#026 自分のBが自分の悩みを生み出す

自分のBが悩みを生み出す

ある学生が単位不足で留年することになった(出来事)。そして抑鬱状態になってしまった(結果)。するといかにも「留年した」という出来事(=Activating eventの頭文字をとってAとする)が抑鬱状態という結果(=Consequence=の頭文字をとってCとする)を招いたように見えますね。

しかし本当はそうではないわけです。「大学は四年で卒業すべきである」とか「留年した人間は人生の敗者である」とか「卒業していく友人から軽蔑される」とか「親の期待を裏切ってしまった」などといった「世界観」や「人生観」、つまり「ものの見方」(Beliefの頭文字をとってBとする)があるから落ち込んでいるわけです。

A(出来事や事実)そのものがC(結果、悩み)を生むのではなく、B(世界観・人生観、受けとめ方)が悩みを生み出しているという事実は、この人生において究極的に存在するのは各自の受け取り方でしかない、ということを示します。こういう考え方を社会構成主義といいます。事実はない、ただ関係性の中に立ち上がる「意味付け」があるだけだという考え方です。

同じ出来事=Aに遭遇しても、Bは各人各様であり、したがってCも各人各様です。そして、ここが大事なポイントなのですが、各人のBは、いずれも後天的に他者から、多くの場合「教育」という名のもとに実施された「洗脳」によって身についてしまったものです。

自分が正しいと思い込んでいるBは、家族や学校や会社問いったコミュニティや、もっと広く社会や文化圏に影響されて、いつの間にか信じ込むようになったものに過ぎません。当人にしてみれば、それらのBは金科玉条であり、疑う余地のない永遠の真理かもしれませんが、実際にはその大部分は人生のこれまでの過程の中で、たまたま洗脳されてしまったものに過ぎないのです。

それゆえに、この洗脳を解いて、Bを変えることは可能です。Bを変えることが可能であるということは、つまりCを変えることも可能だということです。C=結果は、すべて喜怒哀楽という感情の世界によって起きている一種の心的現象です。それらは決して事実ではなく「心の中で起きてる現象」なのです。目の前に起こっている「事実=A」は変えることができない。しかし、私たちは「B=受けとめ方」を変えることができ、したがって「C=結果として起きる心的現象」を変えることができる。

多くの人はCを変えるために、Aを変えようとして挫折し、自暴自棄になったり人生に絶望したり、場合によっては自殺してしまったりするわけです。Aは変えられない。変えられるのは「B=受けとめ方」しかありません。

Bは「考えること」によって変えられる

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