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小澤さんのちょっとイイ話

妻のドレミはボストンまで追っかけするほどの小澤征爾ファンであるが,昨春アイターンしてすぐに諏訪響こと諏訪交響楽団に入団したのは全く偶然のことである。諏訪響は小澤征爾さんと縁が深い。

諏訪響の会長武井勇二氏は小澤さんより3つ年下で同じ成城学園中学に学んだ。それだけの縁を頼りに共通の恩師である国文学者の今井信雄氏を通じて1964年に小澤さんを自分の所属している諏訪響に招へいしたのである。小澤さんは当時ニューヨークに在住し,すでに世界的な注目を浴びていて,しかもN響ボイコット事件をきっかけに「日本では二度と指揮しない」と公言していた時期である。

そして四半世紀後の1989年,エプソン(大和工業)に入社していた武井氏は,資金難からサイトウ・キネン・オーケストラの運営に苦慮していた小澤さんのために当時の社長故中村恒也氏に直談判して援助を取り付ける。エプソンはそれから3年間にわたって海外公演を含むサイトウ・キネン・オーケストラの活動を単独で支えた。斎藤英雄氏にも小澤さんにも縁のない松本の小さなコンサートホールに世界中から斎藤門下の著名な演奏家が会し,サイトウ・キネン・フェスティバルを催すのは専ら武井氏と中村氏の尽力によるのである。

こうした縁で小澤さんはアマチュア楽団である諏訪響を何度も振った。新年会にも顔を出し,ウィーンの公演にも来てくれた。最後に指揮したのは2010年。演奏会のポスターまで印刷されていたが小澤さんが体調を崩したために公演は実現しなかった。

諏訪響には小澤さんの指揮で演奏を経験した団員が今も何人もいる。ドレミの入団時に世話をしてくれた現在のコンマスからして武井勇二氏のご次男である。だから今回の訃報に接し,団員の悲嘆はより大きい。定演に向けての練習でも休憩時間には小澤さんの思い出が語られることが多い。これから記すお話はドレミが聞いたそんな団員たちの思い出話のひとつである。

その日は2010年の9月1日,小澤さんの誕生日だった。ちょうど練習日にあたっていたので,団員たちはケーキを準備し,小澤さんが練習の最初の曲に手を振ったとき,全員で「Happy birthday to you」を演奏するというサプライズを企画したのだ。小澤さんは指揮棒を使わない。指揮するすべての楽曲は暗譜している。練習場の静寂の中,彼は両手をかざそうとして,出だしに音がないはずのビオラ奏者が楽器を構えたのを目敏くみつけた。神経質な性格である。厳しい視線をビオラに送る。演奏者は慌てて構えを解いた。そして小澤さんの両手が振られる瞬間,「コンマ何秒でビオラを構え直した」そうである。

ドレミたちの休憩時間はそこで終わり練習が始まったのでおしゃべりも中断された。指揮台で「Happy birthday to you」を聞いた小澤さんの反応は聞けず仕舞いとなった。おそらくは破顔一笑,団員たちの心尽くしを喜ばれたと想像される。

さて,ボクが愛用しているのはエプソンの大判プリンターでインクも紙も純正である。コストはあり得ないほど高いがクオリティが圧倒的なので他の選択肢がない。毎年制作しているタローカレンダーもこの大判プリンターによっている。然るにご時世からエプソンの諏訪響に対する援助は非常に細っているようである。せめてドレミたちが普段に練習する元木造倉庫の建物にキレイなトイレの設置を検討してもらえないだろうか。


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