あなたの地元はどこですか?
この1年間で、よく人生を振り返ることが多かったので今回は自分の過去について書いてみます。
全く重い話ではないよ。
地元はどこですか?出身はどこですか?に答えられない問題
僕は今、24歳である(2024年9月現在)。この24年間で様々な人からこの質問を受ける機会が多くあった。最近では、大学入学の際や就活の面接などアイスブレイクや親睦を深めるためによくこの質問をされることがある。
正直に言う。僕はこの質問に答えるのが非常にめんどくさい。なぜなら、24年間で暮らした都市は計8都市、平均3年で引っ越している計算であるからである。どう答えればいいか非常に悩むので、一緒に考えて欲しい。
ちなみに、
という意味らしいです。参考までに。
出生〜幼稚園
生まれはどこですか?すなわち出生地はどこですか?と聞かれるだけならとても簡単である。「長野県松本市です。」と。
そう、僕の出生地は長野県である。2歳までいた(らしい。記憶にない。)冬は寒かったらしく、鼻水垂らしながら過ごしていたらしいよ。
でも、この後に大抵の場合「育ったのはまた別の都市です。」と言うことが多い。だって、2年しかいなかったんだもの。育ったとは言えなくない?
さて、次の都市は東京都東久留米市。4歳途中までいた(らしい。まじで記憶が。。)。幼稚園入園は東久留米であるが、退園は違うのがまためんどくさい。
年中からは静岡県静岡市に引っ越した。この頃からうっすらと記憶が残っている。滑り台の上から落とされて、骨折した話とかね。
結論:この時点で既に3都市。地元なんか答えられるはずがない。どこにも思い入れはない。強いてあげれば、生まれた土地である松本ぐらいか。幼馴染が欲しい人生でした。
小学校
さて、小学校は更に過酷である。記憶が曖昧になってて年をよく覚えていない部分もあるが勘弁。
まず、入学は幼稚園と同様に静岡市である。泣き虫で、よく学校の門の前で泣いて家に戻った記憶がある。幼少期に泣き過ぎたせいで、最近まじで泣けない。非常に困る。確か2年生の途中までいたのかな。
次に、静岡県沼津市へ。一番平和だった記憶がある。平和すぎて記憶がない。ただ、東日本大震災を経験したのは覚えている。計画停電の際に家が暗くなって、ろうそくの火で遊ぶくらい浮かれていたら親から怒られた。結局、4年生の途中までいた。
3校目。愛知県豊橋市へ。この辺から、記憶がはっきりとしている。ブラジル人が多くて、ポルトガル語が飛びかっていた。担任の先生がめちゃくちゃ優しくて面白かった。5年生になって、愛知の中学を受験するかもと少しずつ勉強モードになった。勉強ばっかりで楽しくなかった。
ラスト4校目、神奈川県藤沢市へ。多過ぎである。平均1.5年はイカれてる。しかも、引越しをしたのは6年生の夏休み。友だちなどあまり作れるわけもなく、今になって思えばいじめ寸前までいっていた。中学受験のこともあり、小学校の思い出は全くない。よく半年で逗子開成入れたなと今でも思う。
結論:物心がついたのは、豊橋だと思う。でも、地元とは言えないだろう。2年ぐらいしかいなかったし。
中学・高校
中学受験をした。それと同時に、神奈川県横浜市に引っ越した(7都市目)。
逗子開成で過ごした6年間は小学校の時とは比べられないほど濃密で様々な経験をさせてもらった期間だった。女子がいなかった以外は満足。自分という存在を形成できたという点では、横浜が地元ではないか?
大学〜現在
大学受験をする際に僕が掲げた目標はただ一つ。一人暮らしがしたい!その思いで、広大に合格した。もちろん、広島県東広島市に引っ越した(8都市目)。
広大での4年間(現在進行形の院も含めて)も楽しかったなと思う。バド部に所属していたのが大きかったか。僕の大学のイメージは不特定多数の人と浅く広く関わる場所だと思っていたので、8人もの同期に恵まれたことが本当に幸せだった。ありがとう。
結論
先のそれぞれの単語の意味からすると、鎌田の地元は横浜、出身は広島になるのではないかと思いました。
どちらも6年間過ごしてきた土地であり、自分という人間を作ってくれた場所なので、これからはこんな感じで自己紹介していこうかなと思います。
横浜出身とかいう変なプライドは持ちたくありません。この6年間で広島もいいところだと思ってこれから何十年とお世話になることを決めたので、自信を持って広島出身を推していければいいなと思います。
おしまい。