浄土真宗|落ちこぼれヤンキーのありがとう教

今回は浄土真宗のお話です。教えの深い内容はさておき、この宗派が何をしているかを見ていきましょう。

 悩む親鸞

まず、浄土真宗は仏教の宗派のひとつです。迷いや苦しみから抜け出すことを目指す教えと言えます。苦しみというのは、たとえば死や病気、欲しいものが手に入らない、またこうした思いが消えないこと、などと言えるでしょう。

仏教のさまざまな宗派は、基本的にはそこうした苦しみを脱するために、お経を読んだり、坐禅をしたり、写経したり、滝にうたれたりするわけです。

さて、平安末期に生まれた親鸞さん。幼少期に僧侶となり、比叡山の僧侶たちとともに修行に打ち込みます。20年修行を続けますが一向に苦しみは消えないことに思い至ります。「なんで俺はこんなに欲深いんだっ…周りのやつらも煩悩だらけじゃねぇか、どうすりゃいいんだよぉー!」

山を降り、1人小さなお堂に籠もった末、のちの生涯の師匠、法然(ほうねん)とその教えに出会い、そして、気づきます。

あ、俺もう救われてた!!


感謝すればいいのだ


救った張本人とは、阿弥陀(あみだ)さんでした。阿弥陀さんというこの方は、「すべての命を救う」と誓ってそれを果たし続けている。それは遠い昔から終わりなく続いているというのです。

阿弥陀さんは言います。「今は苦しい世界にいるだろう。だがその命が終わったとき、何の苦しみもない世界に生まれさせよう。だから安心しなさい。その世界は私の国、極楽浄土と名付けよう。」

すでに救われている以上、もう親鸞さんには修行が全て必要なくなりました。むしろ他の修行をすることは、自分で苦しみを脱せられると過信すること、阿弥陀さんの救いが不完全だと思うことだと考えます。

それでは何をするか。それが「ありがとう」と感謝することだけでした。そのため、浄土真宗の人々がおこなう念仏(なむあみだぶつ、なんまんだぶと言うこと)や行事などはすべて阿弥陀さんの救いや、それを伝えてくれた人々に感謝するものなのです。

こうした教えを深めていった親鸞さん。教えを広めだすと、次第に人気が高まっていきます。

一方で、修行を全くしない親鸞さんに対して、当時の人々の中には「そんなはずがない!ただの堕落だ!地獄に落ちる教えだ!」という批判が起こります。この批判も当然でしょう。仏教とは、苦しみから逃れる努力をする宗教のようなものです。危険な新興宗教だと思われたかもしれません 。

この批判に対して親鸞さんはこう返します。「あんたがそう言うなら、地獄に落ちる教えかもね。でも、俺どうせ自分じゃ何もできねぇから。阿弥陀さん、こんな俺助けるって言ってんだ。法然さんの教えに付いて行って地獄行くんなら、悔い無いんで。」

そして、親鸞さんは最期の一息まで、ただ「ありがたや、なんまんだぶ」と身を任せて生きたといいます。

いまや日本最大といわれる浄土真宗。それは、何も成し遂げられない落ちこぼれの私を救う阿弥陀さんに、ただありがとうを伝えつづける。そんな革新的な宗派なのでした。

ちなみに1月16日は親鸞さんの命日。京都の本願寺などではその前10日間ほどに渡って、宗派最大のイベント「報恩講(ほうおんこう)」がおこなわれます。チャンスがあればぜひ行ってみては?

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