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夢の期限【超短編小説#1】

「お前はいいよな、花ひらいて……」

公園で咲き乱れる桜を見て、初老の男性がこぼした。
その表情に、春の訪れは感じられない。


幼い頃から、彼は人目を気にしていた。
人付き合いは多かったが、ほとんど周囲に馴染むためだ。

唯一落ち着くのは独りで絵を描いている時。
アニメキャラクターの絵を描いては、両親に見せていた。

小学生になると、彼は画家になりたいと思った。

でも、卒業アルバムに書いた将来の夢は「サラリーマン」。
クラスに、自分より絵の上手な女の子がいたからだ。

中学では、美術部に入った。
入部当初は、自画像や昆虫の絵を無心で描いていた。

漫画やゲームを好きな部員と仲良くなると、
絵を描く時間は減っていった。

高校受験が近づくと、勉強で忙しくなった。
”次の模試が終わったら、絵を描こう”
そう自分に言い聞かせながら、部活に行かなくなった。


私立の高校に入学すると、雰囲気は受験一色。

”みんな目指してるし、僕も良い大学に行こう”
”絵を描くのは、受験が終わってからだ”

彼は部活にも入らず勉強し、有名大学に合格した。

新歓期に入ったのは美術サークル。
もう絵を阻む障害はない。

大手を振って描こうとした、
が描けなかった。

そのサークルにいたのは、彼より上手い人ばかり。

”描いても笑われるかもしれない”
”もう少し技術を磨かないと”
一度も絵を描かず、サークルには行かなくなった。


大学を卒業し、大手の自動車メーカーに就職した。
配属先は海外事業部、仕事は忙しかった。

週末に仕事をすることもあり、
それ以外の時間は、寝るか人と会うかの二択だった。

”仕事が落ち着いたら、絵を描いてみよう。急ぐ必要は無い”

数年後、結婚して子供が産まれた。

子育ては想像を絶するほど大変で、絵に打ち込む時間など無かった。
仕事でも責任ある立場を任され、気を抜けない月日が流れた。


それから20数年が経った。

子供は手のかからない年まで育った。
年老いた親は介護施設に入居した。
仕事もあと数年で定年を迎える。

”ようやく落ち着きそうだ。久しぶりに絵でも描いてみるか”
”最近疲れているし、病院に行ってから考えよう”

そこで彼は、ガンの告知を受ける。

気付くと、彼に絵を描く時間は残されていなかった。

”こんなはずじゃなかった……”
”どこで俺は間違えたんだ?”

彼にはもうわからない。

本当に絵が描きたかったのかどうかさえも。


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