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7つの沼❶髪と人〜天職、なんです〜

↑プロフィールにもある通り、私は美容師さん・美容室経営者向けの雑誌・書籍を作る会社で働いている。

おかげさまで、仕事が大好きだ。これが「広く、深く、オタク。」第1の沼。

休みの日、観劇、友達との飲み会、デート、いつでも髪や髪型のことを考えているような始末。私は仕事の虫である。

よく「趣味を仕事にするな」という人がいるが、私は「仕事が趣味になった」。これは似ているようで、全く意味が違う。そのあたりの観点で、沼の底を探っていきたい。

最初から選ぶ人はまずいない

「そんな仕事があるのか」と思う人が多いと思うが、たまたま行き着いたというのが本音である。

元々は演劇やバレエ・音楽の専門誌や、書籍の出版社に勤めたかった。新卒の段階では総合出版社しか門戸を開いてもらえないもので(というか、リーマンショックの翌年に就職活動をした年次で、総合出版社も採用中止するところがたくさんあった)、「3年でに出版社に転職する」と決めてテレビ局に勤めたので、その転職活動の間に自己分析を深めた結果、専門誌が良いというところには行き着いた。

が、美容専門誌という選択には、当然まだ至らない。

出会いは転職ポータルサイトMだった。私も、その瞬間まで美容師向けの出版物があるなんてことを知らなかった。

だから「未経験者歓迎!」といういかにもブラック企業な謳い文句と分かっていながら「まあ足がかりで」と内定をお受けした経緯があったのに、気づけばもう8年目になる。

いつしか天職になった。そういうわけだから、すべての沼の中で一番深くてあたたかいのが、私には「仕事」ということになる。

髪が好きだ

こんなマガジンから分かるように、シンプルに髪が好きだ。また、

こちらで紹介しているように、高校卒業時に宝塚音楽学校を受験している。が、それまでは理系コースを選択しており、1番の得意科目は古文と化学だった。(大嫌いなのは英語。まじで無理。)その後、目標を変え、文系学部を浪人して受験し京都市内の某大学に進学した。

この、理系→文系のハイブリット脳というのは、おそらく「髪」を専門とするのに向いている素質だった。

美容を語る時、多くの人(女性の美容家が多い)はなぜか思想や哲学、ライフスタイルそのものと結論づけて話したがるが、私は、美容って徹底的に物理化学生物だと思う。だって、肌も髪もタンパク質だからだ。そして、私たちは生きた細胞なんだもの。

かといって、単なる細胞成長促進、老化防止への執着ではいけない。美容って、ハッピーになるための手段であって、美容そのものが目的になるのは執着や誇示、マウントになりかねないだからだ。

美容は、ビジョンだと私は思う。(≠執着、哲学)

私は、髪という硬ケラチンの「線」を使って、面や形を作り、印象を作り上げていくという奥深さに惚れ込んだ。骨、肌、目鼻立ち、体型、いろんなものに作用して、わたしたち一人一人の造形美をそれ以上にも以下にも見せられる“髪“のパワーと可能性の広さと奥深さが、私にこの仕事を「天職だ」と思わせた。

この仕事の一番好きなところは、まずそこである。

「美意識=努力関心の度合い」なんていうくだらないマウントから脱却して、「美知識=正しい知識とプロセス」で無限に人生が楽しくなるということを一人でも多くの人に知ってほしい。それが、私のこの仕事を通して実現したいミッションだ

綺麗な人が綺麗でいる理由を「ストイックだ」と褒めそやし憧れるのではなく、「スマートでハッピーだ」とよろこべる人で世界中をいっぱいにしたいと思う。

美容師が好きだ

次に人。美容師と言っても、もちろんいろんな人がいる。

私が接点が多いのは「著者」であり、ノウハウや実績をお持ちの人なので、生まれつきある程度センスが良くて、ストイックな職人で、人としても尊敬に値する超人的な美容師であることが多い。

その一方、当然ただ儲かればいいという生き方の人もいるし、労働時間が潰れてお金がもらえればいいと思っている人もいる。バズれば楽できると思っている人もいるし、自分と趣味があわない人は切り捨てて営業すればいいと思っている人もいる。

もしかしたらお客さまであるみなさんから見れば、「よい美容師」ばかりではないかもしれないということだ。つまり、私は美容師が好きだからと言ってそれを否定はしないし、でもだからといってそれを生き方として間違っているとは思わない。

だけど、どんな人でも、18歳の職業選択の時に「人を綺麗にしてお金をもらいたい」と思った人だというところが好きだ。私は同じ18の時に宝塚に入団したい!と思ったけれど、いざ落ちて大学に入ってみると、そんなビジョンの芽生えは4回生だとしても珍しいことだと気づいたのだった。34歳の未だないままの人だって大勢いる。(もちろん否定はしない。)

だが、わたしにはその人生の選択が「その辺の人」よりも4年早くて具体的というだけで敬意の対象で、応援したいという気持ちになる。

さらに、これは入社した時の上司の受け売りでもあるのだけど、何にでもなれる10代の時、美容師という仕事を安易に考えていたのだとしても「人に施す仕事」を選んだ人の根本を、私はまとめて愛し抜きたいと思っているのだ。

40万人以上いると言われている美容師。はっきり言って多すぎだし、業界としてはもうこれ以上覚悟のない人は入ってこないでほしいという面はけれど、選んだからには全員まとめて食えるようにしたい。

技術を練習して、モードやトレンドを追い、センスを学んで、毛髪科学、トークを学び、立ち居振る舞い、集客、SNS、売上管理、経営の勉強。後輩の面倒も見る。

できているかどうかは置いておいて、こんなにやることが多方面に多い仕事、ほかにあるだろうか。すごいなぁと思うた同時に、こんなにマルチタスクかつハイレベルを求められる業態もどうにかしたいと思う。ついでに、これははっきり言って、私たち専門出版社のこれまでの仕事の仕方のせいだと個人的には思っている。

編集って怖い、だから好きだ

こんな経緯で行き着いた編集という仕事だが、この思想や理論を直接自分で練って練ってコンテンツにするわけではないというところが編集の無責任さであり、寄生虫的浅ましさであり、何にでもなれる面白さであると思っている。

私はたまたまライティングまで包括する業態で、ライター業もやっているが、基本的には著者や取材先だけでなく、ライターさん、カメラマンさん、スタイリストさん、イラストレーターさんにデザイナーさんと様々な人の才能を“使う“仕事だ。

編集は、編集だけで食ってくことはできない。一人で生きられない儚く取るにたらない存在だと改めて痛み入る。

ただ、数行前に「編集の無責任さ」と言ったけど、その分編集は自由でもある。

技術や知識、センスをルーツに縛られない。たくさんの人のあり方ややり方を見ることができる。それを編纂することができる。

私の脳から、新しい自由なコラボレーションを生むことができる。自分を介して出会った人が、自分以外の場所で何かを生み出すことを喜べるのも編集の醍醐味だ。

髪も好きだけど、必死で生きる人が好き。だから、この仕事が天職だと思うのかもなと、思ったりした。

この沼の底は「人」への興味だった。

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髪の知識とクリエイティビティを通して、一人でも多くの人をハッピーに。

これ、今生まれたばかりだけど、私のしばらくの間の人生のテーマにしようかな!

「趣味を仕事」は辛いかもしれないけど、「仕事が趣味に」は、助詞が違うだけでこんなに楽しい。
それが立証できたらいいな、なんて思いました。

1つ目の沼の話。

ご清聴ありがとうございました。

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