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海路歴程/花村萬月

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精力的に執筆を続ける著者があたためていた構想がついに実を結ぶ! 水運国家としてのこの国の歴史をひもとく大河ロマン。
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2024年7月の記事一覧

海路歴程 第十一回<下>/花村萬月

.   *  遣り取りをする相手がいなくなると、一日が長い。どのみち昼も夜もひたすら横たわっているのだが、伴助は昼間を嫌悪した。陽射しを避けて、顔まで含めて全身を筵で覆って転がっている。  日が翳ると、筵を剝いで無窮の闇に瞬く星々にいつまでも眼差しを投げる。ひたすら独りで喋る。精神が分裂したかのように、一人二役で遣り取りする。  その晩、ざわわと雨風が伴助を擽った。船乗りなので風の種類は肌が覚えている。降雨を直感したが、遅えよ──と伴助は胸中で苦々しく呟き、舌打ちを付け加え

海路歴程 第十一回<上>/花村萬月

.     09〈承前〉  中途半端にひらいた罅割れた唇から、薄汚く黄ばんだ糸切り歯が見える。前歯はない。落雷したときに泣き騒いで親司に殴られ、折られたのだ。  貞親は惚けて、ひたすら爨の糸切り歯を見つめた。歯には艶がまったくなく、乾ききっていたが、尖りが獣じみていた。その脇に生えている歯と歯のあいだに、薄白いものがはさまっている。  盗み食いしやがって──胸中で吐き棄て、貞親は無理やり口をひらいて歯の隙間にはさまったものを抓み、引き抜いた。  凝視する。  いったい何か?