#057 「入れない情報」を決めるのが大事
「入れない情報を決める」
のっけからなんですが、独学において一番大事なのは「入れない情報を決める」ということだと思っています。
独学はもちろん、情報をインプットして何らかの知的資産に転換していく営みではあるわけですが、現在は、情報がオーバーフローの状態にあるので、システムのボトルネックはインプットされる情報の量よりもそれを抽象化・構造化する演算処理能力のキャパシティにあります。
つまり、いたずらにインプットを増やすよりも、将来の知的生産につながる「スジの良いインプット」の純度をどれくらい高められるかがポイントとなるわけで、わかりやすくいえば「量よりも密度が重要になる」ということです。だからこそ、「テーマ」を設定し、そのテーマに沿ったインプットを意識することが重要なわけです。
情報という言葉を英語にするとインフォメーションという言葉とインテリジェンスという訳語があります。米国の諜報組織CIAの訳語は中央情報局ですが、CIAのIはインフォメーションではなく、インテリジェンスです。ではインフォメーションとインテリジェンスは何が違うのか?
言葉自体の元々の定義はともかくとして、こと「知的戦闘能力を高める」という目的に照らしれ考えれば、両者は「その情報を取得したことで意思決定の品質が上がるか?」という点で違いがあります。インフォメーションが、単なる情報でしかないのに対して、インテリジェンスというのは、その情報から示唆や洞察が得られるということであり、さらにいえば、その示唆や洞察によって、自分の意思決定の品質が上がるということです。
これはいろんなところで言っている話ですが、私はニュースの類をほとんど見ません。数年前、アイドルグループのスマップが解散しましたけれども、このニュースも、解散してしばらくたった時に、たまたまタクシーに同乗した同僚から「そういえば、スマップ解散しちゃいましたね」という話題を振られて初めて知ったくらいです。ちなみにその同僚からは「ええ!?山口さん、知らなかったんですか!」と驚愕されました。
はい、知らなかったんですけど、それで全く困ることはないんですよね。先述したインテリジェンスの定義を踏まえれば、「価値のある情報」とは「その情報を入力することでシステムのパフォーマンスが上がる情報」と定義されます。そして「スマップが解散した」という、おそらく膨大なエネルギーと時間をかけて日本中の人々が流通させた情報は、僕にとって一ミリの価値もありません。スマップが解散しようがメンバー同士が同性婚しようが、自分の行動の変化に直結する示唆も洞察も得られないからです。世の中に垂れ流されている情報のほとんどは、誰それが離婚したとか浮気したとか死んだとか、そういう「自分の人生にとってどうでもいい情報」であることが殆どです。
そういえば、ビルバオのグッゲンハイム美術館の設計などで世界的に著名な建築家フランク・ゲーリーは、東大の建築学科の授業で次のように語っています。
情報には価値がある、と考えられがちなのは、おそらく、情報処理におけるボトルネックが「情報の量」だった時代の名残なのでしょう。しかし先述したように、現在、情報処理にボトルネックは「情報の量」から「情報処理のキャパシティ」に移ってきています。
だからこそ、いわゆる「ビッグデータ」が問題になるわけです。あれは「ビッグデータ」という名称から、ポイントが「データの量」にあるように見えるわけですが、そうではなく、誰にでもアクセスできる大量のデータから、どうやって自分にとって意味のある洞察を抽出できるかという「情報処理の能力」についてのキーワードなんです。
同じことが、個人にも適用して言えるのであれば、むしろ積極的に情報は遮断して、自分の持っている情報処理の能力を、自分にとって意味のある洞察や示唆に得られる領域にフォーカスすることが重要なのではないでしょうか。
ということで、そうなると「古典が大事」ということになるのではないか、と思います。
なぜ「ビジネス書のベストセラーは読まなくていい」のか?
物書きの仕事をやっている人間がこういうことを言うのは天に唾するようなものだという批判もあるかもしれませんが、あらためて。独学や読書に関するお話をすると、必ずと言っていいほど出るのが「ビジネス書のベストセラーは読むべきですか?」という質問です。すでに自著で回答は述べていますが、少し思い直すところもあり、あらためてこの質問に関する回答を述べておきたいと思います。
既にいろんなところで書いたり話したりしていることなんですが、私は新刊のビジネス書をほとんど読みません。何かきっかけがあったり、深い考えがあったりしてそうしているというよりは、読みたいと思う本を感覚的に選んでいたら、いつの間にか新刊のビジネス書がほとんど含まれなくなったということです。これは本当に感覚的なことなんですが、あえてロジカルな書き方をするとすれば、新刊のビジネス書は全般に費用対効果が低い、というのが僕の考え方です。
読書を一つの投資と考えてみれば、原資は自分の時間しかありません。この話は先日、VOICYにもあげましたけれども、キャリアというのは時間資本を投資して人的資本に転換し、人的資本を投資して社会資本に転換し、それらを最終的に金融資本に転換していくという「確率のゲーム」です。
全ての資本の元手になるのは時間資本ですが、この資本には明確な特徴がある。それは「キャリアのスタートポイントにおいて、時間資本は誰もが公平に1日24時間しか持ちえない」ということ、つまりゲームのスタートポイントにおいて時間資本には「公平」かつ「有限」なのです。
この「公平」かつ「有限」な時間資本をどのように使うか、というスタートポイントの投資戦略によって、数十年後の大きな差が生まれることを考えれば、どの本に自分の時間を投下するかはとても大事な意思決定だということがよくわかると思います。
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