雑談「若手手伝いから見た内海桂子師匠」

ご無沙汰しております。

うすくら屋シュースケです。

この度はいいねありがとうございます。

これからもいいねと共感を頂ける記事を書けたらと思います。

今回は

【内海桂子師匠】

との思い出について書こうと思います。

といっても

僕らは現在一般社団法人漫才協会の前身である

社団法人漫才協会の時からお世話になっているので

歴が浅いというか

漫才協会2020年3月〜に関しては

内海桂子師匠が入院してると話も聞いてたので

実質、僕が肉眼で見たのはお正月公演とか

そのあたりになるかと思います。

しかし、僕らは2013年〜2017年のお手伝い期間は元気でした。

内海桂子師匠の年齢だと91から96歳頃は

三味線も踊りも演じるし

唯一、耳が遠くて聞こえなかった事で

僕らが挨拶する際はうたじ師匠が仲介で

「新人さんが来たんですよ」

と大きな声で伝達して頂きました。

けれども、体はバリバリ元気で

杖をつかないで楽屋入りするし

舞台では若手と一緒に名超銘木。

僕らはお手伝い期は当時司会業とかバンバンやってましたから

ほぼほぼ桂子師匠にガッチリ腕を捕まれ

そのまま桂子師匠の横乳を肌に感じながら

名超銘木やりましたからね。

「まずはアンタ達名前なんていうの?」

の問いからアドリブトークが始まり

基本大体は松、竹、梅の順番から発展させ

○○きから○○とりとってそっちへ渡したと

言葉をどんどん渡していく。

ちなみにその下りに

塙さんは塙さんで「口で受ける」のワードに反応して

キスをしてボケようとしたり

色々と桂子師匠の舞台に出たり

ほかの芸人の舞台を見たりしましたが

ある時は一番前に小学生の子供がいて

「ほれ、何とりとめた?ほら、言ってごらん。何どりつって。」

と問い詰めたら男の子が泣き出して

「何泣いたの?弱い子ね。」

と毒を吐いたり

時間の都合で三味線を若手に持ってかれそうになった時など

「私は40分やりたいんだ」

といって椅子を床に滑らせたり

打ち上げもパワフルで

カレー屋ではナンにカレーをつけて大ジョッキで流し込むわ。

とにかく食欲旺盛でした。

だから、2018年の年忘れ大行進からよろけて以降

椅子に座り、三味線の持つ手が激しく震えるようになったり

最終的には名超銘木のみ。

そして僕ら個人でいえば、桂子師匠から

一度、行きつけの洋食屋「ヨシカミ」で

漫才新人大賞決勝数日前に

僕達の芸について

桂子師匠のマネージャーさんがアドバイスしてた時に

「素人が芸について口をするな。」

と急に桂子師匠が「やっこさんだよ!」のテンションで怒り始めた事が

「漫才てのは教わるではありません。自分で考えるもの。」

ナイツさんの最初のDVD「漫才21世紀」

映像での桂子師匠の言葉を思い出しては

「素人が芸について口を出すな」

という言葉は

当時アンケートの意見に左右されていた僕から考えると

ものすごい金言を得たなと  

「素人が芸について口を出すな」

ルポライターにきかせてやりたいくらい

今でもこの言葉を胸に漫才やっております。

桂子師匠、noteにまとまるまで時間かかってすみません。

天国でも奴っこさんを踊っているのかな。

本当に師匠のおかげで色んな経験をさせて頂きました。

ご冥福をお祈りします。

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