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「自分軸」という考えの落とし穴

自分軸はただの考え方の1つ

最近「自分軸で生きよう」という言葉を耳にすることが多くなりました。

よく例として挙げられるのは、

  • 飲み会に行きたくないけど、上司からの誘いだから断りづらい

  • 周りが結婚するから自分もそろそろ結婚しないとダメなのかな

  • 親から勧められるままに医者になる

などです。

自分軸で生きようというのは、周りの意見や評価を気にするんじゃなくて、「自分はどうしたいのか」を大切にしようという考えです。

もちろんこの意見には大賛成で、僕自身も大切にしている考えの1つです。自分の人生は自分で決めるべきだと考えています。

ただ、盲目的にこの「自分軸」という考えが100%正しいと思うのは違うのかもと思い始めました。

結婚式に行く?行かない?

最近、大学時代の友人が結婚して結婚式に呼ばれました。卒業後もたまに連絡をくれる、数少ない友人の一人です。

「自分軸」で考えると、正直結婚式はあまり好きではありません。

そもそも人が大勢いる空間が得意ではないし、知らない人がいるならなおさらです。

先日も他の知り合いの方の結婚式に参加しましたが、数万円かけてスーツを調達して3万円のご祝儀を包むなら、そのお金で個別にお祝いした方が気持ちも伝わるんじゃないかと思ってしまいます。

なので基本的に結婚式は行きたくない、というのが自分軸で考えたときの本音です。

相手軸という考え

でもここで1回立ち止まって「相手はどうしたらうれしいのか」を考えてみます。

彼は「結婚式」というイベントをとても大切に考えています。

おそらく(?)人生で1回しかないイベントですし、好きな友人にこのハッピーを分けたい、お祝いしてほしいという気持ちだと思います。

そう考えると、相手が喜ぶなら行ってあげてもいいかという気持ちになってきます。

相手が喜ぶことをするなら、自然と自分もハッピーになれるはずです。

「自分軸」という考えがあるのなら、「相手軸」という考えがあってもいいと思うんです。

自分軸と相手軸、結局どっちで判断すればいいの?

じゃあ結局のところ自分軸と相手軸、どっちで判断すればいいかという話になりますよね。

これに関しては、「後悔しない選択をする」がいいと考えています。

「自分が後悔しないかどうか」なので、最終的には自分軸で判断することになります。

結局相手は他人なので、100%気持ちを理解することはできません。よかれと思って言ったことが相手を傷つけることもあります。

「結局自分軸に戻るのかよ〜」と思ったかもしれませんが、今回主張したいのは「自分がどうしたいかだけで考えるのはどうなの?」ということです。

言い換えると、相手がどうしたら喜ぶのか考えるステップも必要なんじゃないのということです。

さいごに

というわけで、「自分がどうしたいかだけじゃなく、相手はどうしたら喜ぶかも考えよう」というすごく当たり前のことを「自分軸」やら「相手軸」といったカッコつけた言葉を使って説明しました。

あなたは自分軸と相手軸、バランス良く使い分けられていますか?

片方に寄っていませんか?

僕は右脚のほうが2cmほど短いので重心が右に偏っています。おわり。


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