを寄せ、控えめながらも叱咤激励してともに戦う姿に、ファンも多い準ヒロイン的な存在。

原作『NARUTO-ナルト-』の面白いところは、この主人公の恋愛模様が、人物のヒエラルキー(ヒロインとかどうとか)に必ずしもかかわっていないところがあります。あくまで、この話のヒロインは春野サクラ。最初のうちはナルトも彼女のことが好きなのですが、彼女は一途にサスケのことを想い続けます。ナルトはそれを見守りながらサスケを助けたい一心で戦い、その道程で、自分をずっと見守り、必要なときに背中を推してくれるヒナタの存在に気付く。男主人公の”ご都合主義でない”というか、リアルというか……そういうところも、当作の魅力の1つです。

”怪力綱手”の弟子にして勝気なサクラに比べ、ヒナタは終始控えめで、いわゆる”(オタク男性が好きそうな)ヒロインらしい”女の子。
それを演じる星波ちゃんは、端正な顔立ちにスマートな立ち姿の、いかにも高貴な雰囲気の美女(日向家は名家ですから)で、一瞥するに「ヒナタっぽい」と思いました。

が、彼女のことをよく知るほどに、これもまた単に”ヒロインぽい”ということではないのだなといいうことに気づかされるのです。
彼女はこれまで、THE HOOPERS、ael-アエル-といったグループで、男装アイドルとして活躍していたということを知りました。男性顔負けのアクロバットがウリだったそう。

ヒナタもいわゆる”(オタク男性が好きそうな)ヒロイン”とはいえ、忍者ですからね。忍者である以上、冷静に考えれば弱々しい(オタク男性が好きそうな)傀儡なはずがないよねそりゃ、と妙に納得してしまって。
綱手やサクラ、いのやテマリなどの女子の中で控えめだからこそ、一歩間違うと弱々しいヒロインに描かれそうなところを、あえて”元男装アイドル”の美女にその役を託すという選択。めちゃくちゃおもしれーじゃん!と思いました。

彼女は、今回のプログラムに「ライバルはグループ時代の自分」というコメントを寄せています。当時の彼女が好き、というファンがいるんだそうな。
そのコメントの静かなる強さに、妙にぐっときてしまいました。
「よくよく考えると、ヒナタって誰よりも強いんだよな」
「だって、”あのナルト”の奥さんだしな」

浅い読者からすると”女の子女の子してる”ように見えるヒナタ。
私はずっと彼女のことが好きでした。でも、なぜかが言葉にできなかった。「女の子女の子しているキャラクターが好きなんて旧弊」とか「あれだけ強い女子がいる作品の中で彼女を推すなんて、やはり少年漫画ファンはミソジニスト」とか、やかましい奴が多いので、今……
そんなことはないんです。ヒナタは強い!誰よりも!!!
そんな彼女の本当の強さを言語化してくれたのが、劇団NARUTOと星波ちゃんでした。改めて今胸を張って「ヒナタが好き」と言えるのは、星波ちゃんが演じてくれるからこそ。マジでそう思います。

***

この時点で7,000字になってしまったので、前編はここまでにします。
何とか、千穐楽の1日前(というか当日)にあげられてよかった。

大千穐楽、とても楽しみです!
ではまた明日以降。

★★★2023年3月・書籍を上梓しました★★★

宝塚の座付き作家を推す!   スターを支える立役者たち 七島 周子(著)
四六判  280ページ 並製
定価 2000円+税
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074

https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787274533/

ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
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