『失われた時代~1930 年代への旅~』を読んで

 この本を手に取ったことがある人はおそらく少ない、というかほとんど居ないだろう、そう言い切っても差し支えないこの本だが、だからこそこうして拙い筆を執ろうと思った。虚ろに受験勉強を進めていたときにこの本を知り、その時からこの本のタイトルが頭から離れなかった。“失われた”という言葉の重み、なにかの不在を不安に思う自分、何故我々はそれを失ったのか、あるいは失ったのは我々なのか、そもそも時代を失うとはどういうことか、本を読まずして物思いにふける日々を過ごしていたのだが、ようやく本を手に入れて読む機会が訪れた。いわゆる紀行文にあたるこの文章だが、一つページをめくるとすぐにこの本を購入して良かったと感じさせられた。こんな文章が目に飛び込んできたのである。

スペイン市民戦争の記事を書くためにスペインにやってきたオーウェルが「当時のあの雰囲気のなかではそうすべきとしかおもえなかった」ために、一民兵としてマルクス主義統一労働者党(POUM)の組織した民兵隊にくわわってアラゴン戦線におくられたのは、一九三六年から三七年にかけての冬、スペイン市民戦争がはじめてむかえなければならなかった冬のことである。

抑圧に抗おうとする人たちがまた支配し支配される混沌とした大学で生活する僕にとって、歴史に人格を認めるかのような語りこそが必要な語りだったのだと、何だか心が解放された感覚がした。歴史に人格を認めて語るとは、いかなる方法論をも放棄することであって、自分の手で歴史をときほぐし、一個人の記憶として歴史を残すことである。歴史に人格を認めたとき、そこには対話が生じる、というよりも対話することがすなわち歴史を読み解くことになる。歴史の人格には必然的に自己が投影され、否応なしに自己との対話も強いられる。

ここ(※)についにないのは、ここでひとりの人間が死んだ、ひとりの人間がみずからの生きる場所をうばわれて四百万人死んだ、という「記憶」だった。数として死ななければならなかった死者に、戦後の世界が象徴としての二どめの死を強いてきたこと、そしてそのことにいつか荷担していたじぶんに、わたしはあらためて重い恥辱をかんじた。
そのとき、わたしはじぶんにおもったのだ。死者をして、ただひとりの人間としてわたしたちのあいだにとりもどし、いま、ここの死者として回復すること。そこから、あらためて死者の時代への旅、いまは失われた時代への旅をはじめること。

※アウシュビッツ=ビルケナウ博物館

彼の旅、そして対話は、失われた時代を懸命に生き抜き、未来を作った人が生きたまさにそのやり方で進んでいく。立ち止まって、想像して、傷ついて、また進む。旅という、現在を立ち去って、また新たな現在を引き受ける行為の中でこうした対話を続けることがどんなに困難であったかは想像に難くない。書かれなかった言葉の数々を二度の死を強いられた死者と同様に記憶として回復させる旅にみなさんも出てみてはいかがだろうか。


この文章はこちらに寄稿したものです。


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