幻想句集を読んで・参(海霧)

前回(弐(虹))の記事はこちらから
https://note.com/shueshueshu/n/neeb4830b399d

眼球Aになるまでの手記夜盗虫/「まなうら療法」縞田径さん
夜盗虫は蛾の幼虫で、夜に地上に現れて園芸植物を食害する。「眼球A」とは点Aなどと同じく、明確な名前のないものに対する記号だろう。
「〇〇の眼球」ではなく「眼球A」に変化するということは、元の名前を失っているということか。そうすると夜盗虫が食べていたのは眼球の持ち主だったように思われる。夜盗虫が夜な夜な現れ、身体を侵食してゆく。毎日淡々と手記のページが増えてゆく。最後は肉体を食べ尽くされて、名無しになった眼球だけがころりと残る。怖すぎる。
どうしても句からだけは読み解けない部分もあった。一連の事象を観察し、手記を書いていたのは何者なのだろう。今も眼球Aだけが知っている。

モネの描くコクリコの赤愛の色/「夏の精」しまりすさん
モネの作品「 アルジャントゥイユのひなげし」の風景を思い浮かべながら読んだ。
コクリコは一輪をクローズアップして見るとその赤が鮮烈だが、印象派の筆で風景画として描かれると違って見える。この絵の中のコクリコの花畑は繊細な赤い点の重なりでで表現されていて「愛の色」という表現がふさわしい。冒頭のモネの絵には花畑を散策する母子が描かれているし、この句でいう愛は男女の愛ではなく家族愛や人間愛のように思える。
それでも、眠りや幻覚の化身でもあるコクリコには用心しなければならない。うとうとと目を閉じたら、優しい花畑の絵の中へ閉じ込められてしまいそうだから。

尾の欠けたリュウキン闇をかき分ける/「夏の贄」多舵洋さん
リュウキンは観賞用に品種改良された結果、泳ぎの得意ではない金魚だ。透明感のある長い尾を揺らしながら、儚げに水中を漂っている。
闇の中のリュウキンというと日本画のような清涼感のある景を想像するが、かき分ける、の表現からは普段の優雅なふるまいとは違う切迫感が感じられる。闇の外へ逃げようとしているようにも思われるが、水槽の外へ脱出することは決してない。終わらない悪夢に閉じ込められたように、暗い水の中を不器用に泳ぐことしかできない。そう思うと、欠けた尾もリュウキンに刻まれた目印のようにも思われる。どこまで行っても逃げられない呪いのようでただ恐ろしい。
じっとりと嫌な汗をかいてしまう怪談のような句だった。

都庁から落ちる緩さで溶ける靴/「貝の甘さ」千春さん
都庁、というのがああ、何だかちょうどいいなと思った。スカイツリーだったら地面が遠すぎて、落下する時に緩さは感じられないように思う。
都庁から落ちているのはにんげんで、溶ける靴は彼女が履いている靴と読んだ。(男性かもしれないが、溶ける靴、ということばはすこしフェティッシュで女性の匂いがした。)
真夏の東京を見下ろす都庁から、誰かが落ちてくる。靴がするりとぬげて、アイスクリームのように溶け始める。移動速度が上がると体感速度が遅くなるというから、もしかしたら溶けているのは時間そのものかもしれない。彼女も靴も永遠に落ち続けるように思う。アリスがウサギの穴を何時間もかけて落ちていったように。

火の車アガパンサスの青き夢/「篝火」涼閑さん
アガパンサスは彼岸花の仲間で、一輪だけではそれほど目立たないが野原や庭に群れて咲き乱れている姿は壮観だ。その青白い花はひんやり冷たいようにも、高温で燃え盛る炎のようにも見える。
「火の車」はそんな花の形態の比喩として読めるし、同時に死者の出た家へ現れ魂を地獄へ連れ去るという不吉な怪異の名前でもある。
夕闇の庭に、ぽ、ぽ、ぽ、と狐火のような青い花が篝火のように咲いている。まさしく夢のようで幻想的な風景だが、その一つは本当の燃える車輪になってこちらへ近づいてくるかもしれない。

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