隣の席の女の子がひたすらに泣いていた —映画「ヤクザと家族 The Family」感想

※ネタバレを含みますのでご注意ください。

無常の世の中で、変わらないものなどあるのだろうか。

本作は、ヤクザの話であることは確かなのだが、映画のジャンルを振り分けるとしたら「任侠」ではない。最近のヤクザ映画といえば「孤狼の血」が思い浮かぶが、あれともまた後味が違う。

なんというか、愛の話であり、自分たちに置き換えるべき話でもあった。

大まかにはヤクザの盛衰が描かれているわけだが、思わず同情したと共にこの世の無常さに気づかされる。新型コロナの影響で、知らない人はいないほどの大企業の経営すら傾いている。自分がいる場所は常住ではない。いつまでも同じように労働できる保証も、健康体でいられる保証も、エンタメを享受できる保証もない。「ヤクザは、警察や法律だけではなく、世の中から排除された」というセリフが非常に印象的だった。しかし、作中で世の中から排除されたものとして描かれたのは、果たして「ヤクザという仕事」だけだったか。作中において、何気なく呟いたひとつのツイートが持つ脅威にも触れる。SNSの脅威をテーマとして描く作品は少なくないが、ヤクザもののストーリーの中で“排除”という側面でこれに繋げる展開は秀逸だと感じた。

「ヤクザという仕事の排除」がきっかけで何もかもが壊れてしまった山本には、この身を尽くして守りたい存在があった。その存在である翼は、14年間の刑務所生活を終えた後、心から自分を慕ってくれる唯一の存在だったに違いない。あえて守るために何をしたかは記さないが、若者の人生を守りたいという単純な思考ではなかったはずだ。冷静で常に賢く立ち回る翼が怒りの感情を見せたのは、亡き父親の話を出された時だけだった。翼は家族という感覚を強く持つ子だったのだろうと思う。

演出の全てが面白かった。取り分け、綾野剛の目の芝居、舘ひろしの声の芝居には鳥肌が立つ。由香と初めて出会うシーンの山本。加藤に詰め寄る時と闘病中で別人のような発声をする柴咲。ここは見逃してほしくない。カメラワークも同様に見逃してほしくない。斬新な構図や、こちらの不安を煽るような揺れ。どなたかと思えば、実は乃木坂のMVも多く手掛けている今村圭佑氏。彼の「帝一の國」のカメラワークも好きで、なるほどと納得した。車のヘッドライトひとつ取っても意図を感じる演出だった。

全編通して「煙」と「海」がメタファーとなっており印象的である。いつか消えゆく煙と、いつまでも変わらない海。そして、本作の舞台がどこなのか結局曖昧なまま終わったことも気になっている。煙も海も、どこにでもある。どこにでもある話。

話題性の強い「花束みたいな恋をした」と同時期の上映である。私のように毎週のように映画館に赴く人間は稀で、どうしても普通のお客さんが恋人や友達と遊ぶ時に観るとすると「花恋」になってしまうと思うのだが、本作こそ誰かと観て、感想を共有してほしい。「花束みたいな恋をした」は恋の話で、「ヤクザと友達 The Family」は愛の話。埋もれてほしくない。どちらも観てほしい。

隣の席の女の子が、上映中ひたすらに泣いていた。私もぐっとはきたが、泣くシーンかな?と疑問すら沸いた。でもその子はひたすらに泣いていた。絶対いい子なんだろうなと思ったりした。


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