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メモ消化

このくらいが呟き程度で好きかも。noteには素直になってあげる。

余計

私は余計なことを言ってしまうので、時々会ってその人を大事なことを伝えるというコミュニケーションがあっている様な気がしてしまう。無神経すぎるの。近くにいすぎちゃだめなのかもしれない。許してくれる人と注意できる人なら良いけど。人を評価しているのかな、やめて。
大お友達のGoogle、検索したら自己観照、脚下照顧って出てきた。
気を抜くと最低になるので、気を抜かない自分をデフォにしたい。

性格

はっきりし過ぎて、好きな人と大切な人以外どうでも良いと思っているのかもしれない。しかもそれが相手にバレる、多分。
考えることと書くことは直接的、話すことやいうことには少しフィルターが必要になる。
同じ感覚があること、自分で括りつけないこと。自分を呪わないこと。

やっぱり、音楽には救われる感覚がある

最近は音楽を聴いてなさ過ぎた。つまり1人になる時間が少なかったってこと。
とっても嬉しいことでもあるのだけど。あと、ポッドキャストのとりこ。
久々に聞いた、好きな音楽すぎてなんで今まで聞いてこなかったんだろって思った。音楽を聴くときに、その人の人生を寄せてしまう。自分に引き寄せるのではなくて、その人だから作れる音楽があってそお理由が知りたくて、似ている部分があったらこの人にもこんな場面があるんだってなる。
一緒に溶け込めそうで、できないところが好き。
音楽だけじゃなくて、日常的なことでもそうかもな。

春を感じる

自分だって動物なんだ、植物なんだと地球の一部であることを感じられていい。
外に出る人も増えたからみんな同じ気持ちなのかも。それも嬉しい。

知っているものでしか見ない

ちょっとずつでいいから増やすこと、そこに意識を向けること。
自分のその時の興味を尊重しながらもオープンでいること。
疑問に目を向けること。

書くこと

どうやら私の場合は、人と若干のシャットアウトをしている時に溜め込まれたものが書くという原動力になっている。シャットアウトと言っても誰とも話さない日が2日間以上続くとか、ぼーとする時間が多いとか。
1人でいると必要以上にくだること、くだらないことを考えたり調べたりする。
その時間が自分の中で大切だけど、限度もある。
一人暮らしの時の自分よく生きてたなと思ったり、そりゃあ安易に人を好きになるよとか、じゃあもっといっぱい愉快に社員さんと話してよとかね。最初にキャラのレッテル作るの良くないよね。あまりにバレすぎたのかな、初めての感覚だった。

軽いハラスメント

だいぶ嫌だったんだなと。飛行機で連絡先くれた人がまた来ていたから、これはもう縁かなと思って会ったのだけど。
私は彼の研究とか人生の話が聞きたかった。それなのに、アプローチされないのかとかボーイフレンドはどうなんだとか。別に悪意なんてなくてその反対で聞かれたことって分かるけど、嗚呼、不快だなって思ってしまった。聞かれた人が違えば、異なる反応をしそうな自分も含めて。
彼がラテンの人とか、私が年齢的に若いとかいろんな理由をつけてみるけど嫌なものは嫌だ。質問したら興味があると思われて、次に会う約束を取り付けられることも。人生を楽しんでいないように思うなんて言われることも。

ちょっと話は変わる。おとんが同性愛(はたまた、特に男性同士に対してだと思う)にかなり後ろ向きなんだけど、その裏にはそもそも性的な行為に関しての批判がありそう。批判というか話題として考えたくないというか。
ラブコメとかドラマのそういうシーンを避けるし、オープンすぎる母と違ってそういう話から離れたがる。
私も男女の仲=セクシャルなこと、セックスというアイディアには嫌気が差すので、その方向性で父と向き合う方が本質的な気がしてきた。話題として興味もあるし、話すのは好きだけど自分が対象として目を向けられるのには抵抗感を感じる。
考えを押し付けるのは、父を考えていなさすぎるし。

娘にこんだけ言われても頑固な部分だから私はそこをそっとしておく、寂しいけど。変わりようのない部分を父自身も苦しんでいるかもしれない。知らない。
ただ、自分が父に放った言葉が苦しくなった。

無題

躁と鬱のハッピーセットっていう歌詞が好き。
どうしようもないことに対して、皮肉に対照的なものを並べている感じが。

程々に恩恵を受けて、悩まされている。
この自分の感情の揺れ動くことに気付けたことは楽に肩の荷物が降りた感覚と、それを背負う新たな肩こりの原因にもなった。
世の中の人みんなにアップダウンがあるとして、みんな一斉にダウン期に突入したら社会は回るのだろうか。回すのだろうか。

明るい友達が、誰とも話したくない期間が1ヶ月とかあるよと言っていた。意外だった。ちょっぴり開いていたドアの奥をみた感じ、その人の新しい場面を知ったことが嬉しくもあった。
そんな友人が、このダウンがあるのは幸せのためだよって言っていた。
下がって上がれること。

考えてみれば、ずっとそうやって生かされてきたのかも。考え方がなかっただけで。
愛する日常と、そこにある非日常が好きだ。毎日食べるアイスも幸せだし、たまに食べるアイスも幸せ。アイスという幸せと、たまにという特別感のどちらの味も占めている。

好きなものを自覚して、声に出せる幸せ。

ちょいと帰りたい

あーん。中目黒の桜が見たいよ、お花見したいよ、夜まで外で飲みたいよ、ドーナツとかフルーツサンド食べるピクニックしたいよ。焼き鳥とあんバター塩パン交互に食べたいよ。スーパーのカゴからその人の晩ご飯予測したいよ。ライブで知ってる曲縦ノリしたいよ。お友に会いたい、冗談で埋まりたい。家族に会いたい。
中目から渋谷までの道のりが好きだよ。あそこの世界の人に一瞬なりたいよ。
あとは、5月とか7月のきらきらに押しつぶされたい。
ガラスに写った歩く姿を見てアゲになりたい、サングラスつけたい、夜に駆けるを聞きながら横浜駅とかみなとみらいを独走したい、その時に時空戻りたい、去年の初夏かなり好きだったな。髪の毛切りに行きたいな。美容師さん私のこと覚えてないだろうな。
こちらの暮らしも大好きだよ、日本に帰ったら恋しくなるって分かってるの。
ないものねだり屋なので。
それでもいいの、欲は呟いていかないと。我慢してたらおもんないから!
おばあちゃんに欲しいものないのって言われて大丈夫って言い続けるのは良くないから!

でもこれらも、こっちで数ヶ月間過ごしきった上で達成したい。
多分だいぶ下り坂なはず。もう少しやりたいことに元気出したい。

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