【ネタバレあんま無】アンタッチャブル・ビューティーがうれしかった繁華街育ちの人の話【良作】【いいから見ろし】
突然ですが、みなさんは住んでる街をよその人に侮辱されたことがありますか?
私はあります。というか、多かれ少なかれ、誰しもあるんじゃないかと思います。田舎すぎ!なんもないやん!みたいな感じで。
ただ、私も駅前平均家賃1K5万円、みたいなところに3年住んだので田舎の話を実体験としてしていいのかなと思うんですが、そうはいっても田舎ってそもそも人が来ないじゃないですか。
人が来ないということは、侮辱する人も来ないわけです。大体が私を目指してピンポイントに遊びに来て、なんもないな!っていう。それか、同じくらい何もないところが田舎者同士のじゃれあいの一環で「自分こそなんもないところの生まれんくせに!」という。
それが、私の場合なんですが、ヘタに都会だとどういうことが起こるか。
関係ない人に土足でズカズカ上がりこまれて、汚いだの人の住むところじゃないだの治安が悪いから寄り付くなだの言われるわけです。
多くの場合は、悪意なく。
ただ通っただけの人、消費しに来た人にそれを言われる。
まあ、でも本当に汚いし治安も悪いし、歓楽街がすぐそこなので、うそじゃないしなと思っていました。というか、私もそう思うわ、と。
本当にずっと、36年。
それが、大阪・ミナミの落ち着かない喧噪の中、『アンタッチャブル・ビューティー』を見て、ちょっとだけ想いが変わりました。
いや、ちょっと待ってよ
そこに確かに、私たち生きてるんやけどな……
と。
”闘うシャッター街”の明るいアクションコメディ
こんな風に始まると、またなんか小難しいリアリズム劇見に行ったのかと勘違いされると困るので、ちゃんとあらすじを書いておきます。くらえ
【松竹座】アンタッチャブル・ビューティー ~浪花探偵狂騒曲~/9月18日(日)~9月24日(土)公演中止 ※25日(日)のみ未定
あらすじの字面だけ読むと、ハードボイルドっぽいように思いますが、ポスタービジュアルのキャッチには「歌って踊って戦う探偵」とあります。
大変愉快なナニワ下町ミュージカルとでもいうのか、底抜けに明るくてあたたかい人情ものでした。
また、元宝塚歌劇団トップスターの紅ゆずるさんをはじめ、松竹新喜劇の江口直彌さん、吉本新喜劇の末成映薫さん、同元座長の内場勝則さんと、関西のエンタメの雄たちが一堂に会する豪華なエンタメでもありました。自分はご存じのごとく現役時代から紅さんのファンですので、紅さんが主演するというご縁でうかがいました。
上記以外にも元ライダーの松島庄汰くん(風間柚乃風のイケメン)や、ナイロン100℃の松永玲子さん(黒い十人の女以来!感激)、そして三田村邦彦さん(元エイター的には秀先輩!という心境)らが顔をそろえていて、松竹新喜劇で活躍する俳優さんも華を添え、大変に豪華なエンターテインメントでした。
なので、行く前も見ているときも、基本的にはこんなにウエットな感想を持つとは夢にも思ってなかったんだよね。
そもそも話そのものは、吉本新喜劇でよくある(松竹新喜劇を拝見したことがないので、たとえの見識が狭かったらすみません)、日常を悪者に脅かされ、それに住民全員で一致団結対抗し、最終的にうまくいって悪者も交えて大団円で幕、というシノプシスで。
なんやネタバレやんか、と思うかもしれないけど、これってネタバレですか?というのもまた、この記事のもう1つの主旨でもあります。ちょっとその話はあとで。
人は「違和感のある話」というけれど、下町育ちの私にはすべてがリアルで忘れてた大切なものだった
上記のように、この話は「吉本新喜劇でよくある型」を踏襲したものであって、ファニーな主人公とファニーな周りの人が織りなす冒険活劇に、出演者の”持ちネタ(要は内輪ネタや)”をふんだんに取り込んだ、エンタメショーでした。
ミュージカルの展開を「小池修一郎のパロディ」のように観ている人もいたな。私は正直小池ミュージカルは頭にもおいていないので、連絡の取れない内場さんの気を引くために、映薫姉が床に臥せっていると嘘をつくくだりを
「アンジェリク(A&Sゴロン原作/木原敏江漫画/柴田郁宏潤色のうえ宝塚歌劇月・雪組で上演)や~!」
と思ったけど。(おらんてそんな奴)
実際に、かなり簡略化されたシノプシスだし、強引なファンタジーとして楽しんだ人が多いと思うんですよ。そしてそれが正解だとも思う。
ただ、私は途中から段々、自分の思い出と重ねるようになっていったんですね。
具体的には、夏祭りのシーンが明転した瞬間でした。
手作りのお面に、街の「いつものおっちゃん」がつくる「いつもと違う屋台めし」、子供には興味のない「来賓のための設備」が整えられたひときわダサい小屋。
小学校の校庭で開かれる、夏祭りの光景がフラッシュバックしたんですね。
私の通っていた学校は、実家が引っ越して遠くなったから割と具体的に言うと、福岡の一番の繁華街の傍らにありました。
車通りが多くて、引っ越す前はまだ焼き肉や餃子の匂いが残る通学路を、夜職のおばちゃんとかホストとかとすれ違いながら登校するわけです。学校の真裏は裏ビデオで有名なレンタルビデオ屋でした。(今思えばアレあかんやろ)
友達の家に遊びに行けば、今から飲食店に勤めに行くというおじちゃんおばちゃんが身支度をしていたり、ちっちゃい家族経営の会社の軒先で訪ねてくる取引先の留守番をしたこともありました。
母は専業主婦で父は転勤のある公務員で、二人ともこの町に縁もゆかりもなかったけど、そんなことも感じさせないくらい近所の人は私の「ふるさと」になったし、何よりそういう根付き方をした両親がすごいなと今思えば、なんですけど。
そういう生活の象徴が、夏祭りだった。
共働きとか専業主婦とか、夜職とか昼職を超えて、みんなが私たち子どものために小学校を”テーマパーク”にしてくれる日。その日初めて見る友達の父ちゃんもいました。初めて見る父ちゃんも、ニコニコ優しく綿あめとか風船を売ってくれました。
楽しかった。
一番仲のいい友達の家で浴衣を着せてもらって、いつもの通学路を歩きました。
あれから大人になって、祇園祭とか神宮花火大会とか、もっと都会でもっといろんなたいそうな祭りに行ったけど、あの幸福感を超えるものは、よく考えるとなかったわけです。あの、よその人から見たら「汚い街」の取るに足らない手作りの祭りだとしても。
それに気づいた。
というのも、『アンタッチャブル・ビューティー』には、子供が出てこないんですよ。
曾我廼家いろはさん演じる八百屋の娘・りえちゃんが一番年若いようだったたけど、バイトをしている年代だったのでティーンだろうなと。
これ、よその人、特に正しさに酔いしれてる人から見ると「子供が出てこない物語なんて!」と思うかもしれないけど、ここに感情移入しきってる人間からすると、子供が登場しないのは救いでしかない。
なぜなら、子供が「商店街の再興」に大人の都合を理解して迎合するにも、反発するにも簡単に記号化するのは地獄だからです。
私には、子供を描かないことで、私みたいな「元繁華街で育った子供」のイマジネーションを刺激してくることが、めちゃくちゃうまい脚本だと思いました。
「リアリズムだけが社会的文学ではない」というのを、めちゃくちゃライトなエンターテインメントに乗せて証明して見せてる。
すごいんですよ、『アンタッチャブル・ビューティー』。
まさにアンタッチャブルじゃん、死にゆくシャッター街を見て育つ子供って、エンタメの一部として描いちゃだめよねそりゃ。
だからこそ、アンタッチャブルだから触らない、触らなくて見方をゆだねていいんだという余韻がね。めっちゃよかったと思いました。
それがね、冒頭のウエットな感想のトリガーになっている。
この舞台の幕開き、こんなセリフで始まるわけです。
夏祭りでやっと感情が乗ってきてるからね、だんだんと家に帰ってから沁み込んでくる。ああ、言われるよな、こういうセリフ…という。怒りではないんですよね、なんだろう。土払って入ってきてくれますか?という、静かな侮蔑というか。
ちょうど前日にね、その人たちに何の悪気もないし、私も敵意もないんだけど、たまたま目にした善意のツイートがあって。
難波は治安が悪いから、帝塚山とか北浜がおしゃれなのでそこで時間をつぶすといいよ~みたいな呼びかけ。優しいですよね。全然いいと思うの。
ただ、私としては、福岡みたいな日本最果ての政令指定都市とはいえ、その人たちが言うところの「あそこうろつかない方がいいよ」といわれるエリアで育ったので、ちょっとチクッと感じてしまったなと。
で、私だけの身勝手なモヤモヤならいざしらず、この話の発端が「登場人物たちにとって大切な商店街への侮蔑」から始まったから。あれ?もしかして、私のモヤモヤ、ちょっとだけ受け入れてもらえてる?と思った。
下町の汚くて治安の悪くて、焼肉とニンニクくさい街でも、私のふるさとなんだけど!と言っていいのかな?と思った。
かなりデフォルメされてるし、リアリティのない筋書ではあるんだけどさ、そういう意味で、あの「闘うシャッター街」の人ひとりひとり、あーだこーだもめてる様子ひとつひとつが、私には「違和感あるコメディ」ではなく、リアルそのものでした。
あと、余談ですが、その後大学時代関西のあの辺で遊んでたけども。
大阪の戎橋、京都の蛸薬師通、ナンパやキャッチの名所でイメージは悪いけども、ナンパ師とかキャッチの兄ちゃんって毎日いるから異変に気付いてくれるのよ。
2週間以上前に会ったのに「髪切った?」と彼氏より気の利いた声かけしてくる戎橋のナンパ師、蛸薬師で警備員より先に要注意人物に気づいて通報してくれるキャッチやヤンキーの兄ちゃん。そいつらを構成する成分9割は悪かもしれないけど、なんていうの、まあ、楽しかったよ。
で、大事なのって、そいつらって物語中の「悪役側」の人間だけがデフォルメしてるんじゃないんだよね。
吉本新喜劇にも出てくるようなわかりやすい悪者でももちろんあるけど、子供や若者にとっての悪者って、その土地に私たちを縛ろうとする大人もまた、「悪者」じゃないですか。
だから、ご都合主義のエンディングに向けて子供が描かれなくてよかったって、心底思いました。
この『アンタッチャブル・ビューティー』の、一番リアルじゃないといわれるかもしれないところだけど、実際に汚い下町で育った私には、それが一番最高だったといえるポイントだなと思う。
子供を描かないでくれて本当にありがとう。
そのおかげで、元子供が救われました。本当に、本当に。
とはいえ下町育ちも田舎者も楽しめる! 経験型のエンターテインメントだよ!貴重!!
大体いつもこのくらいで目標とする文字数の95%に行ってるよね! あと300字とかマジ無理!無視します!
『アンタッチャブル・ビューティー』のおもしろかったところは、ちょっと先述したけど、豪華なエンターテインメント性にあります。
ちょっとシノプシスのネタバレをしたくらいでおもしろさが半減どころか、ミリ減りもしない、出し物としての強さにある。
まず、座長である元宝塚歌劇団トップスター・紅ゆずるさんの、宝塚いじりが顕著。
設定としては探偵は素人のはずなのに、特技が「七変化」らしくって、男(というかステテコのおっさん)から50年代風美女まで、変幻自在で楽しい。男役時代のおおげさな所作を活かした振り付けや独白の歌などがあり、元々は1年半前の卒業直後に計画された興行だもんな…というのがうかがえるつくり。
それだけでなく、彼女が個人的に(個人的に)やっていた「紅5」やら、お友達(お友達?)の星小路紅子さんの存在も匂わされたりして、小ネタも生きています。
小ネタはそれだけにあらず。内場元座長の「えー(ちょっと文字起こし無理)」とか、三田村さんの必殺仕事人いじりとか、ゆみ姉のナレーションとか、出演者それぞれのファンが喜ぶような仕掛けが目白押しだったわけ。
個人的には、内場座長の「えー」は生で見るの初めてだったし、マジで感動して泣くかと思った。
今っぽい「外部()」の作品をご所望のファンからすると、こういう内輪ノリって…と思うかもしれないけど、そもそもこういう「スタアの見せ場を楽しむ」のが舞台の粋だとしたら、これ以上の正解はなすぎるやん?という盛だくさんぶりだった。
何よりですね、このnoteのタイトルを【ネタバレ有】にするかどうか死ぬほど悩んだのはこれなんだけどさ・・・
立ち回りで花道に元宝塚の紅さんが出てきたとき。
附け打ちしてくれるんですよ。
だぁ――――松竹ゥ――――――(´;ω;`)
なんというか、紅さんがどうこう超えて、かっこよかったですよね、あのシーン。
で、その作品のわきを固めるのはほとんど吉本とか新劇とかナイロン100℃とかであって、正直。いろいろ思うとこはあるはずなんですよ、松竹新喜劇のファンとか、松竹そのものの古参ファンとかにとっては。
が、やはり、松竹座さんが、紅さんを座長として認めてくださった証と私は受け取りました。
もう、感無量だった。マジでうれしい。いまだから言うけど、花横トチリ席だったんだ、初日。ぐへへ
その「ぐへへ」から何が言いたいかというと、この『アンタッチャブル・ビューティー』は、単なる物語ではなくて、作品を生で経験することが主題のエンターテインメントであるということです。
紅さんの花道の大見得とか、三田村さんの色気とか、内場さんの場の埋め方とか、座組のみなさんの生きた芝居の呼吸とか、そういうものを体感しに行くのに1万円、というのがこの作品の本懐である。
だから、仮にどんな話か?みたいなネタバレを踏んだとして、この興行のおもしろさの1%にも到達していないのですよ。
シノプシスを知った? あ、そ。それだけ?という感じ
この『アンタッチャブル・ビューティー』のおもしろさは、現地で、あの難波の「汚い街」をかき分けて席について、生きた演者のパフォーマンスを生で見て100%完成するものだと思う。
これだけ「ネタバレに慎重であれ」みたいなクソみたいな世の中で、文字面でネタバレしたところで作品のおもしろさ1%も得られませんので逆にどんどんどうぞ(ニッコリ)みたいな作品は、稀有で痛快だと思います。愛す。
で、そういう作品が今、中止されてるんだよねぇ。殺意殺意殺意殺意
25日の最終日が興行できるかどうかはわからないけれど、もし幕が開くならその日を大入満員御礼で埋めたいので、近隣住民はチケット買うて埋めろやコラという圧をかけたいというのと。
万が一それが叶わなかったとしても。今回『アンタッチャブル・ビューティー』が描いた世界は、単なる元宝塚トップスターのために描いたスタアご都合主義のおままごとでは断じてなくて、救われた元下町娘がいましたよ、ということ。
これからも、松竹・吉本・宝塚が手を携える【ナニワ世話物ミュージカル】として続けていただけたら……
ほんでもってそんで、その【ナニワ世話物ミュージカル】のどこかに、うちの紅ゆずるさんがかかわらせていただけたら…
そんなことを思ったのでしたとさ。
。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿
★★
Instagram:@shuko_740
Twitter:@shu_a_s_a040126