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後は跡だけアトモスフィア/信州史跡探訪File006

(旧中山道クロスバイク行)ここまでのあらすじ
朝、みどり湖駅にクロスバイクを置く。洗馬駅に車を停め、JR中央線を使ってみどり湖駅に戻り、クロスバイクに乗って旧中山道の旅を始めた。永井坂、永福寺などの史跡をめぐり、いよいよ塩尻宿の中心街に入る。
その1/みどり湖駅事件はこちら

塩尻宿

Myため池の持ち主、小野家の経営していた旅籠が残っている。1831(天保2)年の建築で国の重要文化財。

旅籠とは今でいうビジネスホテルのような機能を担っていた。公用の武家、行商人からお伊勢参りの観光客までさまざまな階層の人たちが客となった。ちょうど十王堂跡の双体道祖神が建立された文化6年の9月には伊能忠敬が第7次測量隊を率いて「銀杏屋佐市藤屋勝治」に宿泊したと伊能忠敬e資料館の記録にある。

このいてう屋の建物を除けば塩尻宿の中山道沿いに見るべき史跡は何も残っていない。

跡、跡、跡とあるが当時のものは石ひとつ残っていない。新旧の碑が建つばかりである。

かつて中山道は下諏訪から小野宿を経由して贄川付近で木曽路に入っていた。

旧旧中山道

これが二つの険しい峠を越えるため、1613(慶長18)年に廃止され、翌年、北に迂回して塩尻峠から桔梗ヶ原を通るよう幕命によって付け替えられた。

旧旧道はわずか10数年で廃道となった。

塩尻はそのときに新しく開設された天領の宿場である。

薄曇りの空に青空が覗き、気温が上がってきた。

水を持っていない。

サイクリングでこれをやらかしたのはもう3度目である。渋谷の家の回りには…そう30mと置かずに自販機がある。ところが地方では幹線道路でも自販機はない。去年の夏に下諏訪でも経験したが都心と決定的に違うのは歩いている人がいないということだ。自販機を置いても買う人がいない。

諏訪地方を車で走っているとよく「ハッピードリンクショップ」という看板を見かける。自販機がいくつもまとめて設置され、1、2台分の駐車スペースが確保されている。だがあくまでもドライバー用である。それも数キロに一か所で市街地にはない。

この先で旧中山道がいったん153号線を外れる。その直前にコンビニがあった。助かった。

今まで買い物はドレミ任せだったので大きさが分からない。バイクに設置するための袋を持ち込んでぴったりサイズのお茶を購入した。

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