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幸福で平和な社会の実現を! 「私の見た韓国~21世紀の日韓友好に向けて~」復刊プロジェクト

 「私の見た韓国~21世紀の日韓友好に向けて~」は、韓国への渡航経験を基に20年前自費出版しました。コロナ禍にあっては、日韓にとどまらず全世界の連帯が必要です。このたび、誰もが幸福で平和に暮らせることを願い拙著の復刊を企画しました。是非、多くの方に応援いただきたいです。以下リンク→https://motion-gallery.net/projects/fukkan

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 分断を乗り越え、誰もが幸福で平和に暮らせる社会へ!
 「私の見た韓国~21世紀の日韓友好に向けて~」は、過去5回の韓国への渡航経験を基に2001年に個人的に自費出版しました。拙著は、韓国側から日本人がどのように見られているかを伝え、両国間に横たわる不幸な歴史を乗り越え一歩でも友好関係に近づくことができればとの想いで作成したものです。

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 一衣帯水の日本列島と朝鮮半島
 日本列島と朝鮮半島は日本海(韓国名:東海)をはさみ一衣帯水の位置関係にあり、国境が明確でなかった古代には人々が自由に往来していました。日本書紀によると、スサノヲは最初に朝鮮半島に降り立ち、そこから船を使って息子イソタケルと共に出雲の国に上陸したと記されています。出雲の古墳からは朝鮮製の土器なども多数出土し活発な交流の様子もうかがえます。初めて、韓国へ渡航したのは社会人になってからでした。

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 両国間にまたがる不幸な歴史
 両国関係は、現代に至るまで常に友好的に推移したわけではなく、一方が一方を侵略するという不幸な出来事がありました。大きくは、豊臣秀吉による朝鮮侵攻と近代日本による朝鮮進出です。高校時代に日本史の授業で習いましたが、当時は歴史的事実のみで深く洞察した記憶はありません。

 韓国から向けられる日本へのまなざし
 初めて、韓国へ渡航したのは社会人になってからでした。隣国ゆえに、目新しさもないだろうと思っていたのですが、食べ物、食事の作法といった身近なことから違いがあり驚きの連続でした。そして、釜山に立つ巨大な銅像。その銅像は、日本の方向を向いて立っていたのです。

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 日本では無名な韓国の英雄たち
 彼の名は、李舜臣(イスンジン)将軍。豊臣秀吉の侵略から国を守った救国の英雄として国民から崇められ、今も守り神として日本を睨みつけて立っているといいます。他にも伊藤博文を暗殺した安重根(アンジュングン)、日本の統治に抵抗した柳寛順(ユガンスン)などが韓国では崇敬されていることがわかり、ぞっとしました。

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 日本人が朝鮮半島で過去に犯した罪とは?
 日本に抵抗した人物が英雄視されている現場を目撃し、過去に日本人はとてもひどいことを朝鮮半島で行ったのではないかとの疑念を抱きました。そして、その事実は今、日本で暮らしている我々に伝えられていないのではないかと感じたのです。

 「原罪」という言葉が思い浮かびました。人は生まれながらに罪深いものなのだと。歴史のうえで加害者であった事実を直視し、認めるべきだと考えました。以来、幾度も日本と韓国の間を往来しました。

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 韓国人が生涯1度は訪れる「独立記念館」とは? 
 韓国中央部に位置する独立記念館は、修学旅行など韓国人が子供の頃に一度は訪れる場所だと聞きました。そして、その記念館の目玉は、日本人が韓国人を拷問する場面の展示。およそ、日本人が好んで行くスポットでありませんが、韓国人の心情を理解するには不可欠と考え、2回訪れ例の展示も現認し韓国人の「日本人憎し」の感情が簡単に薄れるものではないことを痛感しました。

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 不幸な歴史を乗り越え、友好関係を築くために
 幾度となく両国間を往来するうちに、両国民の持つ意識の隔たりは絶望的ともいえるほど大きなものに感じられました。そうした中で、一歩でも少しでも両国間の友好関係を進めるには双方がそれぞれの心情を理解する努力が必要と考えました。

 韓国側から日本人はどう見られているかを伝えるため、2001年に「私の見た韓国~21世紀の日韓友好に向けて~」を自費出版しのもそうした考えからでした。ただ、当時、個人でできることは限定的で、発行部数300部と少なくPR手段もなくて十分浸透させることができなかったと感じています。

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 拙著「私の見た韓国~21世紀の日韓友好に向けて~」を復刊したい!
 拙著出版から20年が経過しようとしています。思惑どおり日韓関係が推移したのかといえば、そうではありませんでした。元徴用工の訴訟問題などもあり、現在の日韓関係はかつてないほど冷え込んでいます。一つの問題でぎくしゃくしてしまうのは、相手の心情を理解するという努力を欠いていたからではないでしょうか。拙著を復刊し今一度、その内容を広く伝えていきたいです。(写真:平和を訴え続けた永井隆博士)

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