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タイヤ交換/山に暮らして

季節外れの高温は八ヶ岳山麓にも及び,11月に入ってなお暖かい日が続いていたが,いよいよ来週からは平年並みに戻って山では氷点下になる日もあるとの予報である。車を冬タイヤにしなければならない。去年まで東京に住んでいても冬はスタッドレスに履き替えていたが,交換作業は専ら車屋さんにしてもらっていた。

だが山に引っ越すと車は生活必需品となる。ミズイロライフとオーリスの2台分8本の交換が必要である。スタンドやオートバックスに持ち込めば数年前までは600円ほどだったのが今や1本1,200円。髪結いの亭主の身分ではタイヤ交換くらいは自分でせざるを得ない。

さすがに車載のパンタグラフ型ジャッキではキツイお年頃…オートバックスで油圧式のフロアジャッキを購入した。土地柄である。油圧ジャッキは店頭に平積みされていた。

去年まで母が使っていたミズイロライフのメンテナンスは農協の整備工場に丸投げしていたので冬タイヤもきちんと揃っている。地下室から運び出してみるとなんとゼイタクにもブリザックであった。母は冬の間は東京で暮らしていたのでこの高性能スタッドレスタイヤは一度も雪道を走っていない可能性がある。

東京のお台場が13号埋め立て地と呼ばれていた頃,ボクは悪友たちと誘い合わせて夜な夜な出かけて行ったものだ。昼はごみ収集車がひっきりなしに出入りする埋め立て地が夜ともなれば人っ子一人いない。民家の灯りは遥か遠いのに防犯上のためか街灯だけはどこまでも明るく道を照らしていた。

ボクたちは2TGやZ18Eを搭載した自慢の愛車に丸坊主のタイヤを4本積んで行き現地でタイヤ交換した。13号埋め立て地は東京の走り屋たちにとってドリフト走行の練習場だったのだ。もちろんイリーガルである。帰るときは再びタイヤを元に戻す必要があったので,当時は正味20分もあれば4本のタイヤを交換することができた。

昔取った杵柄でボクにとって軽自動車のタイヤ交換は容易い。ただ十字レンチでナットを緩めたり締めたりするたびに
「はぁああ!!」
…などと変な声を上げてしまうのには自分でも閉口した。3本目だったか,昼食の焼うどんをリバースしそうになって必死に耐えた。何とかすべての交換を終えて地面にへばっていたら,休日でバイオリンの練習をしていたドレミがやってきた。
「外したタイヤ運びましょうか。」
などと言う。いや,これは男の仕事だと言いながら足腰が立たない。結局,地面に座って,軍手をしたドレミがスカートのままタイヤを転がして行くのをぼんやり見ていた。明日はいよいよ225のタイヤを履くオーリスの作業だ。

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