賢い人たちが愚かな意思決定をする4つの理由

ケネディの初打席

1961年の初頭、新しく大統領に就任したジョン・F・ケネディ[1]は、前大統領アイゼンハワー時代から進められていた「あるプロジェクト」について、パームビーチでの休養先でCIA[2]のアラン・ダレス長官と次官からプレゼンテーションを受けていました。

そのプロジェクトとは、CIAによってグアテマラで訓練された亡命キューバ人およそ千四百人をキューバへ送り込み、革命を起こしてカストロ[3]政権を打倒するというものです。しかし、計画を聞いたケネディ大統領はその大胆さに驚くとともに強い懸念を抱くようになります。

ケネディの懸念に対して、CIAのプロジェクト担当者たちは極めて乗り気で、その上「この計画は今という機会を逃したら絶対に実行できない」と繰り返し主張しました。彼らがそう主張した理由は主に三つあります。

一つ目の理由は、亡命キューバ人は十分に訓練を積んで士気が高まっており、戦闘をしたくてムズムズするほどになっているということ。

二つ目の理由は、グアテマラの訓練キャンプは次第に国際的にも目立つようになっており、グアテマラ政府は閉鎖を求めているため、米国政府としては、亡命キューバ人を、故郷のキューバと米国のどちらに移送するのかを早急に決めなければならなかったこと。

三つ目の理由は、ソ連は間もなくカストロ支援に乗り出し、共産圏で訓練を受けた戦闘機パイロット等が治安維持に配備されることになり、時間が経てば経つほどにキューバ政府転覆の実現が難しくなるということ。

この様に、タイミングが今しかないということを熱弁した上で、CIAの担当者は最後に次の様にも付け加えています。

米国は実際にキューバに侵入することなく亡命者を使うことによって革命政府を打倒するのだから不介入原則(=いわゆるモンロー主義)にも違反しない、その上作戦失敗の危険性も殆どない、と。

ケネディとCIAの探り合い

6日後、ケネディ大統領は、この計画を審議するための最初のホワイトハウス会議を招集し、計画について長い間耳を傾けたあと、国防総省統合参謀本部に対して、この計画の厳重な評価を命じました。

そして、その評価の結果は「CIAの主張する計画の成否は、キューバ内部での大規模な反乱が上陸に呼応して起こるか、あるいは適時な外部からの大規模支援があるかどうかにかかっている」というものでした。

この場合、「外部からの大規模な支援」とは言うまでもなく米国による軍事的介入支援ということですが、これはケネディが何よりも避けたいと思っていたことであり、必然的に「キューバ亡命兵士が上陸するタイミングで、大規模な反乱がキューバ内部で起こらない限り、計画の成功はおぼつかないだろう」というのが、統合参謀本部の結論でした。 

ケネディからCIAの牽制を厳しく命じられた統合参謀本部は2月下旬にグアテマラのキューバ亡命軍の視察に訪れ、3月初旬に新しい報告書を提出していますが、そこでは既に「国外からの大規模な支援」については触れず、「作戦の成否は、キューバ国内に反カストロの革命運動を作りだせるかどうかにかかっている」と断定しました。

これはごく「真っ当」な結論と言えます。訓練された亡命キューバ人の士気がいかに高いとはいえ、千四百人の部隊が20万人に及ぶカストロの軍隊や義勇兵に打ち勝つと考えるのはいくらなんでも非合理的です。

この報告を聞いたケネディ大統領は、「米国による公然たる介入は、米国の伝統にも国際的義務にも反することであり、その結果は、カストロの台頭よりも自由社会にとって大きなマイナス要因となるだろう。

その様な介入が必要となる公算が強い上陸作戦について、大統領はこれを絶対に承認できない」と、一度は作戦の承認を拒絶します。

 

CIAの反撃

しかしCIAも負けていません。

3月11日に再び閣議室で会議が開催され、再びこの計画が審議されることになります。会議にはCIA関係者の他、3人の統合参謀本部長、国務次官補、ラテンアメリカ特別研究班議長の他、数名のアシスタントが出席していました。この会議上で再度、CIA長官のダレスは強く計画の推進を提言します。

曰く、

もしグアテマラのキューバ人を引き揚げさせるのだとすれば、連れてくる先は合衆国しかありません。

もしそうすれば、彼らはグアテマラでCIAが何をやっていたかを吹聴して回るでしょう。これは黙って見過ごせない事態です。

一方、亡命キューバ人自身は革命軍として故郷へ帰ることを望んでいます。

その様な彼らを武装解除してキューバへ送り返せば、米国への失望と怒りを抱えたままラテンアメリカ全土へと散り、そこでやはりCIAの秘密を暴いて回るでしょう。

この行為はラテンアメリカにおける反カストロ勢力の士気を削ぐ一方、ますますカストロ主義者を勢いづけることは明白です。

と。

閣議でこの様な強い主張に直面したケネディ大統領は、当初から感じていた懸念や疑念を振り払う様、徐々に「亡命キューバ人については、彼らが行きたいところ、つまりキューバへ行かせるのが結局はいいのかもしれない」と暫定的に曖昧な肯定の意思を表現します。

その後、ケネディ大統領は、最小限の政治的リスクで、計画を成功させるための具体的な方法について会議のテーマを切り替えてしまいます。

 

CIAの提案の不確かさ

実は、この時点で「亡命キューバ人による侵攻が始まれば、カストロ政権に不満を持つ内乱分子がキューバ国内で反乱活動を起こすだろう」というCIAの予測には、殆ど根拠らしい根拠がありませんでした。

ケネディ大統領は、閣議においてたびたび「本当に侵攻に呼応して反乱は起きるのか?」とCIAに確認を求めているのですが、この時もダレスは「現在二千五百人のレジスタンスがおり、また不満分子は少なく見積もって二万人は存在することがわかっています。

以上より、侵攻部隊が上陸すれば、すくなくともキューバ人員の四分の一が積極的な反乱活動を行うことが期待できます」と回答した上で、さらに空からの武器補給を希望しているキューバ内革命分子からの要請や、革命に参加したいと表明している名前入りのリスト等を確証として挙げ、計画の楽観的な側面を強調し続けました。

しかし、この時点で、国外の状況を管轄する役割を持つ国務省の中でこの計画を知っている者は一人もおらず、キューバ情勢について毎日情報を受け取っているキューバ担当者でさえ、侵攻作戦の成否の可能性について見解を求められることはありませんでした。

 

CIAの提案に疑問を持つ人物

閣議の中で、CIAが繰り返し主張した「侵攻に呼応して反乱がおこる」というシナリオについて、大統領以外に強い疑問を持つ人物がいなかったわけではありません。

例えばシュレジンジャー大統領特別補佐官は、キューバ情勢に詳しい新聞記者のジョセフ・ニューマンから「反カストロの感情は昨年来高まってはいるものの、国民の大半はカストロに対して熱狂的といっていい信頼を感じている。若い人たちは革命そのものの成功にロマンを感じ、大人のうちの相当数は革命による社会的変化から利益を得ている。この二つのグループは全人口のうち、かなりの比率を占めると思う」と聞くに至り、CIAの見通しについて「強い疑念を持った」と述懐しています。

最後の大詰め

3月に入り、閣議は最後の論点、すなわち「仮に上陸作戦に呼応する形で反乱が発生しなかった場合、どうするのか?」という論点について議論が繰り返されます。

大統領が介入を強く嫌っていることを会議メンバーは既に知っています。その様な状況下で、ケネディ大統領はたびたび「仮に作戦が失敗した場合、米軍は介入しなくても大丈夫なのか?彼らは、その前提でも作戦の実行を望んでいるのか?」とたびたび質問したことが議事録に残っていますが、そのたびにCIAは「大丈夫です」と応え、大統領の懸念を正面から取り上げることはありませんでした。

1月から続くこの閣議の雰囲気を、当時の関係者は「外見上だけで意見が一致しているような、なにか奇妙な雰囲気のなかで続行されていました」と述懐しています。

会議の主導権をCIAの関係者が握り、統合参謀本部の関係者は、CIAの主張に対して曖昧な態度を貫いていました。

一貫して参加していた国務長官のラスクも、CIAの主張に対しては「やり過ぎに気をつけてね」という微妙なコメントを残すに留めています。たった一度だけ、ラスクの代理として閣議に出席したチェスター・ボールズは、既に大詰めとなっていた計画の詳細を聞いて「ぶったまげた」と述懐していますが、これまで議論に継続して参加してきた国務長官の代理として出席している以上、結局、計画に対する強い懸念を表明することためらった末に沈黙しています。

 

ラストチャンス

恐らく、同計画の実行に至る一連の流れのなかで、ケネディにこの計画の実行を思いとどまらせることが出来たであろう最後のチャンスは、フルブライト上院議員による同計画への忠告でした。

フルブライト上院議員は、この計画を審議する閣議には直接参加していませんでしたが、侵攻は避けられまいと予測する新聞記事を見て強い懸念を抱き、その懸念を大統領に伝えました。

この忠告に興味を持った大統領は、復活祭の週末をパームビーチで過ごすに当たって、同方面のフロリダで休暇を過ごす予定のフルブライトを自分の飛行機に誘い、フルブライトは機内で作成したメモをケネディに手渡します。

そのメモの趣旨は次のようなものでした。

キューバに対して米国が取り得る立場は打倒か隔離かの二つしかありません。
この場合、打倒に成功したとしても西側、あるいはラテンアメリカ全域から米国の帝国主義的所業は非難を受けることになり、それは数十年、場合によっては永遠に続くでしょう。
一方、隔離はカストロを西半球の他国から孤立させることになり、またキューバ亡命者を隔離政策の推進という方向で活用することもまた可能であり、遥かに現実的なアイデアといえます。

フルブライトはメモを次の様に締めくくっています。

カストロ体制は確かに米国に刺さったトゲではあります。しかし心臓に突き刺さったナイフではないことを決して忘れてはいけません。

メモに感銘を受けたケネディ大統領は、4月4日に開催されることになった最終的な意思決定のための閣議にフルブライトも出席するよう依頼しました。

この最終決定閣議は、これまで3カ月繰り返し演じられてきた、例の「奇妙な雰囲気」の中、まるで舞台劇の様に進行していくことになります。

それはすなわち、CIAによる専門用語を多用した流麗なプレゼンテーションと、CIAのプレゼンテーションに対するラスクのごく軽い否定、そして懸念をぬぐいきれない大統領による度重なる確認と質問、そしてそれに対するCIAの根拠なき「大丈夫です」の回答です。

最後に、ケネディ大統領は、出席者の全員に対してそれぞれ、この計画の実行についてどのように考えるか、意見を求めました。そしてそこで、フルブライトは改めて、この計画全体について極めて力強く反対の立場を表明しています。

彼は、

この作戦は、カストロが米国にもたらす脅威に対して、余りにも不釣り合いに大げさすぎる。その結果、全世界に対する米国の道徳的立場は危機にさらされることになるだろう

と堂々と主張し、改めてケネディ大統領とシュレジンジャーは深く感銘を受けた様子でしたが、他の出席者の表情に変化はなく、引き続き以前と同じように作戦遂行に賛成の立場を貫くのを見て、最終的にフルブライトはそれ以上意見を述べることを止めてしまいます。

フルブライトの主張に感銘を受けた様子だったシュレジンジャーも、CIAの説明に対していくつかの控えめな質問をしただけで、ほとんど沈黙を保っていました。

ケネディ政権になって大学教授から大統領特別補佐官に就任したシュレジンジャーにとって、このような会議は勝手がよくわからない居心地の悪いものだった様です。

個人的に大統領へ意見を提案する時には、胸襟を開いて本心を述べていたものの、この閣議のような国家機構の最高権威を背負った人々の主張に対して、政策に関する自分独自の判断をぶつける時には極めて強い自制の念が働いていたことを後に述懐しています。

専門用語の危険性

更に、CIAをはじめとする侵攻作戦の擁護者には「専門用語」という武器がありました。

彼らは、極めて男性的なトーンで、砲撃能力や空爆、上陸用舟艇など、作戦展開上のディテールについて専門用語を乱発する一方、この計画に本心では反対していたシュレジンジャーは、米国の国際社会における立場や大統領の国際的信用、国連の反応といった抽象的な概念でしか反論材料を組み立てることが出来なかったのです。

最後の決断

こうした経緯を経て、最終的にケネディ大統領は亡命キューバ人によるピッグス湾への侵攻作戦を実施する決定を下します。

しかして、その結果はどうであったか。

反乱部隊はキューバの海岸に上陸してからたったの三日以内に全滅し、構成員のほとんどが殺害されるか捕虜になるという、これ以上ないくらいの悲惨な結果となりました。

つまり、この作戦は、人命の損失という点からも、新任大統領の評価という点からも、大惨事と言っていい結果を招くことになったわけです。

侵攻を支持するという意思決定が最悪の結果を招いたことに気付いたケネディは「連中にゴーサインを出すなんて、私はなんと愚かなことをしたのか」と側近に漏らしたと伝えられています[4]

なぜ最優秀な人々がかくも愚かになるのか

ケネディ政権において安全保障を担当したスタッフを「ザ・ベスト・アンド・ザ・ブライテスト=世界でもっとも優秀で聡明な人々」と称したのはニューヨーク・タイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタムでした。

その「もっとも優秀でもっとも聡明な人々」が、なぜかくも愚かな意思決定を行ったのか?心理学者アーヴィング・ジャニス[5]はこの事件を詳細に分析し、その要因を四つに整理しています。

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