#041 伝説の編集者、鳥嶋和彦氏のインタビュー抜粋

低迷する少年ジャンプを復活させた伝説の編集者、鳥嶋和彦氏のインタビューがあまりにも面白く、また山口の専門である「組織の創造性」という問題を考えるための示唆にも富んでいるので、作成したメモを共有します。

量が質を産む

まず、僕は作家のエリアには入らないんです。よくストーリー作りに参加している編集がいるけど、あんなのは二流の編集のやることだね。
じゃあ、ビッグヒットを生む最大のコツは何か分かる?
簡単。
「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ですよ。
いかに作家に無駄弾を撃たせて、いかに何度もダメ出しをして、最後には作家に「自分は他人よりなにが優れているか」を悟らせるか、これに尽きるんだね。
編集の側から「こうすればいい」とサジェスチョンしても、結局は作家の身にならない。作家自身に自分で気づかせる以外にないんです。
ということは、編集の仕事は短時間に的確にダメ出しを繰り返すことに尽きるんだよ。
まあ、技術論のレベルでの指導もしていくわけだけどね。そういう編集者が関わった作品はスマッシュヒットにはなっても、決してビッグヒットにはならない。

「やりたいこと」と「ウケること」は大体ズレてる

作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。
そこに彼(山口注記:ドラゴンボール作者の鳥山明氏のこと)のボツの歴史があったんです。色々と彼はカッコいい絵柄の作品だとかを描いてきたけど、最後には「則巻千兵衛」というオッサンと「アラレちゃん」というメガネを掛けた女の子に行き着いた。
でも、それこそが彼にしか描けないキャラクターだったんだね。そこに辿り着いたときに初めて、彼はヒット作家になった。
結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。これをいかに探させるかが大事で、そのために編集者は禅問答やカウンセリングのように色々なことを対話しながら、本人に気づかせていくんです。
すると、本人にしか出せないキャラクターが、まさに則巻千兵衛のようにポンと出てくる瞬間がある。ここにその作家の原点があるんだね。そして原点的なものは、まさに言葉本来の意味で「オリジン」(起源)なんです。「オリジナル」であることの真の意味とは、そういうことなんですよ。”

鳥山明さんであればアメコミっぽい作風だとか、そういうものが「描きたいもの」としてあったけど、そこからヒット作はやっぱり出てこないんです。実際、鳥山さん自身の「描きたいもの」は、申し訳ないけどつまらないんですよ(笑)。

「キャラが立つか」で全てが決まる

ストーリー作りに時間をかけても、意味なんかないよ。大事なのはキャラクターだね。
そうね……言ってしまえば、「人間」を描けてるかどうかの一点に尽きるんだけどね。
動物だろうが、ロボットだろうが、魔物だろうが、やっぱりキャラクターである以上は、本質的には“人間”なのよ。それがしっかりと描けていれば、「これは私だ」と読者に思わせられるんだよ。
よく僕が新人漫画家に言うたとえ話があるんですよ。例えば、君が大好きだった女の子にデートの約束を取り付けて、その場所に急いでいたとする。そのとき、交通事故で倒れている人がいたら、どうするか。
知らない人だったら、きっと君は助けるかどうか迷うはず。 でも、それが自分の弟や妹、あるいは友達だったらどうするか。 たぶん、君は迷わず助けるんじゃないかな。そして、その君の判断は「身近」に思っているかどうかにかかっている。
「キャラクターを立てる」という事の本質は、ここに尽きるんだよ。
キャラクターの「身近さ」を上手く作れているだけで、同じエピソードでも切迫度が一気に違う。 だから、ストーリーを作り込むことに血道を上げるのがいかに無駄かという話ですよ。その前に考えるべきは、身近に感じられる魅力的なキャラクターな んです。
キャラクターさえしっかりしていれば、エピソードなんてどうとでもなる。というか、むしろエピソードなんて、そのキャラクターを際立たせるためのものでしかないんだよ。 たとえばミステリというジャンルで、なぜ『シャーロック・ホームズ』や『007』だけが売れ続けているのか。他にも面白いミステリはごまんとあったのに、彼らだけが何度も映画化されて、生き残っている理由は何なのか。しっかりと考えて、掘れば掘るほど結論は常にシンプルだね――答えは、強いキャラクターの存在にあるんですよ。”

「身近」に感じられるかどうかだね。

「おれは鉄平」は世界で一番読みやすい漫画

世の中には「読みやすい漫画」と「読みにくい漫画」があるということね。
漫画の技術というのは、基本的には全て分かりやすさから来てるんですよ。
片っ端から漫画を読んでいくと、明らかに「読みやすい漫画」と「読みにくい漫画」があるのがわかってくるのね。
そこで次に僕は「読みにくい漫画」をどんどん弾いていって、さらに「読みやすい漫画」の中でも特に読みやすいものを残していったんです。すると最後に残ったのが、ちばてつやさんの『おれは鉄兵』だったんですよ。
そこで僕は、あの漫画の第1話19ページの全てのコマについて、なぜこのコマ割りで、なぜこのアングルなのかを50回読み返して、自分の中で分析しながら読んでいくことを課したんです。

僕はジャンプは大嫌いだからね(笑)。
(さくまあきらさんが、「ジャンプで“王道”を学んだ」という話に)「王道」なんてあるわけないじゃん。強いて言えば、そのとき流行ってるものが「王道」だよ。『バクマン』でもそんな話をしていたけど、あの作品は本当に世間に良くない影響を与えてると思うね(笑)。
「友情・努力・勝利」とか全く無意味ですね。あんなのはバカが言うことですよ。
もっと正確に言うと、「友情」と「勝利」は正しいんです。でも、「努力」は子どもは大嫌いなんです。実際、昔アンケートをしっかりと取った結果は「友情・勝利・健康」だったんだから(笑)。
まあ「健康」に関しては、さすがにその時代の雰囲気だろうから、今は違うとは思うけどね。
だから、『ドラゴンボール』では「努力」はさせなかったんですよ。「修行しました」とは言うよ、でもあくまでも結果で見せていく。だって、「滝に打たれて修行する」とか、そんなバカな話が現実には意味ないことくらい、そりゃ今の子供は知ってるよ。そういうリアリティは普通に生きていれば、この情報時代に絶対にキャッチするからね。
そういう子供が敏感に感じ取れてしまうところで嘘をついたら、おしまいなんです。
だから、『ドラゴンボール』でも戦闘シーンは、徹底的にアクションを本格的につくったんだよね。逆に子供にそういう部分で「本当だ!」と思わせちゃえば、あとはもうどんな嘘でも受け入れてくれる。


子供は本当に正直なんだよ。例えば、大人は「子供はどうせ世の中の理不尽さなんて知らないだろう」と思ってしまいがちじゃない。大間違いだね。
じゃあさ、その全てがない子はどうしたらいいの? 「努力」なんかじゃどうにもならない現実があることくらい、子供は小さい頃からイヤというほど知ってるよ。 もちろん、漫画というメディアは、そういう子供たちを励ますものとして発展してきたんですよ。でも、そのときに「滝に打たれて修行すれば強くなれます!」 みたいなうさん臭い「努力」の物語なんかじゃ、そんな子供たちを励ますことはできない。子供をナメちゃいけないんです。 大人になると、人間は色んなことを経験して、自分の判断を曇らせていくんですよ。その方が生きていく上で、楽だからね。 だけど、子供は違う。最も感性が鋭くて、あらゆる物事をピュアに感じられるのが、子供時代なんです。ところが、それなのに彼らはお金もなければ、学校にも行かなきゃいけない。先生と親にも従わなきゃいけない。でもね、そうやって現実で虐げられているからこそ、彼らは二次元の世界に対して鋭敏な感受性を持つんだね。 実際、『ドラゴンボール』なんて、そういう世界観で出来ているでしょ。 世界が平和だなんて大嘘で、たとえピッコロ大魔王や魔人ブウが出てきても、国連は何の役にも立たない。そして、悟空がスーパーサイヤ人になるのは、何かの大義のためじゃなくて、一番の友人だったクリリンが死んだとき――こういう話に怒る大人もいるかもしれないけど、これこそが自分たちのリアリティだとして子供は受け取るんだと、僕は思う。 そして子供は、そういう部分に関しては驚くほど正確に、大人たちの言うウソを見抜いてくるんです。”

だって、そんなのは学校のクラスを見渡せば分かることだよ。一番モテるのは、結局は頭が良いやつ、テストができるやつだよ。先生からも同級生からも一目置かれるよね。で、次はスポーツができるやつでしょ。カッコいいよね、運動会のヒーローだ。そして顔が良ければ、女の子にもモテる。

才能がない、と伝えるのも編集者の仕事

僕は、「この人は才能がないな」と思ったらそのことは強めに伝えて、それで終わりにしている。
厳しいと言われるかもしれないけど、別に漫画だけが人生じゃないんだから。漫画がダメでも他の才能で豊かに生きていける可能性なんていくらでもある。なのに、なまじ才能がないのにしがみつくのは不幸だよ。まあ自分でも、わざわざそういうことを本人に言うのは、実にお節介だとは思うけどね。

漫画家の賞味期限は短い、だから編集者は「金」にこだわるべき

なぜ僕がこんなに金にこだわるのか不思議に思ってるんじゃない?
作品を続けてヒットさせることなんて、ほぼ不可能。そして、どんな漫画家でも10年活躍すれば、第一線での人気の賞味期限はやってくる。 だからこそ、僕たちは作家に1円でも多く返さなきゃいけないんです。もし作家の預金通帳にお金がちゃんとあれば、彼らは嫌な仕事をする必要がなくなる。次の作品を練るべきときに、焦って変な仕事だってしなくていい。”

それはね、作家の才能の寿命は短いからだよ。

サンデーのダメなところはポジショニングがはっきりしないこと

(雑誌の定義という意味で)ダメなのが、『週刊少年サンデー』だね。
なんとなくサンデーっぽいカラーはあるけど、それを定義できているわけではないよね。あの編集部にヒット作の再現性がないのは、それが理由なんだよ。
だから以前、友人がサンデーの編集長だったときに、「お前だったらサンデーをどう立て直す?」と聞かれたとき、僕は真っ先に「まずは高橋留美子とあだち充を連載陣から外すね」と答えたんですよ。
週刊誌の連載はライブだからね。ジャンプにも連載が長期化している漫画があるけど、危険だね。編集部が実にイージーな作り方をしていると思うよ。
それに、どんなに新連載をやっても、作家が同じ顔ぶれではパチンコ屋の新装開店と変わらないんだよ。新しいことをやるなら、人間ごと取り替えなければいけない。それで新しい作家をどんどん出して、自分たちのカラーを定義していくべきなんだよ。

ネットからクリエイティブなものが生まれるとは思えない

申し訳ないけど、僕はネットから何かクリエイティブなものが生まれることはないと思う。会社でも、「コンテンツの生まれる場所としては、相手にしなくていい」と言ってるしね。
コンテンツが生まれるときに、クローズドな環境であることと、有料の場であることは欠かせないんですよ。でも、インターネットにはその両方がないじゃない。
だって、インターネットのそもそもの始まりは、軍需産業や図書館、大学の研究室みたいなところにあるわけでしょ。そこには市場の発想がないんです。無論、そういう出自のテクノロジーだから、何かを共有したり拡散したりするのには素晴らしく向いている。
でも、ここから何か本当に新しいコンテンツが成功して、生まれてきた事例なんてないでしょう。
別に僕は、インターネットがなにか既存のものを組み合わせたり、広めていくのに向いていることは否定していないんです。いや、むしろどんどん使うべきだとさえ思っているんですよ。
でも、何か創造的なものを生み出すためには、作家をクローズドな環境において、徹底的に絞っていく作業が欠かせない。その時点でネットは無理がある上に、 基本的には無料でしょう。有料で値付けされていないと、受け手が真剣に身構えないんです。気軽にだらだらと受け手が見るような場所では、なかなか作家は育たないね。
そもそもインターネットのような場所は昔からあって、例えばコミケがそうでしょう。でも、あそこから本当の才能が飛び出してきた試しなんてないじゃない。結局、そういう場所では作家が「描きたいもの」ばかりが溢れてくるんですよ。
君たちの世代にはインターネットが最初なんだろうけど、僕くらい長くやっていると、なにか新しいメディアが出てくるたびに、必ず同じことを言い出す人が登場するんだよ。でも、結果は毎回一緒。正直なところ、これは「いつか来た道」でしかないね。

創造は個人でするもの、集団でするものではない

まあ、ものづくりにおいて編集者は絶対に必要なんですよ。
でも、編集なんて10人入ったらまともなのは2人育てばいいくらいなんだけどね。ただ、1人でも良い編集を育てれば、10人は作家が育つ。だから一見遠回りに見えるけど、編集者を育てるのが大事。まあ、それも失敗を繰り返させるしかないので、その資本力と機会が必要なんだけども。
だから、「良い編集者」っていうのは、とても貴重なんですよ。その仕事ぶりが世間から見えることは少ないから、なかなか理解されづらいかもしれないけどね。
そもそも編集の仕事がなにかといえば、カッコいい言い方をすると「愛するが故に厳しく」なんですよ。作家に厳しくできるのだって、やっぱりその人間の才能を愛しているからなんだね。逆に言うと、愛することが出来ない才能に対しては、どうでもいいから厳しくなんてできない。だから僕なんかは付き合う人を選んでしまうんだけどね。
僕は自分の経験から、創造の奇跡というのは常にクローズドになって、個人の力が発揮される瞬間に生まれると思ってる。申し訳ないけど、チームワークからそんなものが出てきたことはないね。ゲーム業界も、本当に面白いものが出てくる状況に戻りたければ、昔のように少人数で制作できる体制になる必要があるんじゃないかな。

新しい才能が出てくると、常に評判は悪い

編集者に大事なのは「好奇心」なんですよ。僕は、本当はあまり他人に興味がない人間なんだけど、やっぱり一番最初にすごいものを見たいという思いは強いんだよね。
でね、新しい才能の作家は、常に評判が悪いんです。
床屋に行って髪型を変えたら、必ず最初は「なにそれ?」と言われるでしょ。髪を切る程度でもそんなことを言われるわけで、そりゃ新しい作品にはとてつもなく厳しいコメントを人間は投げつけてくる。でも、そういう否定的な意見は割りきって、まず稀なものを面白がることですよ。
そうして奇抜な才能を愛して、厳しく育てていくんです。だって、「奇なるものを好む心」が「好奇心」なんだからね。

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