つわものどもが夢の跡
「毎月の給与明細を見るしか、楽しみのない大人にはなりたくない」
「寂れたサラリーマンを見ると、悲しいというよりなんかイラつく」
「一度しかない人生を燃やさなくても生きれてしまう世界なんて、何が楽しい?」
スマホの小さな画面から、こいつはいつまでたっても社会にイラつき、社会に期待している。
賑やかな昼間と違って、深夜過ぎの社内には僕を残して誰もいない。
目の前の大きなブラウザには、明日のミーティングで使用する書きかけのワードのポイントがチカチカと点滅している。
終電に乗るのを諦め、机の上に無造作に置かれたコーヒーとライターを持って喫煙所へと向かう。
また明日になれば、僕は今日と変わらず若手らしく元気に挨拶をしながら自分の机に向かい、パソコンの電源をつけ、たまに隣の上司と軽口を叩きながら仕事をする。
その仕事は別に、映画で見たスーティブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグみたいに、世界を変えるようなものではなく、日本で生きる人々のちょっとした幸せを作るための仕事だ。
ポケットの中でくしゃくしゃになったタバコを取り出し、冷たく光るスカイツリーを見ながら煙を吐く。
多分、こいつからしたら、透明なガラスに映る今の僕は、寂れた、人生を燃やしていない、つまらない大人なんだろう。
確かに、毎月の給与明細が楽しみだし、仕事終わりに神田でしょうもない会社の愚痴を話すのが好きだ。擦り切れそうな体と心をだましだましなんとかしていくのが常だ。
だからって、そんなに綺麗な、鋭い目で僕を見ないでくれよ。そんな、君が言っていることが正しいことはわかっている。一度きりの人生だってのもわかっているつもりだ。
けど、明日死ぬなら今どうするか?なんて考えて生きていない。
だって明日死ねないんだぜ。明日も相変わらず、いつもの自分がいるんだぜ。朝、9時に会社に行かなきゃいけなんだぜ。
小さい頃、あんなにたくさん持っていた可能性を捨てて、今の僕がいる。
もう、宇宙飛行士になることもできないし、サッカー選手になることもできない。
けど、その分、自分はどんな人間かわかるんだ。きらびやかな可能性がなくなった分、なれないこと、できないことを目の前に突きつけられた分、地味な自分の輪郭が生々しくわかるんだ。
だからか、最近は少しずつ自分しかできないことがあるかもしれないって、なんとなくわかってきたよ。
それはそれで、世界を大胆に変えることはできないけどカッコいいことだと、強がりかもしれないけど、今は思えるよ。
なぜだろう、疲れた時ほどこのアカウントにアクセスしてしまう。
記憶の片隅に留めた、いまは使わなくなったパスワードを思い出して。
最終更新は4年前、しっかり鍵がかかった「僕の」アカウントは、まだツイッターの中にいる。