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【前回】 1 淀(よど)興業を『ヨド』に改めて以来、事業規模はますます拡大の一途を辿(たど)った。 支店はほぼ全国を網羅。それも人口規模によって、複数の支店を置く都市もある。業績もまた鰻(うなぎ)登りなら、業態の呼称も古くから用いられてきた『街金』に加え、七〇年代に入ると『サラリーマン金融』、略して『サラ金』が使われるようになった。 手形金融の業績も殊(こと)の外順調に推移した。 最大の追い風となったのは、東京オリンピックの翌年、昭和四十年九月に開催が決定
【前回】 3 「坂道を転げ落ちるように」とは、凋落(ちょうらく)の速さを比喩する言葉だが、逆の場合にも言えるのだと清彦(きよひこ)は思った。 手形金融に続いて清彦が始めた主婦金融は、予想を超える大商いとなった。 まずは、尼崎(あまがさき)の大手製鉄会社の社宅の郵便受けに「担保不要、審査ナシ、電話一本で即融資」と謳(うた)った広告チラシを入れたところ、ちょうど夏の賞与を翌々月に控えていたこともあったのだろう。半月も経(た)たぬうちに、融資を申し込む電話が引きも切ら