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僕の夢は「生きやすい社会」を創ること

皆さんはじめまして、札幌に住む大学生のしゅうです。これからnoteを使った活動をして、僕の想いを出来るだけ多くの人に伝えられたらいいと思っています。稚拙な文章かもしれませんが、最後まで読んでくれると嬉しいです。

初投稿は『僕の夢は「生きやすい社会」を創ること』と題して、僕の夢、想いについて話していきたいと思います。

 皆さんは今生きやすいでしょうか。僕はまぁまぁ生きやすいです。家族や彼女、友人の支えもあってたくさん楽しいことをしています。空いた時間には本を読んだり、ストレッチしたり、筋トレしたり、鞄作ったり、アニメ見たり、デートしたりと有意義に楽しく時間も使えていると思います。(まだまだですが笑)周りの支えがなければこんなに楽しく過ごせてはいないでしょう。でも、全てが周りの人たちのおかげとは思っていません。僕も僕が生きやすいように工夫してきました。周りの人たちの支えは僕に考える余裕を作ってくれたまでです。自分がより良い人生を送るために努力をしていなければ、今のように幸せにはなっていないでしょう。まだまだ努力不足で理想には程遠いですが、それでも、努力出来るという自負はあります。とはいえ、環境が整っていなければ、努力することもできなかったと思うので、周りの人には感謝しかありません。

 環境という面で言えば、今の日本には非常に多くの良い点があります。文化の面で見ても独自の世界観があり、ファンも多いです。ご飯も美味しいし、サービスも充実しています。本当に素晴らしい国です。でも、同時に嫌なことを感じている人も少なくないとは思いませんか。サービスの一つをとっても、どんなお客さんにも同じように対応しなくてはなりません。仮に横柄で、悪いお客さんであってもです。企業と顧客の関係にとどまらず、家族や会社などの身近な人間関係の中でもたくさんの嫌な思いがあります。家族に「お前は無理だ」と言われたり、会社の上司に「使えないクズが」と言われたり、(今の時代そんな人いるかは定かではないです笑)要するに、ひどいことを言われるのはいつでもどんな時でもありうるということです。たとえ理不尽なことであっても、我慢しなくてはならない。必要に応じて、互いに譲り合うためには必ず我慢しなくてはならない状況があっても仕方ないでしょう。しかし、常に一人が我慢しなくてはならない、行きすぎた我慢や理不尽なものは我慢すべきではありません。どんな形であれ、それは立派な暴力なのです。それでも、傷つけてしまうような言動をする人がいて、理不尽な我慢をさせられる人が出てくるのです。

 これらはあくまでも生きづらさを感じるごくごく一部でしかありません。人の数だけ「生きづらさ」を感じるポイントが違います。それでも、僕は先ほど言ったように、自分で努力して、昔よりもずっと生きやすいようになりました。特別にすごいことをしたわけではありません。僕なりの幸せを見つけて、毎日小さな幸せを感じながら生きているだけです。

 僕が皆さんよりも優れているとは思いません。むしろ、知識がなくて、世間知らずの一般の大学生です。日本人にはたくさん良い人がいて、たくさん素敵な考え方があって、難しい知識を使いこなす優秀な人がいます。そんな日本人が生きづらさを感じながら、心地悪く生活をしているこの環境を世間知らずながら少しでも変えたいです。この状況がもったいないと感じるのです。その「もったいない」を払拭するために僕が得た知識や経験を悩む人の参考にしていただきたい。一人でも多くの人が心に余裕を持てたら、本来の力を発揮しやすくなったら、生きやすくなったら、日本はまた成長していくのではないでしょうか。

僕は少しでも多くの人が生きやすいと思える社会を創りたい。それが僕の夢です。

 とはいえ、正直具体的に僕が何を発信していくかは決めていません。今回は思い切ってここに書ける想いを書きました。完全に宣誓です。笑 今回これだけ長々と書いたのに読んでいただいてありがとうございます。これから少しずつではありますが社会に貢献できるように活動していけたらなと思いますので、何卒よろしくお願いします。

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