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オードリーと長さん

母が居間で「ローマの休日」のDVDを観ている。たぶん30回目くらいである。ボクは昨夜のシリシリの残りと揚げたチキンボールをトマトケチャップ味にアレンジして「天才チキンボール丼」を作った。リモコンを操作して「ローマの休日」をポーズする。食卓までは自分で歩かせる。今年に入って毎日その往復20歩くらいしか歩かなくなった。
「おいしそうだねー」
iPhoneを構えて「天才チキンボール丼」を撮影してから食べ始める。そんなことを言いながらもふだんはすぐに箸を止めてすまなそうに残してしまう。ところが「天才チキンボール丼」がよほど口に合ったのかそれとも単に空腹だったのか全部平らげてお茶を淹れ始めた。
「全部ぺろりと食べたねえ。」
…と自画自賛する。もっとも普通の1/4くらいの量なのでえばれるほどのことでもない。

「ローマの休日を初めて見たのはね…」
「え?」
ボクは思わず洗い物の手を止めた。母はときどき唐突に「フツウ」に戻る。表情までが凛としたオリジナルの母である。ボクは急いで食卓に戻ってお茶を手にした。
「資生堂に勤めているときだったのよ。」

祖父は商売人で経営していた商店はとても繁盛していたそうだ。それを戦前に台湾に移転した。店はさらに大きくなり,台湾で生まれた母は常ににお手伝いさんや子守に囲まれて何不自由なく育った。その生活が敗戦で一転した。着の身着のまま引き上げ船に乗り,熊本の親類を頼ったのである。

大店の奥さまから突然すべてを失った祖母の苦労は想像を絶する。辛うじて和裁や洋裁で生活を支えた。やがて母は役場の職員の仕事を得てスクーターを買った。モガである。さらに資生堂の美容部員に採用された。この世代の方ならお分かりだと思うが,当時,資生堂の美容部員といったら,それはそれはたいへんなものであった。テレビコマーシャルなどない時代,化粧品のモデルも兼ねた美容部員は,ほぼミス熊本に匹敵するステータスだった。おそらく今日の話はそんな,少し生活に余裕ができた頃のことだと思われる。

「出勤したら,上司が今日は好きなように遊んでいいよ。と言ったのよ。」

ここまで聞いて,ボクは一度か二度は聞いたことがある話だと思い出した。だが細かい内容は忘れていたし,珍しく今見ていた映画から正しい延長線上で話題を選んだ母の話の腰は折りたくない。

「資生堂って熊本の?」
「そうよ。その日は資生堂で初めてのストライキだったんだけど,わたしはストライキの意味が分からない。」

とにかく転がり込んだ幸運に美容部員たち5人は歓喜し,相談の結果,みんなでハリウッド映画を観に行こうということになった。新人女優の美しさが大評判だった「ローマの休日」である。

熊本でいちばん大きな映画館で「ローマの休日」を観た美容部員たちの興奮は想像に難くない。映画館を出ても解散すること能わず,みなで向かいにある喫茶店に行っておしゃべりすることになった。

2階の窓際の席で何気なく通りを見ていた母は路上に見慣れた和服姿が立っているのを見出した。
「お,お母さん!!」
それはそれは驚いたことだろう。苦労人の祖母が昼間に繁華街にいるのはどうしたことだろう。和服の夫人はしばらく立ったまま逡巡していたが,やがて意を決したようにお財布を取り出して映画館へ歩みを進めた。「ローマの休日」ではない。隣りの幕で上映中だった渡り鳥シリーズの入り口に消えていった。祖母は長谷川一夫の大ファンであったのだ。

「お母さん,電気館に長さんの渡り鳥もかかってたわよ。」

帰宅しても祖母は家族に映画に行ったことを話さなかった。母は目撃したとは言わずに意地悪く鎌をかけた。長さんとはファンにも知られた長谷川一夫の愛称である。だが,惚けるばかりでとうとう映画鑑賞のことは話さなかったそうだ。祖母にとって,昼間に一人で長谷川一夫を観に行くことは余程の罪悪感が伴っていたと思われる。

資生堂のストライキがどうなったのか母は知らない。だが翌日から通常の勤務が戻ったので労使の折り合いがついたのだろう。




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