幻想句集を読んで・四(雷)

前回の記事(参(海霧))はこちらから。
https://note.com/shueshueshu/n/n7e8ec6c705dd

蒸した日に顔を壊してから捨てる/「iwa」西沢葉火さん
人形(またはぬいぐるみ)を捨てるところだろうか。顔を壊すという行為はそこにあった顔立ちや表情を損なうということだ。主体は何か理由があって、これから捨てる人形の顔を誰にも知られたくないようだ。「蒸した日」という語句からは、主体が額にかいている汗や、息の荒さがむわっとした臭いとともに伝わってくる。人形はそれほどまでに本人とって忌まわしいものなのだろう。
この句を読むと、呪いの人形が何度捨てても持ち主の家へ帰ってくる、という怪談を思い起こす。壊したはずの顔も元どおりになって帰ってくるとしたら中七以降のリフレインが無限に続くのだろう。救いのないホラー映画のような、奇妙な後味が癖になる句だった。

時の揺らぎは甘い菜箸/「時空調理法」本間かもせりさん
連作タイトルからすると、菜箸でかき混ぜられたのは時空そのもののように思われる。揺らぎ、というには卵とか餡かけとか、粘度のある液体が波立つときのふるふると震える感じが思い起こされた。
時空をかき混ぜるというと日本神話の国産みや、ヒンドゥー教の乳海撹拌などの天地創造神話のような感触もあって面白い。連作にはビッグバンの句もあるし、調理者本人が世界の創造神なのではという読みもできる。毎日何かを成していると思いながら、わたしたちはいまだに創造主の鍋の中にいるのかもしれない。そんなことを思わせる句だった。
そういえば、物体が時空を移動する運動が起きるとドップラー効果で色や音が変わるという。料理という時空が、ほんのり甘くなったりしても不思議ではないだろう。

仏壇を背負いて歩く夏祭り/「夏の魔物」涅槃girlさん
マグリットの絵のように、あるべきではない場所へ突如現れた仏壇の異様さに圧倒される。寺山修司の映画「田園に死す」で、川の上流から大きな雛飾りが流れてくるシーンが思い起こされた。
今は小型のものも売られているが、この句に出てくるのはやはり重厚な、仏間にあるようなフルサイズの仏壇だろう。主体は仏壇を背負ったまま、足を止めずに黙々と歩いていく。彼(彼女)には、明確な行き先はないように思える。永遠に祭りの雑踏をさまよう呪いをかけられているのか、もしくはそういう場に現れる怪異の類なのかもしれない。
そう思うと、夏祭り自体が目的地を持って歩いてゆくものではないことに気付かされる。もしかしたら薄暗い提灯の灯りで気がつかないだけで、祭りの雑踏も異形たちばかりなのかもしれない。初めから最後まで異界の匂いが強い句だった。

姫様の手鏡運ぶ馬の列/「不思議の国」宮坂変哲さん
手鏡はきっと美しく飾られた輿や馬車に載せられているのだろう。一読すれば、手鏡を姫様のもとへ運ぶ行列と読めるが、手鏡の多くは女性の手元に置かれているものであるし、鏡だけが単独で移動している風景にはすこし違和感があった。(献上品の類のようにも読めるが、そうすると「姫様の」という言い回しが浮いてしまうように思われた。)
白雪姫の継母の魔法のアイテムであったり、鏡の国アリスでは異界への窓口であったりする鏡。そういえば日本の神社ではご神体として祀られているし、移動する時にも神そのものとして丁寧に扱われている。
そうするとこの手鏡は、お姫様本人の魂を宿した鏡なのかもしれない。鏡の中から従者に小言を言ったりしてたらちょっと可愛いな、なんて思った。

サイダーの泡に溶けゆく短夜は/「ホタル散る夜は」文月栞さん
サイダーの泡のはかなさが、すぐに明けてしまう夏の夜のイメージと重なる。短夜、という言葉から、真夏というよりも夏至の頃、まだ朝は空気がひんやり涼しい季節が思い起こされる。
甘酸っぱいサイダーに短夜を溶かしたら、どんな味になるのだろう。恋人同士の逢瀬のような艶っぽい感触もある。グラスの中の泡も恋人も、朝がくれば魔法のように主体のもとから消えてしまうのだろう。
東の空が白く、明るくなり始める頃、炭酸が抜けてすっかりぬるくなってしまったサイダーを手にしている主体の姿を想像した。すこしアンニュイな夏の幻想に思えた。

傷寒の
鶴よ
脾臓の
影るべし
/「夏の影」笛地静恵さん
分かち書きの句。どの節にも力、それも視覚的なコントラストを感じさせる単語が含まれていて表現主義の映画のような強いインパクトが感じられた。
「傷寒」はウイルスや細菌による発熱性の病気のこと。実際の脾臓はまっくらな体内にあるから陰ることもない。まさに実景を超えた、幻想の世界の句だろう。「影」はレントゲン写真などに写る病変を表すときにも使われる言葉だから、傷寒、脾臓といった医学用語をゆるく結びつける効果があるように思う。
熱病のまぼろしのなかで鶴が飛び、脾臓にひそやかな影が落とされる。この鶴自体、本人も気付いていない病気の暗示であるのかもしれない。そんな景を想像した。

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