#061 仕事に逃げない、努力に逃げない

人材教育の世界でよく知られる映像素材に「紳竜の研究」という伝説的なDVDがあります。これは、当時キャリアの絶頂期にあった島田紳助さんが、吉本興業の若手に対して「漫才の戦略」に関する講義を収録したものです。この映像を見ると、島田紳助という人が、いかに戦略的に自分の漫才を組み立てていったかということがよくわかります。抜粋版の音声がYoutubeに上がっていたのでまずこれを聞いてみてください。

おそらく、多くの人は、お笑いの世界で成功する人には天性の「お笑いのセンス」がある、と思っているのではないでしょうか。生まれつき「人を笑わせるセンス」を持っている人が、自然に「素の自分」を出すことで、笑いをとっている、という考え方です。しかし、島田紳助さんは、この講義の中でそのような考え方を全否定しています。理由は「そんなことやってたまたま売れたとしても一発屋で終わるだけ」だからです。

漫才の世界でどのようにして生き残るか。生き残るためには「生き残るための戦略」が必要です。紳助さんは、漫才の世界でやっていく、ということを決めてから、まずはこの「漫才の戦略」をつくることに専心します。具体的に何をやったかというと、まずは「漫才のパターン」を整理したんですね。

長く活躍して人気を保っている漫才師の漫才を、とにかくたくさん観る、聴く、ということをやったわけです。おそらく、これを読んでいる読者の方も「それくらいなら俺だってやるよ」と思っているのではないでしょうか。そう、違うのはここから先なんです。紳助さんは、そうやってたくさん観た漫才を、すべて文字に書き起こした上で「面白さの構造」を分析していくんですね。

紳助さんは後輩にこう諭します。「おもろい漫才を録画して観る、テープにとって聴くとかみんなもやってるでしょ。そんなの何遍やっても何もわからんわ。紙に書くの。ものすごい時間かかるけど全部紙に書き出す。それで毎晩寝るときに何が違うんやろって考えるの。そうすると色々とわかってくる」。

経営学の世界ではこれを「リバースエンジニアリングによる競合ベンチマーキング」と言います。紳助さんはもちろん経営学のコンセプトを学んでここに行き着いたわけではありません。自分の頭で「いま、何をやるべきか」を考えただけです。おそらくビジネスパーソンになっていたら素晴らしい戦略プランナーになっていたのではないでしょうか。

このベンチマーキング分析から「オチのパターンは8割一緒でいい。お客は気づかない」「面白くないネタを混ぜることで面白いオチが引き立つ」「間の数が多くなるほどリズムを保つのが難しくなる」などの「笑いの法則」を抽出していきます。紳助さんはこれを「お笑いには教科書がなかったので、まずは自分で教科書を作ろうと思った」と言っていますね。おそるべき戦略的思考様式です。最終的に「漫才にはいくつかのパターンがある。自分が最も上手くやれそうなパターンを選んでそれで勝負をかける」と考え、そのパターンを元に自分の漫才のスタイルを作り上げていきます。

すでに市場で存在感を放っている競合を分析し、自分のキャラクター、声のトーンやリズムと最もフィットしそうなパターンをパクったわけです。つまり、紳助さんの漫才は、紳助さんの「素の自分」によって手なりでつくられたものではなく、極めて戦略的な思考の末に計画されたものだったということです。

さて、これで「自分の漫才」の方向性は見えたとして、そこから紳助さんは更に思考を深めていきます。なにを考えるかというと「市場の分析」なんですね。驚くべきことに、ここで紳助さんは座標の概念を持ち出しています。いわく、X軸に「自分の漫才のスタイル」を、Y軸に「世の中の笑いのニーズ」をとって、その交点を考える、ということなんですね。なぜそんなことをやる必要があるのか、というと「時代は必ず移り変わっていくから」。自分の笑いのスタイルが確定したとして、それでずっとやっていけると考えてはいけない。売れ続けるには、世の中の変化に適応して自分の笑いのスタイルもアジャストしていかないとダメだ、というわけです。これはまんまマーケティング戦略の考え方です。

さすがにこの思考様式には周囲の人もついていけなかったようで、紳助さんはコンビを組んだ相方に、自分が磨き上げた「漫才の戦略」を説明するものの、当初はまったく理解されず、自分から逃げたり、相手に逃げられたりということばかりだったようです。そこへ現れたのが松本竜介さんでした。竜介さんが、紳助さんが考えてきたことをパッと飲み込んで理解してくれたことで「こいつとコンビを組もう」と考えたそうです。

この講義において非常に印象的なのが、紳助さんがしばしば言う「むやみに練習しない、努力に逃げない」というアドバイスです。ネタの練習をすれば、当然上手くなる。上手くなったことで満足してしまいがちなんだけど、それではダメで、大事なのは「どんな漫才で勝負するか」という戦略をきちっと考えることだ、というんですね。

これは私がいろんなところで指摘している「努力のレイヤー」に関する指摘です。努力には階層性があります。血みどろの市場で他と代わり映えのしないポジションをとって、そこで頑張り続けるというのは「レイヤー1」の努力ですが、これはとても費用対効果が低い。

一方で、どうやったら他と争わずに美味しいポジショニングが取れるかを一生懸命に考える、というのが「レイヤー2の努力」ということになります。はたから見ていれば「レイヤー2の努力」をしている人はなんとなくラクそうにしているように見えるものですが、とんでもない。ラクして勝てるポジショニングを取るために必死に戦略策定の段階で努力をしているわけで、両者では努力の向きが違うというだけのことなのです。

私たちは「わかりやすい努力」に逃げて安心したがる、という悪い性壁を持っています。人生のメーターはどんどん動いていくのですから、とにかくジッとしていると不安でしょうがない。だから、とにかく「わかりやすい努力」を一生懸命にやって、それで「努力しているつもり」になって安心しようとするわけですが、ではこのような「わかりやすい努力」の末に、大きな成果が待っているのでしょうか。

少なくとも「漫才の世界」において「それは絶対にない」と紳助さんは指摘します。自分たちがどんな漫才をやっていくのか、それは時代のニーズとフィットしているのか、という点をしっかりと考える。つまり戦略策定の部分にこそ努力を振り向けるべきであって、そこをおざなりにしたままに、ひたすらに職人芸的にネタを磨き上げていくということをやっても市場では生き残れない、というのが紳助さんのアドバイスの骨子なんですね。

一方で、私たちの社会に目を転じてみれば、考えることを放棄して、ただひたすらに「速い、安い、うまい」を目指して疲弊している組織や個人の何と多いことか。つまり「仕事に逃げるな」ということです。現実を見て、市場の競争原理を洞察して、自分がどこにいたら勝てるのか?を考えること。これは組織にとっても個人にとっても求められていることだと思います。

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