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久しぶりのメモ

久しぶり。元気にしてた?
もうすぐ環境が変わるからか、私はちと不安定。
好きな曲の作曲家が、最近たまにみるショート動画のお兄さんだった。

価値のつけかた

noteでお金がかかると価値のあるnoteに思う。それは、多くのnoteが無料で、お金がかかるものは、ある程度フォロワーがいる方や他の媒体で記事を書いているライターさんの文章だからだ。そんな場所でお金がかかるとなると、どんな内容なのかと気になる一方で、本当にお金をかけるだけの価値があるのかと考える。もちろん、そこに労力がかかっていることや時間をかけて集めた情報、言葉があって投稿者が価値をつけたものだということなんだろう。
自分で価値をつけられるのは結構だ。
価値のないものなんてないからこそ、物事への価値の付け方はなかなか難しい。

知らない人にDMする

Twitterはフォローが中心で、あとはnote以上にポエマーな恥ずかしい一言たちを量産している。そんなTwitterに楽しみができた。
素敵な人がいるもので、DMを開放しているのだ。その人は会うことのなかった人の暮らしに触れたいんだって。すごく共感しちゃうので、たまに(というか頻繁に)メッセージを送る。
初めは、勇気を出したのに届かなくてネットリテラシーを感じたのだけど、どうやら私が電話番号を追加していなかったかららしい。こちらでの電話番号は一時的なのでいくらでも放出している。どこからか、パンティーを売るVictoriaが頻繁にメッセージを送ってくるのだけどその話は一先ず置いておこう。
そんなわけで、晴れてDMを送ったら、なんと返信を貰っちゃった!ビバ!嬉しい!Tweetはその人が世界に向けた言葉だけど、メッセージは自分に方向が向いているんだなって実感した。こうして人は親密さを感じるのか。
ご飯を食べるとか、寝るとか、音楽を聞くとかたまには掃除をするみたいに、人間の一般的な営みの中に知らない人と文通をするというものが加わればいいのにって思った。

ないようなモラル

ブラジャーをつけるという己のモラルのせいで、キッチンに出るのが億劫である。今日の運動量はほぼない。ルームメイトがフォーを食べているのだけど、そのボールらしきものに当たる音がダメだ。黒板引っ掻くような音。
この音って古代の時の猿からダメなんだっけ。これで猿の畑侵入防げないのかな。ああ、根本的な解決にはならないか。

声が持つもの

人のことを声で判断するような人間ではない、そうだと思っていた。
電話したことがあるような人々は、声がどうだみたいなことを言ってきたり、私の声が低いだのゆっくりだのどうこう言われたこともあった。実際、私は自分の声が低いし、そこまで好きではないのでいいのだけど。
こんなことが書きたいんじゃなくて、声で相手に対して何か思うことはないと思っていたの。むしろ、その人の情報が増えるというか、写真より動画で動いているのみたら嬉しいみたいな感覚。
フォローしている人のスペースにヒョンなことに入って聞いた声が、思いの数倍も高くてびっくりした。それだけじゃなくて、もはや声は関係ないのだけど、話し方とか言葉選び的な内容がしょうもなさ過ぎて文章が大好きだった人が故に萎えてしまった。勝手に悲しくなった。確かに、細かいツイートでおよよって思っていたけど、それにしてもだった。意外と大事なのかも、声とか話し方とか。人がにじみ出る。気にかけたい。

文字を書くこと

これまで好きだと思っていた。いや、間違いもなく好きなんだけど、勝手に義務のような気持ちを持っている。今は何もしたくないのに、この気持ちすらも書いておかなきゃと思う。逃げているのに逃げたいという感情に追い込まれるのは何故なのか。ちょっと一旦本でも読もう。何もしなくていいよって書いてあるような本を。今の自分にはそれが1番の栄養になりそう。

返信する行為

ラインやDMの返信が億劫だ。と言いつつも、誰からも返信が来ないと寂しいと思うのでとんでもない自己都合な奴である。全くネガティブな感情なしで、私からの早めのレスポンスを求めているのかと思っている。もちろん、緊急度の高いものや約束ごとには早く返信する。そんなことすら考えなくていい友達にはありがたさしか感じない。最近はもはや、文字での会話が減ったように思う。遠くにいても電話とか、会いたいとばかり話す。時間の共有って強い。
今日も教会の鐘が鳴っている。部屋で1人で聞くと、勝手に独り占めしているような気持ちになる。

Podcastとnote

ここ2ヶ月ぐらい、Podcastの10分が日常になってきた。その代わりなのか、単に1人ぼーっとで考える時間が減っていたからか、文字に残すという行為をしなくなっていた。こんな気持ちの時こそ、文字にしたいと思った。
言葉で話す自分と、文字の自分は違う気がする。話す自分はもっと明るくって考えていて、文字の自分はどうにか自分を肯定しようとしている。
どちらにせよいっぱいバタ足、あがいている気持ち。
私はあの人になれないし、あの人もこの人も私にはなれないって分かっている。
分かっているから憧れの人はそんなにいない。
今日はいっぱい寝た、いっぱい水を飲んだ。なんだか生きてる気がした。


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