創造性理論 人生で大事なのは「打率」よりも「打席数」

 人生を浪費しなければ、人生を見つけることはできない。

アン・モロー・リンドバーグ

 前回の記事では「適応戦略」を取り上げて、人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジーの実践においては、想定外の出来事をむしろポジティブな契機として取り込み、しなやかに自分と社会との関係を設計し直すことが重要だと指摘しました。

この記事では、創造性研究から明らかになった示唆に基づいて、適応戦略・創発戦略を実践する上での洞察を共有したいと思います。

今日の企業経営ではイノベーションは決定的に重要な論点となっています。テクノロジーの影響によって経営環境の変化が加速したことで、企業が提供する商品やサービスにかかるコモディタイゼーション=陳腐化・旧式化の圧力はかつてないほどに高まっています。

いまからたった20年前、あれほど活況を呈していた日本の携帯電話産業が、これほどの短期間のあいだに事実上、消滅してしまったことを思い出してください。なかなかシンドイ世の中を生きているということですが、このような圧力を企業が受けている以上、その内部にいる私たちも、この「自らを新たにする」圧力から逃れることはできません。

成功するのは「たくさん試す人」

適応理論・偶発理論の事例として最も美しく、実り豊かなのが、人類の歴史においてしばしば起きている「偶然を契機にしたイノベーション」です。例えば有名な事例では次のようなものがあります。

ペニシリン
1928年、アレクサンダー・フレミングが実験室で誤って放置したシャーレにカビが生え、そのカビが細菌の成長を抑制することに気づく。この偶然の発見が、世界初の抗生物質であるペニシリンの開発に繋がり、数えきれない命を救うことになった。

 電子レンジ
1945年、アメリカのエンジニアであるパーシー・スペンサーは、レーダー技術の開発中に、マグネトロンから発生する高周波エネルギーがポケットのチョコレートバーを溶かすことに気付く。この偶然の発見が、現代の家庭に欠かせない電子レンジの発明に繋がった。

ポストイット
3M社の研究者スペンサー・シルバーは、強力な接着剤を開発しようとしていたが、うまくいかず、粘着力を高められなかった。最初は失敗と思われたが、この接着剤をしおりにつけることを思いつき、ポストイットという画期的な商品が生まれた。

X線
ウィルヘルム・レントゲンは、1895年に真空管で実験中、スクリーン上に見慣れない光が現れたことに気付く。彼がこの光の性質を調べた結果、それまで未発見のX線が発見され、医学診断に革命をもたらした。

ナイロン
1930年代、ウォーレス・カロザースは合成ポリマーの研究を進める中で、偶然にもナイロンを発見した。この素材は、衣料品から工業製品まで幅広く利用され、産業に大きな影響を与えました。

テフロン
1938年、デュポン社の化学者、ロイ・プランケットは、研究中に爆発事故を起こしたが、その爆発のあとに固体の白い粉末を発見した。この粉末は非常に滑りやすく、耐熱性や耐化学性にも優れていた。これが、後にテフロンとして知られる商品となった。

これらの事例は、イノベーションがいかに、当初の予定通りではなく、想定外のことが起きた時に、それをポジティブな契機として取り込むことで成功しているかを示しています。

これを逆さまにして指摘すれば、イノベーションは予定調和しない、ということでもあります。今日の社会において「イノベーションの方法論を有している」と豪語する組織や個人は後を立ちませんが、それらの組織や個人から社会を大きく変えるようなイノベーションが発明されたということは寡聞にして知りませんが、そもそも予定調和しない以上、これが方法論になるはずもありません。

大量に試すしかない

方法論もなく、予定調和もしないということであれば、ではイノベーションを実現するためにはどうすればいいのでしょうか?結論からいえば

大量に試すしかない

ということです。

意外に思われるかも知れませんが、創造性に関する過去の研究の多くは共通して「量が非常に重要」だということを示しています。創造性は「最も多くのアウトプットを出している時に、確率的に高まる」ということがわかっているのです。

前節でも取り上げたカリフォルニア大学デービス校の組織心理学者のディーン・キース・サイモントンは、ダ・ヴィンチ、ニュートン、エジソンなど、あらゆる時代のイノベーター2000人のキャリアを分析し、結論として次のように指摘しています。

多くの人は「イノベーターは成功したから多く生み出した」と考えている。しかしこれは論理が逆立ちしている。実際のところはその逆で、彼らは「多くを生み出したから成功した」のである。

ディーン・キース・サイモントン「天才の起源」

サイモントンによれば、芸術家や科学者のアウトプットには「量と質の相関関係」が存在します。たとえば、科学者の論文の引用回数は、その科学者が残した全体の論文の数に比例しています。

そしてまた、その芸術家や科学者が、生涯で最も優れたアウトプットを出す時期は、生涯で最も多くのアウトプットを出している時期と重なります。つまり、私たちの知的生産には「量と質の相関関係」が存在する、ということです。

確かに、過去の偉大な芸術家や発明家は「質」だけでなく「量」においても図抜けた実績を残しています。ピカソは二万点の作品を残し、アインシュタインは約300本の論文を書き、バッハは千曲以上の作品を作曲し、エジソンは千件以上の特許を申請しました。ある領域において最も高い水準の「質」を生み出した人は、同時に、その領域において最も高い水準の「量」を生み出している人でもあるのです。

サイモントンによるこの指摘は、創造性に関して私たちが持っている一般通念とは大きく異なります。というのも、私たちは、自分たちの仕事について、アウトプットの量と質にはトレードオフの関係が存在しており、質を求めれば量が犠牲になり、量を求めれば質を犠牲になる、と考えてしまいがちだからです。しかしそうではない、むしろ量を求めることで、同時に質も高めることができる、ということです。

大量のガラクタを生み出すのが戦略の前提

このような指摘をすれば「そんなことをすれば、いいアイデアは生まれるかもしれないが、同時に膨大なガラクタを生むのでは?」と思われるかもしれませんが、全くその通りで、それで構わないのです。

サイモントンの研究によれば、確かに、科学者や芸術家が、生涯で最も優れたアウトプットを出す時期は、生涯で最も多くのアウトプットを出している時期と重なっています。しかしまた同時に、その時期は、その科学者や芸術家にとって、もっともダメな作品が生まれる時期でもあるのです。

先述した科学者や芸術家のアウトプットを俯瞰して見れば、彼らの残した知的生産のすべてが必ずしも傑作というわけではない・・・いや、これは少し優しすぎる表現かも知れません・・・むしろ、彼らの残したアウトプットの大多数は、今日では見向きもされていない、と言った方がいいでしょう。

アインシュタインの残した300の論文のほとんどは誰からも参照されておらず、モーツァルトが残した600以上の曲のうち、コンサートで頻繁に演奏されているのは定番の50曲程度であり、シェイクスピアの残した39の戯曲のうち、上演されているのはハムレットやリア王などの有名10作品です。

つまり単純な比率で言えば、どんな天才であっても、傑作と言われるようなものはせいぜい全体のアウトプットの1〜2割程度でしかない、ということです。これを逆に言えば、膨大なアウトプットのうち8〜9割はその筋の専門家以外からは評価されていないということです。

実はこのような指摘は以前から経験的に言われていたことでもあります。ノーベル化学賞受賞者のライナス・ポーリングは、よく学生から「どうしたらよい研究アイデアが思いつくのですか」と聞かれた際に、いつも「とにかく大量のアイデアを考えて試すこと、そしてダメなアイデアをどんどん捨てること」と教えていましたし、インテルのIT戦略・テクノロジー担当役員を務めたメアリー・マーフィ・ホイも「成功した数の十倍の失敗をしていなければ、リスクを十分に背負っていないと考えた方が良い」という言葉を残しています。

上側へのばらつきを人生に活かす

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?統計の概念を用いて説明すれば次のようになります。

まず、アウトプットのパフォーマンスは確率的に分布します。そして当然ながら「極めて優れたアウトプット」が生まれる確率は非常に低いため、このようなアウトプットを生み出すためには、とにかく取り組みの数を多くするしかありません。

これを図式化すると次のようになります。  

この図では「取り組みの数が多い」「取り組みの数が少ない」に三倍の差をつけてシミュレーションしていますが、一見してわかる通り、平均値は変わっていません。別に取り組みの数を増やしたからといって、アウトプットのパフォーマンスが全般的に上がるということではないのです。

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