おいしいと感じる心から、すごくおいしいと感じられる心に至るには、努力が必要
プロと話すのが好きです。
プロの仕事を見るのが好きです。
うちがいつもコーヒー豆を買っている「焙煎屋 ひがし」さんは、焙煎のプロだ。
いつも、豆を買いに行くとき、一言二言しか話さないことが常だけど、
時々、東さんの仕事について質問したりすると、深い答えが返ってくる。
今回は、東さんのバイブルについて聞いた。
おいしさにはレベルがあります。
おいしいと感じる味覚は、よりおいしいと感じるものに接して行く連続の中で培われ、訓練されて行くものです。したがって本来どのような食の体験をしてきたかが問われます。ごく例外的に先天的に味覚の優れた方がいるかもしれませんが、大部分はその後の体験によるものです。
「食は三代」といわれるように、簡単に身につくものではありません。スポーツの世界でも、音楽の世界でも、より高いテクニックや感性を身につけるには練習や体験が必要になるのは誰でも理解できると思います。味の世界も、よりおいしいものを生み出して行くには、味覚の訓練と体験の積み重ねが必要です。
料理とのバランス、ケーキとのバランスなど、他の味への興味や理解も必要です。それらの体験が自分に跳ね返り、新たな創造へのエネルギーが生まれるのです。また、味はセンスであり、個人の表現力の世界でもあり、作り手の人間性がそのまま反映されます。コーヒー一筋といって、コーヒーのことだけしかわからないというのでは、より新しい味へのそうぞいうはあり得ません。
おいしいとは何か。
「おいしいものはおいしい」という事実に変わりはなく、そこには主観的な「好み」ではない本質が必ずあり、そのことを理解できるかできないか、感じられるか感じられないかは、受け手の素養の問題です。おいしさの本質は感動であり、よりおいしいものに関しては、より高い感動が生じるはずです。
おいしいと感じる心から、すごくおいしいと感じられる心に至るには、努力が必要なのです。
「おいしい」を分かるには受け手の訓練が必要だ!
そう言い切っちゃっているこの本、賛否両論あったと聞きましたが、私にはどかーんと響きました。(うまいって分からないなら、それはアンタの問題だ!って言っているようなものですからね。笑)
東さんは、この本を本屋さんで立ち読みして、感銘を受け、翌日にはこの著者である堀口さんに連絡をし、珈琲づくりの師となってもらったそうです。
私も、よいものをよい と感じられる人になりたい。
そのためには、訓練と経験 だなぁ。
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