物理の限界と成長の限界

また大手企業による品質不正問題が露呈しましたね。

後出しジャンケンのようなものの言い方はあまり好きではないのですが、僕が自身のブログで、日本の企業から粉飾や偽装などのコンプライアンス違反が増加するであろうと指摘したのは2015年のことでした。

当時のブログの内容を簡単にまとめれば次のようになります。

  1. 様々な領域で品質や性能の改善は物理限界に近づいている

  2. 一方で企業は無限の成長を投資家から求められている

  3. 1+2より、不正や偽装への誘因は無限に増加する

  4. この誘因を律するのは宗教を基盤にした倫理=「罪の意識」しかない

  5. しかし、宗教的基盤がない日本では歯止めが効かないだろう

あまり表立って議論されることがないと思われるのが1のポイントです。私たちの生み出している様々な製品は物理的な特性によってその効率や性能が規定されるわけですが、多くの領域でこれが限界に近づいているということはあまり知られていません。

例えばエアコンというのは熱交換システムですが、現在は非常に効率が高まっていて、その性能は理論的な限界値に近づいている、という指摘を元東大総長の小宮山先生から伺ったことがあります。

あるいは半導体の密度にしても、これまでずっとムーアの法則によって性能が向上してきたわけですが、これもすでにナノレベルになっており、いずれは微細化の物理的な限界に到達してしまうことになります。

科学技術によって私たちの社会は大きな成果を得たわけですが、産業革命以後の弛まぬ取り組みによって、様々な領域でその向上幅はどんどん小さくなっているわけです。

一方で、経済的な成長は複利で聞いてきますから、時間が経てば経つほどに、求められる成長の絶対値は天文学的に膨らんでいくことになります。

性能や効率の向上幅はどんどん小さくなっているのに、求められる経済成長は逆にどんどん大きくなっているわけで、これはどこかで解決が不可能な状況に至る、いわゆる「無理ゲー」ということになります。

で、無理ゲーをやらせれば、最後はインチキに至るのは当然のことだろうと思いますね。ここでも「無限の経済成長を求める」ということが、結局は元凶なのだということがわかります。

意味的な価値を伸ばすしかない

いろんな領域でこの「物理限界が成長限界を規定する」という問題は起きていて、そうすると「安全・快適・便利・効率」という、近代の四種競技の歴史は止まることになります。これら四つの価値は価格を上昇させる上でキーだったので、これらの価値が増進しなくなると、価格も上げられないということになります。

そこで出てきたのが「意味的価値」というものです。物理限界にぶち当たってしまって「安全・快適・便利・効率」という四大価値基準が向上しなくなった状態で、モノの値段を上げていこうとするのであれば「意味的価値」を増やしていくしかない、というのが拙著「ニュータイプの時代」においての提言の骨子でした。

あらためてその指摘をここに記せば、日本企業はこれまで、安全・快適・便利・効率という価値を世界中に売って大儲けをしたわけですが、それらの価値が飽和してもはや十分と多くの人が感じている中、これから価格を上げていこうとすれば「意味的価値」を乗せていくしかありません。

しかし、ここに大きなチャレンジがあります。というのも、安全・快適・便利・効率という、数値化が可能で価値がわかりやすい指標は、コンセンサスをとって組織を取りまとめることが可能ですが、意味的価値の創出にはリーダーシップとリベラルアーツの両方が求められることになり、この二つはいまの日本企業に最も欠けているものだからです。

ここ一年程、さまざまな企業で起きている粉飾・偽装などの不正は、この「機能的価値から意味的価値」へのシフトがうまく行っていない中、相変わらず「機能的価値」の向上を目指すことで競争に勝つことを目指す企業が、物理限界にぶち当たってしまった結果、もうにっちもさっちも行かなくなって引き起こしている「断末魔の叫び」的な足掻きだと捉えることもできるでしょう。

最後に一言

ちなみに、先述したブログのロジックに関連して付記すれば、2以降のロジックについては色々と意見もあるかと思いますが、特に4と5については、ルース・ベネディクトの「菊と刀」の考察に依拠しています。

ルース・ベネディクトの「菊と刀」は、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国政府の依頼で書かれた、日本の文化と社会構造についての研究書です。1946年に出版され、日本文化についての西洋の理解を大きく進展させた作品として知られています。

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