Myため池は史跡だろうか問題
(旧中山道クロスバイク行)ここまでのあらすじ
朝、みどり湖駅にクロスバイクを置く。洗馬駅に車を停め、JR中央線を使ってみどり湖駅に戻り、クロスバイクに乗って旧中山道の旅を始めた。永井坂、永福寺などの史跡をめぐり、いよいよ塩尻宿の中心街に入る。
その1/みどり湖駅事件はこちら
さてさらに西に進むと旧中山道は仲町でいったん国道153号に吸収される。153号は交通量のとても多い幹線道路で緩慢なスピードの自転車は少々走りづらいほどである。
いてう屋の堤防
仲町の交差点に「是より西 中山道塩尻宿」という真新しい石碑がある。石碑の北側はつい最近、住宅地として開発されたようで、サイディングボード造りの真新しい住宅が密集している。その住宅街を抜けたところに「いてう(いちょう)屋の堤」が残っている。
塩尻宿いてうや当主小野某は旅籠の他に両替商なども経営していた豪農で、この堤は彼が築いた。別に治水事業に貢献したというわけでもなさそうで、有り体に言えば、小野家のマイ・ため池である。
金属製の立派な案内板には、先ほど訪ねた永福寺観音堂の移転建替え工事が棟梁の不慮の事故で頓挫した際、いてうやが資金援助して完成にこぎつけたとある。たったそれだけの美談が黒船来航に始まる長文で語られていて少々鼻白む。文責者は平成29年当時の塩尻中郷土歴史班とあるがどう見ても無駄に大仰な文の言い回しは中学生のそれではない。
堤の一画を残し三方から住宅開発が迫っている。さてさて、マイ・ため池跡に史跡としての価値のありやなしや。
三州街道口
堤からまた住宅街を抜けて国道153号に戻り、わずかに西進すると三州街道という石碑がある。
古い道標は「左 塩尻峠 右 中仙道」と読める。ここは三州街道の起点である。三州とは三河の国(愛知県東部)のこと。自転車が出発したみどり湖駅前を通り、飯田を経由して治部坂峠を越え岡崎で東海道に合流する。現在自転車で辿っている153号を逆方向に進めば、三州街道とほぼ同じコースをたどるが、愛知県に入った後は岡崎に向かわず、豊田から西に折れて名古屋まで通じている。
20mほど進んだところにこんな碑も立っていた。明治のご維新時に失われた寺院の跡である。十王とは仏教や道教に言われる閻魔大王ら地獄の裁判官ことらしい。明治政府の身勝手な廃仏毀釈令で破却された仏教文化財は全国に数知れず、松本藩なども新政府にへつらうかのように容赦なく令を執行したものと思われる。
ここに立ち止まったのはほかでもない、十王堂の回りにあったものを集めたと思しき石碑群のなかに案内板付きの双体道祖神を見つけたからだ。脇に文化6年2月とある。
…と、いう訳である。ぼけっとした表情の左像は去年から髪結いの亭主となった我が身のようで身につまされる。
その5/後は跡だけアトモスフィアへ
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